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一生涯、中身のない情報商材に騙されなくなる特効薬

最初に言っておく。情報商材に夢を見たい人は絶対にこのnoteを購入しないでいただきたい。

なぜなら、このnoteの有料部分に記されている内容は世の中の全ての情報商材売りにとって都合の悪い「悪徳情報商材の本質」だからだ。

読み進めればわかるので先に言っておこう。このnoteの無料部分は9,205文字、有料部分は68文字だ。

無料部分を読み進め内容を理解した上で、改めて購入して見ることのできるたった68文字の「特効薬」だけで、あなたは生涯悪質な「情報商材」なるものに振り回されることはなくなるだろう。

「たった68文字で?」

と思われるかもしれない。

が、本質とはえてしてそんなものだ。

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かつてアメリカには全米第2位、造船分野においては世界トップの一角という地位を築いた

「ベスレヘム・スチール」

という会社があった。

ベスレヘム・スチールがまだ小さな会社だった頃、当時の社長シュワップ氏は従業員の作業効率の悪さに頭を抱えていたという。

そして、改善のため外部のコンサルタントの意見も取り入れようと試み、頼ったのがアイビー・リー氏。

リー氏はその会社の従業員の働き方を一目見た後、たったこれだけのアドバイスをした。

1.寝る前に明日やる仕事を6つ紙に書きだす
2.その6つの仕事に優先順位をつける
3.優先順位の高い仕事からその仕事を終わらせることに集中する
(仮に6つすべてが終わらなくても、優先度の高いものが片付いているので構わない)

シュワップ氏は 当初半信半疑ながらも、全ての従業員の仕事の進め方のルールとしてリー氏のアドバイスの手順を徹底させることとした。

ベスレヘム・スチール が世界に名だたる鉄鋼メーカーとなるのはそれからたった5年後のことである。

そして、このメモ程度のアドバイスでリー氏が得た報酬は当時の価値で2万5千ドル。現代の価値にして80万ドル弱。約8,000万円と途方もない金額だ。

これは20世紀初期の話だが、現代において「情報」こそが最も価値のあるリソースだと示す一つのエピソードと言えるのではないだろうか?

良質な情報には対価を惜しむべきではないのだ。

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さて、いきなりだが、今納得したあなたは情報商材屋にとって良質のカモと言えるだろう。

ちゃんと解説するので、腹を立てた方は少しだけクールダウンした後に続きを読み進めてほしい。

「良質な情報には対価を惜しむべきではない。」

これは特定の文脈においては紛れもなく事実である。

問題は今、たった一つのエピソードでごく自然にこの主張を説得されられてしまったことだ。

これは情報商材屋がよく使う自分の目的に向けて相手を誘導する典型的な手口なので、覚えておいてほしい。

実は、この手口の餌食になってしまうのは必ずしも「一発逆転を狙っている人間」や「何も考えずに生きている人間」、「自分の納得いかない現状を全て周囲のせいにしている人間」だけではない。

むしろ、高学歴で論理的思考力を持っている人物が、変な宗教やMLM、情報商材にコロッと騙されてしまうことも少なくないのだ。

その最たる例がオウム真理教だろう。世紀のカルト宗教にあれだけのテロ活動を可能とさせたのは高学歴な信者たちを幹部、研究者として取り込んだことが大きい。

高学歴インテリ層は「論理的に納得させられた」相手を信じてしまう傾向が強い。なぜならば彼らは「頭が良く、そのことを自覚しているから」だ。自分が納得したことは信じるのである。

そして、えてしてプライドが高いため「相手を信じる」という自分の決断の過ちを認めることに抵抗があり、どんどんのめり込んでいく。

これは「一貫性の原理」といい、行動心理学でも証明されている人間と特性だが、頭が良くかつその自覚が少なからずある人間は特にその傾向が強い。

「説得」さえできてしまえば、どんなに賢い相手でも思いのままに操ることが可能なのだ。

そして、情報商材の本質は、見込み客に対する「説得」にあると言っても過言ではない。

なぜか。

それは、情報商材がその性質上「購入するその瞬間まで商品の中身が完全にブラックボックスだから」だ。

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「買うまでわからない。」

これは、突き詰めて考えればほとんどの消費行動に当てはまるものである。

だが、情報商材においてはその特性は突出している

例を挙げてみよう。

あなたが「デパートに入ってるくらいのちょっとおしゃれなレストラン」で「カレーライス」を注文したとする。価格は1,200円だ。

これはおそらく一般的な「民」の感覚からするとカレーとしては「適正価格よりやや高い」くらいの水準と言えるだろう。

・注文した商品がカレーである(適正価格は大衆店で500円~くらい)
・場所が場所だし、材料にもこだわっているはずだし、適正価格より多少高いのは仕方がない

というような認識があるからだ。

「カレー」という商品が明確に想像でき、そこに「少し良いレストラン」という要素が加わることによって、1,200円という価格が「ちょっとした贅沢への対価」として説得力があるからこそ、注文する気になるのだ。

