風に恋う|第1章|01

第1章|追憶と『二つの交響的断章』


1|その青は遠い色

 風に枝先が揺れると、粉雪のように花びらが落ちてくる。そのうちの一枚が、基(もとき)のつむじのあたりにのっかった。それを指先で摘み上げて、溜め息をぐっと堪えた。

 ただの花を特別なものに感じてしまうのは、きっと、ここがかつて憧れた場所だから。憧れた人が通っていた高校の門をくぐり、今日から生徒の一人として三年間を過ごすから。

 風に舞い上がる花びらの群れの向こうに、古びたチャペルが見えた。

 基が今日から通うことになる私立千間学院高校はキリスト教系の学校だ。といっても、それらしい建物は正門と校舎の間にあるチャペルくらいしかない。鉛色の石を組み上げて作られたチャペルは小さいながらも重厚感があり、三角屋根の上から十字架が基を見下ろしていた。

 登校時刻までまだ余裕がある。生徒の流れから外れて、基はチャペルへと近づいていった。

 昔、ここで吹奏楽部の演奏を聴いた。当時、基は小学三年生で、玲於奈は五年生だった。

 あの頃と何ら変わっていない木製の扉を、基はゆっくりと引いた。真っ先に、ステンドグラスが視界に飛び込んできた。

「……一緒だ」

 整然と並ぶ椅子とテーブル。柱には花の彫刻が施され、ドーム型の天井からは照明が吊されているが、今は仕事をしていない。青色を基調としたステンドグラスを通して朝日が差し込み、青い光が通路に伸びている。チャペルの周囲に立つ木々が風に揺れて光を遮ったり通したりするから、青色の光も絨毯の上をリズミカルに踊っていた。

 誘い込まれるように、基は通路を進んで行った。

 かつて、千学の吹奏楽部は全日本吹奏楽コンクールで金賞を受賞し、その姿はテレビにも取り上げられた。このチャペルで行われた定期演奏会も満員だった。九歳の基からすれば、吹奏楽部の部員達は雲の上の存在で、自分が彼等と同じ年齢になることも同じ学校に通うことも想像できなかった。

 ただ確かなことは、基がこの場所で彼等の演奏を聴いて、吹奏楽を始めたことだ。

 溜め息をこぼしそうになったその瞬間、前方の座席からガタンと乾いた音がした。

「……え?」

 視界の隅で影がうごめいて――誰かが、すっと立ち上がる。基は喉の奥で悲鳴を上げた。

 立ち上がったその人は、高校生ではなかった。大学生くらいに見えた。ステンドグラスから差し込む光が逆光になって、目鼻立ちや表情までは見えないけれど、背が高く、肩幅も広く、青みがかった影の向こうから落ち着いた雰囲気が漂ってくる。

 相手は何も言わずこちらに歩いてきた。大学生が就職活動で着るような真っ黒なスーツを着ている。すれ違い様に小さく会釈をされ、やっと顔を見ることができた。

 もう一度、息を呑んだ。

 扉が閉まるのを背後でしっかり感じてから、基は勢いよく振り返った。

 あの人がここにいるわけがない。あの人が千学にいたのは、何年も前だ。

「幽霊……いや、生き霊?」

 誰もいないチャペルでやっと出た声は、誰にも届かない。当然、誰も答えてくれない。




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額賀 澪 NUKAGA Mio

小説家。最新刊『風に恋う』発売中。2015年松本清張賞・小学館文庫小説賞受賞。既刊『屋上のウインドノーツ』『ヒトリコ』『タスキメシ』『さよならクリームソーダ』『拝啓、本が売れません』など。詳しくは>>>http://nukaga-mio.work/

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