風に恋う帯無し

風に恋う|第1章|04

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 吹奏楽部の練習場所は、一般教室棟から渡り廊下を抜けた特別棟の四階の奥にある。古びた建物独特の埃っぽい匂いと茶渋のような薄暗さが積み重なった先の、第一音楽室だ。

「当たり前だけど、テレビで見てた通りだな」
「堂林君も見てたの? 『熱奏 吹部物語』」
「近くにある高校があれだけ取り上げられてたら、そりゃあ見るだろ」

 全国ネットのテレビ局がドキュメンタリー番組で吹奏楽部を大々的に取り上げたのは、基が小学三年生の頃だ。あれがきっかけで吹奏楽の世界そのものが盛り上がって、全日本コンクールのチケットの争奪戦が繰り広げられるようになった。

 全国のさまざまな吹奏楽部に番組は密着した。全日本コンクールに出場するような強豪校から、部員集めに奔走する弱小吹奏楽部まで。そして、この千間学院高校吹奏楽部にも。

 当時、千学は男子校だった。吹奏楽部といえば女子生徒が圧倒的に多い中、「男子だけの吹奏楽部が全日本コンクール初出場を目指す」と千学はお茶の間に紹介された。しかもその年、本当に全日本コンクールに出場した。

 その過程を基は視聴者として見ていた。万年県大会止まりだった千学が西関東大会へ出場する。強豪校がひしめく中、全日本への切符を摑む。それはあまりにもドラマチックで、鮮烈だった。音楽になど縁のなかった少年に、吹奏楽を始めさせてしまうくらい。

 全国の視聴者もそうだった。千学吹奏楽部は瞬く間に大人気となり、縁もゆかりもない土地に住む人がコンクールで千学を応援した。定期演奏会にやってきた。

「千学があの頃のままだったら、吹奏楽を続けてたかな」

 木製の両開きの扉を前に、基はそんなことを呟いていた。「第一音楽室」というプレートを見つめながら、堂林がこう聞いてくる。

「茶園は、本当に吹奏楽部には入らないの? 上手いのにさあ……」
「中学で、燃え尽きちゃったんだ」

 吹奏楽部に入りたいという思いは、もう基の胸になかった。中学三年間で、音楽に注ぐべきエネルギーが尽きてしまった。一生分、使い果たしてしまった。

 ただ、千学がかつて憧れたような場所だったら、自分は吹奏楽を続けたかもしれない。千学に来たからこそ、《あの頃》と《今》の落差を思い知らされる。

「僕の目的はただ一つ。玲於奈にあの動画を削除してもらうことだ」

 結局、玲於奈はネットにアップした動画を消してくれなかった。「消してほしかったら、放課後に音楽室においで」とにっこり笑って、基と堂林を教室から追い出した。

「音楽室に行ったら最後、入部届に名前を書かされるのは運命づけられる気がするが……」

 苦笑いしながら、堂林は第一音楽室の扉を開けた。古びた木製のドアは、ぎいぎいと歯軋りのような音をたてた。

 玲於奈の魂胆など承知の上だ。あの手この手で彼女は基を吹奏楽部に入れようとするだろう。

 昔と比べたら見る影もなくなった千学吹奏楽部の部長として、玲於奈は必死なのだ。わかっている。基が、一番わかっている。




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