ここで明確に意識しなければいけないのは、カレーに本当に1,200円の価値があるのかは食べてみなければわからない、ということである。

もしかしたら想像を超えて美味しいかもしれないし、死ぬほど不味いかもしれない。

以前食べたことがあったとしても、味付けの方針が変わったとか、新人シェフが作ったとか、そういった要素で「以前評価した価値」と異なる可能性がある。

本当に価値があるかどうかは「今買ってみないとわからない」のだ。

この「買ってみないとわからない」という不確実性(リスク)が最も高い商品が「情報商材」だ。

中身が情報だからこそ

・その内容は本物なのか?
・本物だったとして自分にも実践できるものなのか?
・本物だったとしてそれは価格に見合う価値のある情報なのか?

購入して自分の手元に入れるまで完全にブラックボックスだ。

だからこそ、買い手に情報商材を購入させるまでに必要なプロセスが「説得」である。

この情報商材にいかに価値があるのか、なぜその人が買うべきなのか、なぜ今買うべきなのか、あの手この手を使って説得するのは、「そうすることでしか情報商材は売ることができないから」に他ならない。

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ここまでは良いだろうか?

次に生じる論点は当然「では、いかにして説得するか」だ。


話が飛び飛びで申し訳ないが、レストランで食べる1,200円のカレーの話題に戻ろう。

先ほど、カレーの価値判断を「これまで食べた経験」と「ちょっといいレストランという付加価値」で行うと書いた。

これは実は正確ではない。

先ほどの流れの中で「『これまでカレーを食べた経験』と『ちょっといいレストランという付加価値』で判断する」という記述に無条件に納得してしまっていた場合、やはりあなたはまだ文章に誘導されやすい傾向にある。

これはあなたが「頭が悪い」と言っているわけでは断じてないので、どうか気を悪くしないでほしい。逆に「まんまと納得させられた」というのは、ここまでの文脈をそのまま読み取る力があったということで、一定の読解力を保証しているものですらある。

ただ、覚えておいてほしい。人間は「一見論理的に、さも真実であるかのように書かれている文章は無条件で信じがち」な生き物である。このトリックを回避できるようになるには意識的な訓練が必要だ。

大切なのは「書いてあること自体は間違っていない」のと、それが「唯一無二の正解はある」ことは必ずしも一致しないことを理解することだ。

数学でいう「必要条件と十分条件」と言えば分かる人には分かりやすいだろうか。

もし、「やられた!」と思ったら、今一度このことを理解しておいてほしい。

今、私はその気になればこういった論理をこねくり回して自分の都合の良い結論にあなたを導き、高額な情報を販売してしまうことだって、やろうと思えばできたのだ。

もっとも、このnoteの有料部分は980円と安価だし、しかも返金可能なため実際には金銭を騙し取る意図など微塵もないわけだが。(少なくとも今回のnoteにおいてはw)

話を戻すが、要は「これまでの経験」「レストランという付加価値」で判断していること自体は間違っていないのだが、実際には他にも判断する要素はある。

・50年続いている店だし、不味いわけはないだろう
・友だちの○○ちゃんが美味しいと言っていた
・食べ■グの評価が高かった
・グルメで有名なYoutuberが美味しいと言っていた
・店頭に並んでいたサンプルが美味しそうだった
・行列ができているから美味しいのだろう
・店先からいい匂いがしてきた
・美味しいですよ!と自信満々に呼び込みをされた
・キャンペーンで今だけの特別価格だった
・季節限定のメニューだった

他にも色々あるが、ざっと挙げてみるとこのようなところだろうか?

