『アーモンド』 2019

ソン・ウォンピョンー
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watermelon330@naver.com

1) 失感情症(アレキシサイミア、alexithymia)は、脳の部位のうち扁桃体が正常の大きさより小さい時に発生する症状である。 アーモンド型のこの部位が感情や恐怖など情緒記憶において重要な役割をするため、扁桃体の問題が生じれば恐怖を感じないなど情緒と関連した問題が生じることになる。

2) 小説の主人公ユンジェは生まれた時からこのような症状を持っており、母親と祖母の世話の中で成長していた。 感情を直接的に感じることはできないが、そのような感情を感じる人々と生きていくために必要な「社会的反応」を間接的にでも身につける方式だった。 そんなある日、無差別殺人事件に巻き込まれて祖母は死亡し、母親は約束のない病床生活をすることになり、周りのおかげで生計を立てていく。 そんな中、歪んだ人生によって歪曲された方式で感情を表出するゴンに会うことになるが、感情表現の不能と歪曲された感情の過剰表現という2つの奇異な出会いがお互いを変化させる。

3) 怒り、恐怖、悲しみなど否定的な感情は避けたいが、同時に私たちが避けるべきことが何かを知らせる機能をする。 そのため、一般的に失感情症のような症状を持つ人を私たちは不思議に思い、小説でユンジェの母親もまたそのような子供の短所を知り、これを補完するために努力する。 しかし感情が道徳的でより「人間的な人生を生きていくために必要だと言って感情を感じることができる自身がユンジェより良いという考えを生半可にしては困るだろう。
重要なのは感情を感じる能力そのものだけでなく、感情を正しく·感じる能力だからだ。 本の序盤、「無条件犯罪」を犯した者の怒り過剰、傍観だけしていた人々の恐怖過剰、ねじれたゴンイの感情表現などを考えてみよう。 あるいは利己的本能と欲望の表現に没頭し、そのような感情を高尚な用語で包装し、弁明するのに忙しい現代人こそ感情表現の不能者たちではないか? あるいは、自分の感情の表現を抑圧し、特定の共感だけを強要する社会の雰囲気こそ、現代の歪んだ感情状態を助長するのではないだろうか?
私たちは感情を単に持っているのではなく、それを適切に使うために絶えず訓練し努力しなければならない。

4) 私たちは、失感情症をはじめ、精神健康医学科で診断する疾患を持つ人とその家族を無意識的にでも罪人扱いをしていないか省察する必要がある。 社会生活の困難は、単に医学で規定した疾患のタイトルを持つ人だけが経験するものではなく、犯罪を犯すにあたって、そのような疾患は必要条件ではない。 小説ではユンジェの母親の姿を通じて、そのような精神的な違いを持って生きていく人に対する態度から、私たちが学ばなければならない点があるのではないかという気がする。 作中、「救うことのできない人間なんていない。救おうとする努力をやめてしまう人たちがいるだけだ」というフレーズは、あきらめないことの偉大さと難しさを同時に表現している。

他人が特定の状況でそれに相応しい感情を持つと期待するのはある意味当然のことではある。 そのような当然さに基づいて他人に対して予測可能な期待ができ、これによって社会的な礼儀や行動様式がより安定的に形成されるためだ。 ただし、そのような「相応しい感情」というものが固定されていないという点を私たちが想起しなければならず、そのような期待によって正常な人間の範疇から排除され、それ以外の不利益を受ける人が生じかねないという点を土台に私たちは自らの反応を常に警戒しなければならないだろう。


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