まるくなるな、星になれ!

渋沢栄一の「論語と算盤」に
こんな一節がある

人間はいかに円くても、どこかに角がなくてはならぬ。
ひとは円いとかえって転びやすいことになる。
私は、正しい道に立ってなお悪と争わず、これに道を譲るほどに円満な不甲斐ない人間ではないつもりだ。

と。


私自身も
実は幸せだ幸せだと毎日ゆるんでばかりではなくて、時々、気が立つ事がある。

愛する人の言動に苛立ちを感じることがある。

最初はそれを苦しく感じた。
けれども今、その両方が自分なのだと受け入れた時

完全にまるい人間になるのではなく
どこかに尖った部分を持つこと。

その尖った部分が
自分の伸びしろなのではないか?

完全なる幸福は、
それ以上、伸びようが無い

そうではなく
常に世の中が変わりゆくように
常に幸福ももっと大きくなる要素を持っている

その変化・変態を経て羽化する
芽が出る・より成長進化する部分

それが
尖った部分、なのではないだろうか?

いや、そうに違いない。

私は完全なる幸福感の中で滅ぶべき時を、死にゆき、次代へ託す時を、まだ迎えてはいない

まだ己れとして生きること

その証が
尖った部分

気が立つ
苛立ちを感じた部分に眠っている
成長の芽🌱なのだ


自分の内にふっと腑に落ちてきた

そう
私の生命は、まだ続くのだな

まだまだ天へ還る時迎えるまで
この地球で、
円満な幸せを感じた次の瞬間に
苛立ちを感じ
戸惑いを感じ

その尖った部分から
若木のように成長し
又はサナギになって変態し羽化してゆく

そういう繰り返しを経験する

そんな時間を与え頂いているんだなぁ


有り難たや
有り難や〜

🙏✨🌈

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