どれも参考にすべき情報として十分に有益だ。

しかし、

・この店のカレーを食べたことがある(非常に関連性の高い体験)
・この水準くらいの店のカレーを食べたことがある(関連性の高い体験)
・これまでカレーは食べたことがある(関連性のある体験)

という「実体験」に基づいた価値判断こそが最も価値のある情報だということに異論はないだろう。

「いいレストランっぽい」「○○の評価が高い」「見た目や匂いが良い」「店に自信をもって勧められた」というのは、有意義ではあるが副次的な情報に過ぎない。

さて、情報商材に話を戻そう。

先ほどの繰り返しになるが、情報商材というのは今挙げたばかりの「実体験に基づいた価値判断」が極めて困難な商材だ。

だからこそ、売り手は「副次的な情報」を用いて相手を説得しなければ「購入」という行動に導くことができない。

ここまで理解しながら読み進めていただいている聡明なあなたには、私の言いたいことがもう薄々分かっているのではないだろうか?

・その分野で実績ある○○さんが販売している情報だ
・インフルエンサーの△△さんが絶賛していた
・専門家の□□さんのお墨付きだ
・いくつものアカウントが「有益だった」と引用リツイートしていた
・実践して「結果が出た」という報告が多数あった
・結果が出たスクリーンショットが貼られていた
・感謝のLINEやメッセージのスクリーンショットが貼られていた
・沢山売れているのだから有益なのだろう
・今購入した場合だけ、特別にこの価格で買える
・完売次第終了で、今しか購入そのものができない
・高額な情報だから有意義に違いないと思った

どれも「副次的な情報」であり、実際にSNS上などでも情報商材を販売するのに当然のように用いられている手段だ。

なぜ用いられたのかも理解できるだろう。情報商材を売るためにはこのような副次的な情報を用いて説得する必要があると同時に、人間はこのような副次的な情報にも説得力を感じて信じがちな傾向があるからだ。

「最も重要な情報」が完全にブラックボックスである以上、この副次的な情報をもとに判断していかなければならないのだが、そこで大切になってくるのは当然「副次的な情報の真偽」だ。

このような情報が価値を持つことは売り手側は当然知っている。正確には猿真似だけして本質に気付いていない情報商材屋も多いが、少なくとも(売上ベースで)結果を出している商材屋にとっては「効果があるから使っている」くらいの認識は持っているだろう。

本当に価値のある商品を提供し、本当に価値の分かる人間が拡散している、結果を出した買い手が感謝の声を挙げているというのであれば、何も言うまい。

冒頭のベスレヘム・スチールの例でも挙げたように、有用な情報には大きな価値があるのだ。

しかし、現実で起きていることは果たしてどうだろうか?

・売り手の実績の捏造
・「仲間内」のインフルエンサーが中身も見ずに勧めている
・エセ専門家のお墨付き
・口コミそのものが創作
・信者が無条件に絶賛しているだけ

こんな例、もしくはこのような可能性が極めて高い例はいくつも見てきたであろう。

考えてみれば当然のことなのだが、「ブラックボックス」である商品そのものが本当に良いものであれば、これらの情報を捏造する必要などないのだ。自然とその販売を推進するための副次的な要素は上がってくる。

これらの情報が捏造されている、もしくはその疑いが強いというのは、要するに「そういうこと」なのだ。

この「造ることが可能な情報の真偽」というのは最終的に販売される情報の信ぴょう性を判断する上で非常に重要だということがご理解いただけただろう。

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結論に向けて、最後の重要な論点に入ろう。

これまでの記述の中で、2回ほどわざわざあの手この手を使って説得しておきながら、そこで出した結論を撤回して「今納得した奴はまだまだだ」とダメだししてきた。

そう、申し訳ない。最後にもう1回だけ。

先ほど、「副次的な情報の真偽を判断しなければならない」と記述し、その具体的な説明として真偽の判断が可能な要素を列挙した。

しかし、元々挙げていた「副次的な情報」の列挙の中にそもそも「真偽の判断をしようがない」要素が入っていたことにお気づきだろうか。当然、わざと入れていた。

価格や限定数量と言った、売り手が恣意的に決められる要素については「真偽」などは存在しない。あるのは売り手側の意図の「妥当性」のみだ。

このあたりは情報商材に絞って解説したほうがわかりやすいだろう。

たとえば、「100部限定で販売している情報商材」があったとする。

(先に前提として「限定」というのが限定感を煽るために販売戦略上ついている嘘であり、実際は無制限に販売するというケースは除外させてもらう。この点は次の項目で説明するが、今回は「売り手側の明確な意思の元に本当に販売数を制限する」ケースに限定して考えていただきたい。)

一見これは非効率な情報の売り方だ。なぜならば情報に「在庫」という概念はないため、100部販売するのも1000部販売するのも基本的には手間は同じなのだ。

であれば、売上を最大化するためには販売件数を限定するというのは不合理なはずだ。

しかし、こういう要素が加わったらどうだろうか?

