風に恋う帯無し

風に恋う|第1章|02

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 一年五組にはすでに多くの新入生が集まっていた。同じ中学の生徒とはクラスが離れてしまったし、果たして、この教室で一年間上手く立ち回れるだろうか。

「――ああっ!」

 突然、近くでそんな声が上がった。

「大迫一中の《歌うお茶メガネ》!」

 知らない人ばかりのはずの教室で、自分を指さす人がいた。その人物の顔を見て、基も「あー!」と大口を開ける。
彼の茶色がかった明るい髪が、ステージの照明の下では金髪のように見えると基は知っている。色素の薄い目はガラス玉みたいで、その目をきらりと輝かせて彼は演奏するのだ。

 春辺第二中学校吹奏楽部の堂林慶太だ。パートはトランペット。地区大会、県大会で毎年のように見かけた。同じ中学生とは思えないような、大人っぽくてしっとりとした演奏をする。

 だから、大迫一中吹奏楽部の面々は陰で彼のことをこう呼んでいた。

「春辺二中の《いやらしいトランペットの人》!」
 こちらも充分失礼な物言いだった。案の定、「なんだよそれ!」と切り返される。

「そっちこそ、《歌うお茶メガネ》って何ですか」

「大迫一中の眼鏡の茶園君だから《お茶メガネ》だよ。演奏にリスペクトを込めて、《歌うお茶メガネ》って呼んでるの。《いやらしいトランペットの人》よりはマシだろ」

「《いやらしいトランペットの人》というのも、リスペクトを込めて呼んでるんだけど」

「微塵も感じられないし! 入学式の日に人のことを《いやらしい》って連呼しないで!」

 一呼吸置いて、基は改めて堂林慶太を見た。基と同じ、深い紺色の、黒色にも見えるブレザーに水色のワイシャツを着て、ブレザーと同じ色のスラックスを穿いて、ブルーのネクタイをして。間違いなく千学の制服を着て、一年五組の教室にいる。

「堂林君、千学だったんですね」
「そっちこそ」
「《お茶メガネ》じゃなくて、茶園基です。今日からよろしく」

 右手を差し出すと、彼はちらりとその手を見て、静かに握手に応じた。三年間もコンクールで互いの存在を意識していたのに、言葉を交わすのは初めてなんて、妙な気分だ。

「同じクラスってことは、少なくとも一年間は茶園と四六時中一緒にいるってことか」

 基の右手から手を離した堂林が、そんなことを言う。

「堂林君、やっぱり吹奏楽部に入るんだ」
「何? 茶園、まさか吹奏楽部入らないの?」
「帰宅部か、もしくはゆるそうな文化部に入ろうかな」
「はあっ? マジかよ。お前、千学入ったのに吹奏楽続けないわけっ?」

 立ち上がった堂林に頷くと、奇妙な生き物でも見るような顔をされた。ああ、彼もなんだ。

 基は頰に力を入れてはにかんだ。きっと堂林も、千学に憧れを抱く一人なのだ。

 堂林のいた春辺二中は三年連続全日本出場の強豪校だ。彼が千学で吹奏楽を続ける理由なんて、憧れ以外にあるわけがない。今の千学の吹奏楽部は、強くもなんともないのだから。

 でも、最近の千学は受験指導に熱心で、進学実績も上がっている。基が千学を選んだのは、そういう理由からだった。憧れだった吹奏楽部が千学にあるのは、たまたまだ。

 そう話しても、堂林は納得できないという顔をしていた。

「なんだよ、吹奏楽やめちゃうのかよ。あんなご大層な動画までアップしてたくせに」
「動画?」
「そうそう、格好つけちゃってるお茶メガネ君の動画」

 制服のポケットからスマホを取り出した堂林が、親指を素早く動かす。動画、動画、動画……。何かあったっけと思い返して、三月の定期演奏会に行き当たった。そういえば毎年、定演の動画を短く編集してネットにアップしていたっけ。

「先月の定演のこと? 『宝島』吹いてたやつ」
「定演? 違う違う。その動画もあったけどさ、俺が言ってるのはこっち」

 ほい、とスマホの画面を見せられる。そこには、確かに茶園基がいた。寒々しい屋外でこちらに背を向けてアルトサックスを吹いていた。大きな噴水から水しぶきが上がり、周囲の淡い照明にきらきらと光る。光をまとった雪が舞っているようだった。

「歌いに歌ってるだろ? 吹部の後輩から回ってきてさあ。『これ、大迫一中の《歌うお茶メガネ》さんじゃありません?』って」

 にやにやと笑いながら、堂林は音量を上げた。演奏されているのは間違いなく――。

「『夢やぶれて』だ……」




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