我聞慎二によって私は『凪のお暇』を自分の物語として受け取れた


 本当にタイトルの通りでしかないのだけれど、私が何かについて感想をちゃんと持てること自体が稀なので、noteに書いてまとめておこうと思った。

 凪のお暇と私の出会いは専門学校生の頃にネット広告でちらっと読んだことだった。最初は絵柄の可愛らしさに惹かれたけれども、人間関係の因果を解き明かしそれを乗り越えんとする主人公の大島凪の姿に心が惹かれた。漫画を滅多に買わない私は(当時は常に金欠だった)悩みに悩んだが、結局単行本を揃えることに踏み切った。
 ただ、当時は絶賛OL時代の凪のように周りに気を遣い誰にも不快な思いをさせずしかし周囲に対して斜に構えた見方をしていた癖にどこかこの物語に対して他人事だった。なんとなくふわっと「凪は生き方を変えようと本当に頑張っている。一生懸命生きるのって素敵だな」と考えているに過ぎなかった。
 それが急にこの物語を自分ごとに感じたのは、我聞慎二が自らでからあげを揚げようとした瞬間だった。
 我聞慎二は大島凪の元恋人で、今は会社の後輩の市川円という女性と付き合っているが、市川円のネガティブな性格に少し嫌気がさしており凪に未練を持っているという立ち位置のキャラクターだ。また、売り上げ成績のよい営業マンでもあり、受動的に空気を読む凪と違い主体的に空気を変えるだけの能力がある。会社でストレスで過呼吸になり退職、そこから100万という限られた貯蓄でエアコンもない安アパート暮らしを始めた凪とは対照的な人物だ。
 我聞慎二は凪の健気さに惹かれる描写が多く、特に料理について高く評価していたし、恋人にする女性については料理が上手であって欲しいというありきたりな理想を持ってもいた。最新刊でも交際中に食べた凪の手製のからあげを褒めている。しかし、最新刊の展開ではそんな彼がお暇の中で変わっていく凪を見て、自分自身でその唐揚げを揚げてみようと決意する。

 私はそのシーンを見て、これは「自分で自分を満足させるということを描いた自律の物語なのだ」と腑に落ちた。それまで、『凪のお暇』には何度も何度も同じように自律について描かれていたにもかかわらずだ。
 凪が誰かの車に乗せてもらうのではなく自分で自転車に乗って海を見に行こうとするシーンとか、もっと他でも腑に落ちるシーンはあったはずだと思うのにと不思議に思う。けれど、大それた響きのすることではなく「自炊」ということを通して自分を自分で満足させようとする慎二の姿が私には一番響いた。その行為の卑近さによって私は心を動かされたのだと思う。
 我聞慎二は登場時は凪に対して非常に高圧的で、シビアなリアリストであり私にとって嫌な奴だった。だけど、彼も自分の人生をより良くしようと、人や社会に合わせたある意味で受動的で依存的な生き方を脱しようとする姿を見ると憎めないなと思うし「それなら、私も」と頑張ってみようかと思える。
 これまで「面白いな」としか思っていなかった漫画を「パワーをもらえる」漫画にしてくれたのは嫌な奴だった慎二だった。こういう、初対面の印象に惑わされずにその人の今を見つめて、いいと思った部分は素直に受け止めることを大事にしたい。

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