「私は実際このノウハウで稼いできました。私を信じてくださる皆さんには同じいい思いをしてほしいので、情報を有料販売します。ただし、あまりにプレーヤーが増えすぎると旨味がなくなってしまうので販売数を制限します。」

このトーク自体が仮に本当だとすれば、販売数を限定するという戦略は本人の利益の最大化において一定の妥当性を持つと判断できるだろう。

次にこんな例だとどうだろうか?

「この価格で買えるのは今だけです。100部売れたら500円値上げします。その後300部売れたらさらに500円値上げします。」

この後詳しく解説するが、「価格設定」については法に触れない範囲においては売り手が自由に設定することができる。

ただ、とはいえ上記のような価格設定を行う意図は何だろうか?

考えるまでもなく、買い手側から思考の余地を奪って「今買えばお得!」と購入を焦らせているだけである。

さらにタチの悪いことには、最初に安価で販売することにより「開始から●時間で●部販売!」と言ったような実績を半ば強引に造ってしまうのだ。これは情報商材界隈の常套手段と言えるだろう。

このような自分の都合だけで買い手の思考の余地を奪うような販売戦略を取っているような売り手の商品が、果たして誠実なものだろうか?一切の断定は出来ないが、大きな判断材料にはなる。

なお、上記合理的な理由なく値上げを繰り返す行為は景品表示法の「二重価格」に抵触する可能性がある。


さて、いよいよ本当に最後の論点だが、情報商材を最も闇深くしているのが「価格設定」だろう。

ラーメンやカレーであれば、ある程度の適正価格は分かる。そこから著しく乖離しているものは「凄まじく価値が高い(低い)」か「ぶっ壊れている」か「ぼったくりか」のどれかだ。

しかし、情報には「適正価格」というものは存在しない。自分の持っている情報を無料で公開しようが1万円で売ろうが100万円で売ろうが自由なのだ。

繰り返すが本当に価値のある情報であれば、高額の値段がつくことそのものは直ちに否定されるべきものではない。

「明日やることを6つ書いて優先順位をつけてその通りにやる」

というだけの情報に8,000万円もの価格がついたのは、その情報が依頼主にとってとてつもない価値を産んだからだ。

しかし、実際はどうだろうか?「これだけの価値がある」という売り手側の一方的ないい分だけで高額な情報の取引が成立しているように感じてならない。

この論点を更に深刻化させているのは、「金額が高いものには価値があると思い込む人間の習性」だ。

全く同じ情報であっても、0円で受け取るのと3,000円で受け取るのと10,000円で受け取るのとでは、金額が高くなればなるほどに買い手も「価値が高い」と感じてしまうのだ。

これは一概に悪いことではない。同じ情報を手にしても結果を出せる人間と出せない人間がいる。実はこの結果と買い手が払った金額には相関性もある

つまり、無料で得た情報であれば「どうせ無料情報だし、適当にやってみて無理だったらすぐやめよう」という気持ちになるのが、同じ情報に1万円払っていると「1万円も払ったんだ!少なくとも元を取るまでは粘るぞ!」という思考になりがちだ。どちらが結果を出せる確率が高いか、考えるまでもないだろう。

