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ぐるりと四国旅日記 その5 「高知・桂浜」編

時間は10月半ばに遡る。

たっぷり休憩したのちの13時前、四国西南端の終着駅、宿毛から土佐くろしお鉄道の普通列車に乗り込んだ筆者。中村までは初めて乗る区間。平成開通の新線のため、都市近郊と山間部をトンネルと高架橋で突っ走る構造になっており、割とあっという間に中村に着く。

中村からは高知行き、JR四国土讃線への直通特急「あしずり」に乗る。前日の「宇和海」同様2両編成の身軽な特急。こちらも各まちむらの小規模な駅を細かくフォローしてゆく。

さて高知県。イメージでは太平洋沿いに砂浜が足摺岬から室戸岬まで逆Uの字状に続く穏やかな地形だったが、改めて来てみると実に峻険である。先ほど通った宇和海沿いと同じく、海まで山地がせり出すリアス海岸が主体で、開通が昭和中期と遅かった鉄道も山と谷をトンネルとカーブを巧みに縫っており、実に揺れる。

15時すぎ、高知県の中心、高知駅に到着。高架化された小綺麗な駅舎の前には、土佐の三志士・武市半平太 中岡慎太郎 そして坂本龍馬の像が市内を見渡すように立っており、筆者の泊まる宿はその三人の視線の先に所在していた。

荷解きして休憩。夕方近くになり現地出身在住であられる、新宿某所そして中島みゆきファンとしての先輩Oさんと5年ほどぶりに再会、高知市中心部の名所「ひろめ市場」で美味しいカツオと餃子をいただき、ビールを酌み交わしながら近況やみゆき話に花を咲かせる。

二次会は近隣のドトール。二人とも歳を重ね、酒に弱くなったから仕方ない。昔は朝まで新宿某所で飲んだものなのだが(笑)コーヒーでまた話が盛り上がり、20時過ぎ、再会を約束しOさんと別れ宿へ戻り就寝。

翌朝。

高知駅内のカフェで軽く朝食をとってから、観光周遊路線バス「MY遊バス」ではじめての桂浜へ。途中、2023年の朝ドラのテーマとなる植物学者・牧野冨太郎の遺した庭園のある五台山を通るため片道1時間近くかかる。思ったより遠かった。

予想外なのはそれだけではない。桂浜周辺の地形も、「浜」という名から平坦で歩きやすいのだろうと想像していたが、思いのほか山なのである。

有名な坂本龍馬の立像も、浜辺にドーンとあるのかと思いきや結構階段を登った先の丘の上であり、坂本龍馬記念館はさらに先の山の中腹。極力徒歩移動を少なくするルートを選ぶことにした。

それにしても桂浜は確かに豊かな景勝地である。雄大な太平洋を一望でき、土佐の先人たちが世界に思いを馳せたであろう、素晴らしい眺めの浜であった。

桂浜からバスで坂本龍馬記念館へ。実は坂本龍馬が何をした人かいまいち理解していなかったため、改めて龍馬の幼少期、脱藩し中央へ進出していく経過、幕末における役割などを学べた。その全てに感銘を受けたわけでもないが、時代を動かした一人であることは間違いないだろう。

余談だが、高知県とみに高知市は「坂本龍馬」にすっかり頼っているように見える。

悪いこととは言わぬが、さまざまな施設業種サービスに名前が使われすぎている気がする。この日見た桂浜の新商業施設の一部にも名前を冠した場所があり、「それ関係ありますのん?」くらいには思う。

まあ、某岩手県も関係性問わず「宮沢賢治」に頼っているのでそんなものかもしれないが…

再びバスで高知の中心部はりまや橋へ。日曜日の昼間とあって近辺の帯屋町アーケードなどは結構な賑わいである。昨夜のOさんによればかなり寂れたとは聞いたが、現代日本における他の地方都市との比較で見れば栄えている印象を受けた。特に小さな個人経営の小売店がいくつも残っているのは、他都市にない特徴と言えるのではないか?

昼飯は高知大丸のフードホールにてまた土佐のカツオ。3日連続のカツオだがうまいし好きなんだから仕方ない。

食後、まだ時間に余裕があったため、はりまや橋からとさでんの路面電車で西に向かう。行けるところまで行こうかと思ったが、ふと思い立ち高知城前で下車。高知城博物館を見学する。

高知城を築城した長宗我部家、次いで城主となった山内家がどうやって高知のまち、土佐の国を統治してきたのかがわかりやすく展示されていた。

旅の前半に居た讃岐・伊予など、複数の大名家による多藩統治かつ、他地域との人・文化の交流が盛んだった国と異なり、江戸期の土佐は一国を一藩が統治していた。

当時は上下関係や所作に厳しく、また人の出入りにもかなり厳しかったそうで(のちの龍馬脱藩につながる)、結果として独自のまとまりをもった文化が形成され、それが現在の高知県の他地域にはない個性にも繋がっているのでは?と考えた。

博物館見学後、城を見渡す喫茶店で休憩して、路面電車を乗り継ぎ高知駅へ。三志士像に別れを告げ、この旅の最後の目的地、岡山へ向かう列車を待つ筆者であった。

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