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「あなたの分母の大きい話は面白くない」と言われるけれど、わたしが願っているのは世界平和だけだから

 パブリックアートの人として活動したいという希望を持っているわたしですが、本職は夫の家事手伝いです。とはいえそれだけでは食べていけないので収入の多くをマネキン(販売専門の派遣)として過ごしています。

 このマネキンという仕事、安定しないとか昇給が望めないとかいろんな不安はあるんですが1番大きいところだと、やはり身体が資本というところです。まあ、どんな仕事でもそうなんですけど。

 あと何年続けれるかな、と思ってしまう時もあります。そういうのって心身に良くないので、年の初めくらいからぼんやりと決めていたオンラインのショップを先月とうとうオープンさせました。

 825はわたしの生日の8/25からとっています。なんでこのネームかというのは紆余曲折ありますが、話が脱線しすぎるので今回は割愛します。

 ご覧いただくとわかるとは思うんですが、まだまだ商品数が少なく見栄えのするものとはなっておりません。今後ちょっとずつでも増やしていき、収入の柱となるように努めたいと思います。押忍。

 さて、そんな825というか、わたしの縫い物にかける考え方というか、そんなところを今回は書くことにします。


手縫いのお話

 825で作られるアイテムは現在全て手縫いでお作りしています。なぜ手縫いかということを説明するにはわたしが縫い物を学んだルーツについてお話しせねばなりません。

 一般的なアパレルで専門的にお勉強された方のほとんどは大学や専門学校などでファッションを専攻された方が多いと思われます。そんな中わたしは和裁の学校を出ております。

 和裁とは着物(和服・呉服)を製造する技術です。多くはオールハンドで製造されます。また、和裁は洋裁と違い基本的にはカーブを縫うことがありません。真っ直ぐしか縫わない。そこが最大にして最強の違いです。

 もちろん和裁でもミシンを使うことはあります。とはいえ直線縫いしかやってこなかったわたしにはミシンでカーブを縫うことは高すぎるハードルでした。

 ミシンが上手な人はごまんと居るしな……。

 そこでわたしは人の助けを借りつつも和裁の技術からカーブを縫うという実に異質な技術を習得したわけです。おかげさまを持って元々下手だった直線縫いがさらに下手になって今では着物を縫うのは恐ろしい肉体となりましたとさ。

 と、こんなふうなもので服を褒めていただくとすぐに「手縫いなんです!」と言ってしまいますが、プラスだと思って言っているわけではなくって、むしろマイナスと思っています。購入希望の方にはことさら。「手縫いなんです」「手縫いだけどいいですか」「手縫いですよ!?」と言います。

 手縫いが悪いとは言いません。ただ、マシンメイドのお洋服しかお召しになったことがない方には手縫いは問題も多いです。

 例えば
・糸が弱いということ。ただこれは逆を返せば生地が負けてしまわないということなので、基本的にはお直しがききます。
・かっちりと決まらないということ。これに関してはわたしの技術が発展途上というのも問題点ではありますが。その代わり糸目が見えにくいのでふんわりとした仕上がりになります。
 他にも、縫うのに時間がかかるのでお品物が高額になりがちなことなどもあります。


芸術品であると申し上げているお話

 825をご覧いただいた方にはわかると思うんですが、堂々と「芸術品です」という表記をしています。これには理由があります。

 どうしても、洗濯タグをつけたくないのです。ブランドタグも。

 ドヤ顔で細かい話を始めてといろんな方向からお叱りを受けるというのは本意ではないので、とりあえずさらっとだけお伝えしておきますと
・市販服には洗濯タグの取り付けが義務付けられている(オーダー服はこの限りでない)
・洗濯タグには洗濯の方法と販売者の情報の記載が必要(名前と固定電話か住所の表示が必須)
・容易には取れない方法での取り付けが必要
となっております。

 これに対応するのはなかなかに難しくてですね。825のお品は芸術品ということで、着用は任意とご説明させていただいておる次第です。

 ちなみにですが、洗濯は基本的にはご家庭用の洗濯機に入れて全自動で回していただいて大丈夫です。気になる方はネットに入れたりおしゃれ着コースで単品洗いしてもらってもいいし手洗いでもいいですが。

 大事にしすぎたり洗濯がめんどくさくなって着なくなってしまうよりデイリーでヘビロテしてしまって壊してもらう方が嬉しいです。それが叶う服であるという自負もあります。多少の壊れならお直しご相談いただければ直せますし。

 「芸術品」という表記についてですが、これは半分自嘲の意味もあります。それはまあ、次の項目で。

オーダー品が好きな話

 これも825をご覧いただくとわかるんですが、現在オーダー品しか置いておりません。ゆくゆくはつるし(既製服)も作りたいとは思っているんですが、なかなか重い腰が上がらなくてですね。

 オーダー品が好きなのには理由があって、その人に似合うものをご用意させていただくというのがわたしの作り手の使命であると感じているからです。わたしはわたしのセンスを信じています。そしてそのセンスがわからない人がわざわざ高いお金を払ってブランドでもない不自由な服を買うことはないでしょう。

 ただ、生地の段階でどんなものができるかは分かりづらいですよね。なのでつるし(既製服)はやはり必要と考えています。が、やっぱりやる気があんまり出ないので、欲しいなと思った方はご連絡いただければ。イメージ貰えば生地から探しますのでね。

 とここまで手間暇かけるのって現代においては芸術品と言われても齟齬がないですよね。故にわたしは自分が作るものを芸術品と捉え、その必要性に対してタグをつけないと判断させていただきました。こじつけがましい!

世界平和の話

 最後に世界平和の話なのですが。

 わたしは世界が平和であるということは全ての人間の悲願であると信じています。平和とは誰かが誰かを踏みつけておらず、誰を相手にしても恐怖を感じることがない状態です。

 得意なことだけをやって、不得意なところはそれが得意な人やものにカバーしてもらえたらどんなに幸せなことか。それをわがままだという人も目にしましたけど、本当にそうかしら。実はとっても普通のことなんじゃないでしょうか。

 わたしは縫うことはそんなに得意ではないし好きでもないけれど、誰かが喜んでくれるものを用意できる自分のセンスと技術にはとても感謝しています。それが活かせる場所をみなさんに応援していただけたらとてもとても嬉しいです。


 最後までご覧いただきありがとうございました。

 街角芸術倶楽部もどうぞよろしくお願いいたします。


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