ただし、これは当然売り手に無意味に情報を高額に販売してよい免罪符となってはならない

著しく価値の低い(もしくはまったくない)ものを、さも価値があるように見せかけて販売するのは詐欺的な行為だ。

ただし、情報商材で詐欺を立証するのは難しい。なぜならば、「価格の妥当性」を定めるのが困難なように「価値の妥当性」を定めるのも困難だからだ。

「僕は捕まっていない。だから詐欺師じゃない。」

盗人猛々しいとはまさにこのことだろう。

価格が高いことと、商品としての情報の価値が高いことには何の論理的な繋がりもない。

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そろそろ締めくくりに入ろう。

ここまでかなり長くなってしまったが、今回のnoteで重要なポイントとしては以下が挙げられる。

・商品の本当の価値は基本的に購入するまで分からない
・購入の前に商品の価値を判断する最も重要な材料は、これまでの「経験」である
・「情報」の購入においては商品の性質上「経験」という判断要素が一切用いれない。
・経験を用いることはできないが、周辺の付随的な情報より価値の推測は可能である。
・付随的な情報(とりわけ、価格)は売り手がある程度恣意的に操作が可能だ。
・売り手はそれらの副次的な要素を用いて「説得」することにで情報を販売しようとしている。
・価格に関しては「高ければ高いほど価値がある」という買い手の思い込みが、無意味に高額に販売する傾向に拍車をかけている

主張そのものに反論したい、という方は別途議論の機会を設けられればとも思うが、このnoteの重要な主張が上記であることについては異論はないだろう。

ここで、最後の最後にもう一つだけ重要なポイントをお話しよう。

手前味噌だがここまで読んで、筆者が主張したい内容は読者の皆様にとってもかなりクリアになっているのではないだろうか?

ネット上のテキストコンテンツとしてはそれなりのボリュームがあるが、スマホで流し読みしても内容が理解できているであろうと思う大きな理由の一つが、

「体験を提供した」

ことだと思っている。

ここまでの文字数は8,000字弱のボリュームなのだが、読み進める中でこれまでに3回「わざと『それっぽい』主張で読者の説得を試みた上で、それが実は十分な議論でなかったことを後からネタばらしする」という展開を繰り返した。

大げさにいえば「文章で騙した」わけだ。

「情報商材屋が文章で相手を騙す手口」を説明する記述において、その説得力の証明に最も有効な方法は「その場で文章を使って読み手を騙してみせる」ことに他ならないだろう。

この体験を提供することにより、単に文章として「内容が分かった」以上に深い理解を得てもらうことを可能としたのだ。

そもそも、今回の根本的な試みは

「『情報商材に騙されない方法』という『情報商材』を売る」

という狂気的なパラドクスの実現だ。

これは情報商材界隈の現在の惨状に対する痛烈な皮肉であると同時に、社会実験でもあり、ただの悪ふざけでもある。

この無垢なる悪意にまみれたコンテンツの締めくくりは、「実際に情報商材を売る」という形以外に考えられないだろう。

その場で情報商材を購入してもらうという「最後の体験」を提供することによってこそ、このストーリーは完結するのだ。

繰り返すが、有料部分に示した68文字にこそ「悪徳情報商材の本質」が記されている。

ここまでの無料部分を見て、これを「お金を払ってでも見たい」と思われたかどうか、「全体の0.7%程度の情報に課金したいと思われるかどうか」が、社会実験としてのこのnoteの重要な部分である。

とはいえ、私は情報商材で財を成すつもりはない。これは悪ふざけでもあるのだ。だからこそ価格も相応にしているし、返金も無条件で受け付けている。

「内容が不満なら」返金するのではなく「内容が不満だろうが満足だろうが、返金してほしければその意思表示だけで」返金する。

余談だが、noteで返金申請を行う際は返金希望理由を記す必要がある。「その他」を選択いただき「筆者が返金を無条件に受け付けると明言していた」とでも記してもらえればよいだろう。

なお、noteを介さない返金手続きは非常に面倒なので、「購入の証明をいただき次第」、「実入金があった後」、「各種手数料差し引きで」、「アマギフでの」返金とさせていただく。簡単な操作で決済を取り消しできるnoteアカウントの作成が奨励される。

さて、準備はできただろうか?

この先に公開している68文字は、しつこいのでこれで最後にするが、「悪徳情報商材の本質を表したもの」だ。

ここに980円の課金をして得られた経験は、生涯あなたから数十万、数百万という資産を守ることに繋がるかもしれない

しかも、それでいて中身を見た上で返金は自由だ。

これでもなお購入に至らなかったというのであれば、完全に私のスキルの不足に他ならない。


ここまで一切感情を交えずに記してきたnoteであるが、最後の最後なので筆者の願いを聞いてほしい。

ここまで読み進めてくれたからには、正直お金などどうでもよい。見てから返金申請するかどうか決めてくれても構わないし、何なら返金申請することを前提に購入してくれても構わない

どうか、私のこの渾身の悪ふざけの結末を、あなた自身の選択でその目で確かめてほしい。

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