『競歩王』|額賀澪|試し読み

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ノート

競歩王|04|直木賞の日

1|アリア

 綺麗なカバーの本になった。寒々しい青空の写真と、本のタイトルと、榛名忍の名前。巻かれた帯はざらついた白色。「新進気鋭の作者が描く、青春の残響」なんて格好つけたコピーが躍っている。その本にサインを書きながら、忍は苦笑いを堪えた。

「青春の残響」という言葉は、編集者が考えた。小説の内容をよく表している。だからこそ、誰もが共感できる《青春の象徴》みたいに扱われる自分の小説が、傲慢で無恥

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競歩王|03|新年の願い事

1|初詣

 お賽銭を投げてから、何を願おうか悩んでしまった。両手を合わせ、とりあえず「もっと楽しく小説が書きたいです」と願った。

「明治神宮って、おみくじに吉とか凶とかないのがいいよね」

 引いたばかりのおみくじを見下ろしながら、亜希子が笑う。マフラーに隠れた口元がほころぶのが忍からもわかった。

 元日の明治神宮は参拝客で大混雑していた。昼頃は特に混むから朝七時に原宿駅に集合したのだが、そ

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競歩王|02|孤独のウォーカー

1|新聞部

 グラウンドなんて大学一年の体育の授業で使って以来だ。単位を落としたわけでもないのに、大学三年の秋学期になって再びここに来ることになるとは。

 十月も下旬に入り、わずかに色づき始めた銀杏並木を抜け、忍は思わず足を止めた。というより、自然と足が重くなってしまった。

 キャンパス北側にある広大なグラウンドには陸上競技用のトラックがあり、クロスカントリーコースがその外周を囲っている。緑

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競歩王|01|オリンピック号泣男

1|リオ五輪

 浸るのとは違う。沈み込むのとも、違う。
 強いて言うなら、海に突き落とされたみたいなものだ。懸命に水を搔いて、海面を目指してもがく。助けを求めることもできない。だって、飛び込んだのは俺自身なのだから。

「――ねえ、忍」

 榛名忍を海から引き上げたのは、亜希子の声だった。

「そんな苦しそうな顔で読書しないでよ」

 石原亜希子の声は、ビー玉越しに見上げた空のような澄んだ響きを

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競歩王|プロローグ

酷く矛盾した競技だった。

 誰よりも速く、速く前へ進みたい。
 一番にゴールテープを切りたい。
 でも、走ってはいけない。

 肩で風を切って、
 日に焼けた細い体をくねらせるようにして、
 彼等は歩く。
 
 歩く。
 どこまでも、歩く。

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