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私は不幸せになりたいんだと思う

しばらく私の日常は、幸せと不幸せのギリギリのところで保っていたんだけれど、先週、一度大きな幸せを経験してしまった途端、一人になった部屋でいろいろと考えて、不幸せな気持ちになっている。まるで私の心のグラフが、幸せのほうへ一気に上がってしまったので、何とか平行に戻そうとして、不幸せを欲しているみたい。

そういえば昔からのお友達に「きみはいつも悩みごとを探している」と言われて、その通りだと思った。

私は、常に悩みを抱えている。

例えば、会社で働いていたころは、組織で働くことがすごく辛かった。会社を辞めてニートになってからは、口座の残高が減っていくのに耐えられなくなってしまった。そして今、会社員にならなくても何とかお金はもらえているけれど、将来の不安とかを考えると、胸が押しつぶされそうになる時がある。昔の私が、あれほど夢見ていた状況にいるというのに。

きっと私は、何かしらの悩みがないと生きていけないんだろうな。だから幸せを見つけたとしても、すぐに不幸せのほうにグラフを戻そうとする。もしかしたら、ちょっとだけ不幸せ側の位置にいるのが、一番居心地がいいのかもしれない。

だから、私にとっては、幸せでいることは不幸せだということだ。

とは言っても、私にとっての幸せが全く思い浮かばないんだよな。イケメンと結婚したいとか、大金持ちになりたいとか、みんなそれぞれ「理想の幸せ」を持っているものだと思っているんだけれど、うーん。考えても出てこないや。

そもそも世間一般でいうところの幸せ(結婚して子どもを産んで家を建てて、みたいなの)にあまり魅力を感じていないし、今思いつく最高の幸せは、石油王と結婚して毎日ゴロゴロして暮らすことだけれど、それすらも私は不幸にしてしまうんだと思う。いつ王に捨てられるかとか、テレビがつまらないとか適当な理由をつけて。

もしかしたら私って、人生に不満を持つことで、生きられているのかな。それならば、不満も何にもなくなって幸せになれた時点で、私は死ぬということになるけれど。それとも最高の幸せが死ぬことなのかな。こんらんしてきた。

ここで言う「死ぬ」は、肉体的な話ではなくて、もっと別の、私が私だと言えるような何かを失うことを「死ぬ」と呼ぶのならば、まあ、納得できなくもない。

たぶん、私は幸せになれたら、ぐちゃぐちゃと考えていることを文章にしたり、わけのわからない絵を描いたり、そういったことを全てやめてしまう。

そういうことをしなくなった私はもう私ではないので、今の私は死んでしまうんだろうな。私は割と今の私が気に入っていて、おもしろい人だな~と思っているから少し残念だけれど、当事者としては結構生きづらいので、一度「死んだ」ほうが、私にとっては幸せなのかもしれない。

死んだことすら気づかないで、毎日眠たい目をこすりながら会社へ行き、当たり前のように仕事をして、心の中で上司を殺し、家に帰って楽しみにしていたドラマを観て、週末にはディズニーランドでデート、寿退社、子どもは2人、節約しながらもなんとか育て、日中はパート、たまに女子会で旦那の愚痴を言いまくるような、そんな人に生まれ変われたらいいのかもしれない。私はたぶん、今書いたことを何一つ叶えることができないので。

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