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《何もできることないと知ったら?》


何もできることは無い

意識が「してあげた」と認識したいだけ
 

  
でもね、結局
「してもらった」と感じるのは誰?
「してあげた」と認識しているのは誰?
 

自分と相手の認識している事実も現実も違う
自分と相手のキャッチしている情報の部分も量も違う
  
 
自分と相手では、
目の前で起きている情報の
受け取り方捉え方も違う上、

受け取った情報の処理の仕方も違う
  
  


なぜなら
生まれた環境も
生きてきた人生も

右利きか左利きかも
肉づきも骨の長さも骨格も
血中酸素濃度も免疫力の質や高さも

全く同じ瞬間があるのかどうか?

って考えてみたら分かるよね。
 
うん
そう
 
正に
自分は相手のために
「してあげる」ことなんてできない
 
自分は何もできない
自分じゃない人のためには
自分じゃないもののためには
 
それをエゴっていうのかなぁ?
わからないけれど
  
 
わたしに今
腑に落ちたことは
 

(誰かに何かしてあげたい)

そう思って行動した後で
 

  

何かできたのだろうか?
とか
 
行動する前に
何もできないんじゃないか?
とか
 
今まで悩んできたこと
要らないなってこと。
 
だって
元々
自分じゃないのに
「してあげた」かどうかなんてわからないし
自分じゃないのに
「してあげられた」なんて自己満足でしかない
 
だったら
自分がやったことの結果は
  
  
すべておまかせ
 
  
自分がしてあげたい
と思うなら 
 
 
単に自分が
やりたいだけ
 
それでいいじゃん、
世の中そういうもんじゃん、
 
うん。
 
自分の中の〈ちょうどいい〉を見つけて
 
自分の中の〈相手と自分との調和〉を奏でる
 
それを目指そう
そうしよう♪

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