風に恋う|番外編|栄冠は誰に輝く|03

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 いつまでも音楽準備室にいたら「休息日に活動している」と他の先生から咎められそうで、瑛太郎は堂林を連れて特別棟を出た。

「手伝ってくれた礼にジュースでも奢る」
「いいですよ。脚立押さえてただけだし」

 彼はどうやら、話の続きをもう求めていないようだった。
 果たしてそれでいいものか。考え考え、正門へと続く並木道を二人で歩いた。黙っていれば堂林とはこのまま駅前で別れて、彼は明日以降もいつも通り部活に来るだろう。

 明らかに、胸の奥にもやもやを抱えたまま。

 誰も練習していない野球グラウンドを横目に見ながら、瑛太郎は両腕を組んだ。

「なあ、堂林は野球好きか」
「はい?」

 隣から、素っ頓狂な声が上がる。

「ていうか、カープファン?」
「いや、カープの堂林翔太とは親戚でも何でもないですし、別に堂林翔太と関連づけようと慶太って名付けられたわけじゃないです。そもそも俺が生まれたとき、あの人はまだ小学生とかそれくらいです」

「それもそうか」

 堂林の説明を聞きながら、きっとこれまで何度も同じことを言ってきたんだろうなと思うと、自然と笑いが込み上げてきてしまう。

「初めて会ったとき、名前が堂林慶太だっていうから、勝手にカープファンだと思ってた」
「確かに、小学校までは野球やってましたけど」
「俺もやってたよ」

 堂林の歩くペースが突然乱れて、「ええっ!」と瑛太郎を覗き込んでくる。

「先生、野球やってたんですか?」
「あれ、それって『熱奏 吹部物語』でやってなかったか?」
「全話見た俺が知らないんだから、やってないと思います」
「そっか、やってなかったのか」

 ドキュメンタリー番組に密着されていた当時、とにかく連日カメラを向けられた。何を撮られて、何を撮られていないのかわからないくらいに。

「やってたといっても、堂林と同じように小学校までだけどな。中学からは吹奏楽部だったから」

 小学校に入るのと同時に、父親が知り合いのいる少年野球チームに瑛太郎を連れて行った。

 それから小学校を卒業するまでの六年間、瑛太郎は野球少年だった。母親の知り合いがやっていたピアノ教室にも週一で通っていたから、全く音楽に縁のない生活をしていたわけではないけれど。ピアノの発表会で、瑛太郎だけが日に焼けた真っ黒な顔でステージに立っていた。

「どうして」

 気がついたら、先ほどよりも近い場所を堂林が歩いていた。こちらに身を乗り出すようにして、瑛太郎の顔を見上げる。

「先生、どうして吹奏楽始めたんですか」

 どうして。
 その問いかけに猛烈な既視感を覚えて、自分の口元から笑みが消えるのを感じた。どうして吹奏楽を始めたの。どうして千学に入ったの。どうして全日本に行きたいの。どうしてそんなに頑張れるの。

 どうして、どうして、どうして。

 カメラを向けられて、幾度となくそうやって質問をぶつけられた自分を思い出す。たいしたことを答えたわけではないのに、それを見た大勢の人からは「感動した」とか「勇気をもらった」なんて言われて、こっちはどういう顔をすればいいかわからなかった。

「どうしてだったかな」

 たった六年前のことが眩しすぎて直視できなくなって、それでも千学へ戻って来たくせに。

 一丁前に、誤魔化してはいけないはずの質問をはぐらかしてしまう。

「とりあえず、野球より吹奏楽の方を好きになったんだよ」

 とりあえずなんて言葉でまとめてしまっていいことなのだろうか。そういうものだったのだろうか。教え子からの質問に、そういう適当な答えを返していいものだろうか。

 ちらりと堂林の方へ視線をやると、彼はまだ瑛太郎を見ていた。さっき、音楽準備室で瑛太郎に「あれでよかったと思うんですか?」と問いかけてきたときと同じ顔。ガラス玉みたいな瞳は凪いでいて、でもその奥から強い問いかけが飛んでくる。

 野球グラウンドは無人のはずなのに。野球なんてもう何年もやっていないはずなのに。遠く遠く、ずっと遠いどこかから、バットの中心がボールを捕らえる音が聞こえた気がした。

 夏空を、高く積み上がる入道雲を、肌を焼くような日差しを切り裂くみたいな、気持ちのいい音が。

「――野球、やりにいくか」

 瑛太郎を捕らえて放さない透き通った瞳に向かって、そう、言ってみた。

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風に恋う|額賀澪|番外編

『風に恋う』(文藝春秋)の番外編です。作者が自由気ままに書いていますが、出版社を通していないので誤字脱字など未校正の部分がありますことをご了承ください。
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