逆張り

あけましておめでとうございます。

人の家で寝正月をかまし、帰ってからも爆睡していました。前置きはそこそこに本題に入ろうと思います。というか何で「あれだけのらりくらりと躱していたネットでの活動(と言っても今はまだTwitterとnoteができただけですが)」を急に始めたのかということだけなのですけど。

表題にも書いた通り自分は所謂「逆張り」のオタクなので、周りの多くの人が嬉嬉としてやっている事に対して「絶対にやらねぇぞ」という謎の拗らせを発揮してしまう癖があり、年末の振り返り然り歌詞noteムーブ然り人のものだけ享受し自分は後方腕組みをキメるということを続けてきていました。これを書いている間も心の中はむず痒さに満たされています。搔けないのに。この逆張り・むず痒さの原因は幾つか考えられ、その中でも一番大きいというか核を担っているのが「自分を見ている自分がいる」という感覚ですね。この表現は以前高校の友人が言っていたものを引用しています。彼も定期的にnoteを更新していて、僕は彼の書くエピソードが好きなのでよく見ているんですがリンクを貼っておくので良かったら見てみてください。
https://note.com/nmiiiiiiii/n/ncf5c1a65d1ee

さて、話を戻すとこの「自分を見ている自分がいる」という感覚は非常に厄介極まりないものでして、まずこの俯瞰してくる<自分>が形成されたのが小中の頃で、今も当時のまま見下ろしてくるんです。小中の自分は本当に最悪で、公にはしてない(とはいえ噂や言動で知られているかも知れない)のですが周りからヘイトを集めに集めていて、自分のせいでそうなっているのにそれを家族を含め他人のせいにし敵対心を剥き出しにしまくっていました。当然小中の約9年くらいで育まれたそれは今もマシになったとはいえそれなりに残っているのですが。で、それだけ敵対心を向けている癖に向けられるヘイトにはかなり弱く、そういった扱いを受ける度に鼻と目の間にツンとしたものが募り、不貞腐れるという事を繰り返してました。先に言っておくとこれで不登校になるという事はなく(多分心のどこかで自分のせいであるということを悟っていたのだとは思います)、また今でも時たま連絡を取り合えるような友人が数人とはいえ存在し、今は連絡しないけど当時は毎日バカ騒ぎできたような友人もいました。後者の彼らが先述した<自分>に繋がってきます。例えば高校受験に際して、自分は授業態度や提出物に関してはまぁ悪く、志望していた公立高校の受験に必要な内申点なるものが求められる基準を大幅に下回っていました。テストもトップ10に名を連ねられるような点数は取れず、役員的な何かになる事もなかったので傍から見ると「何か馬鹿がバカな事言っている」くらいの状態だったと思います。なのに(ここで既に逆張りが出てたのか)当時の僕はその高校に行きたいと公言しており、結果として例の友人達から嘲笑を受けていました。今見返すと結構書いてたのでその後の詳細は省きますが、この被害妄想全開の「嘲笑」に対する怯えが今も<自分>の中に残っていて、何かをやる時に自分の足を全力で引っ張るという状況になり、逆張りに向かっていくという訳です。そんな奴が高校で軽音部的な部活に入りステージに立ったり副部長やったりと色々変わっていき、今の「コミュ障なのに会話する事が大好き」というクソ面倒臭いオタクが出来上がっていくのですがまたそれは機会があれば。

自分は元々音楽を「演じる」側の人間だったのに最近は音楽を「創る」側の人間の真似事をしています。真似事と言いつつそれなりに、自分なりに真剣にやっていますが「演じる」自分と「創る」自分は違うなぁと最近熟思っており、所謂本垢の名義の方では「演じる」自分でありたいのです。まぁ憧れてる人が創る名義と演じる名義とを分けているからとか先述の小中の連中に見つかってまた馬鹿にされたくないからとかいう理由もかなり強くありますが。そういう意味からもこれまで積極的な活動をしてこなかったのですが、モラトリアム終了が徐々にチラついているという事、自分の中で合格点を出せるようになってきたという事、その他諸々の要因が重なり2022の抱負は「逆張りを辞める」として色々やっていけたらいいなぁと寝起きの頭で考えていました。

今後このnoteが続くのかどうかは<自分>次第になりますが音楽はどんな形でも続けたいと思っていますので関係者各位、その他友人、これから関わってくださる皆様、何卒宜しくお願いします。

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