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「ちょうどいい」大きさの経済——内沼晋太郎×堀部篤史×中村勇亮(4)

Talk 本屋として生きるということ(4)

割り算レベルで経営はできる

内沼 少し話は戻りますが、数字ではなく、価値観とか生き方を重視されているとおっしゃいましたよね。けれど、店長として雇われていた恵文社時代と違って、自分でお店を経営するようになると、結果としてのビジネスにもより意識が回るようになるのではないか、という気もするんです。一年お店をやられて、経営に関する感覚は、店長時代よりもついてきたという実感はありますか?

堀部 どうなんだろう……でも結局、計算の仕方は恵文社時代と一緒ですからね。前からずっと頭で試算するのは好きでした。今日は売り上げが三〇万で、雑貨はこれぐらい売れていて、スタッフ何人いるから今日は赤字だな、とか。そういう暗算レベルはすごく得意なんですよ。
 でも、データベースとかエクセルとかは本当に大嫌いなんです。暗算でできる範囲のことは常に考えてるので、原始的な商売人ですよね。銭勘定みたいなものは前から好きなんですよ。実家が蕎麦屋だったし、子どものころから売り子もしてました。大晦日だと蕎麦がものすごく売れるのでお金も入ってくる。そういうのが好きなんです。
 だからたぶん、経営感覚は元々あるんですけど、ビジネス手腕としては全然長けてないと思います。結局、精密なデータが必要になるのは、もっと無駄をなくしたり、もっと貯蓄を増やしたりしたい時じゃないですか。「これくらいで食っていける」「あれくらいは買える」程度の計算でやっているから、そこは洗練されていくけど、それ以上のことはできない。ただ、バランス感覚でいうと、割り算までの感覚はずっとあるので、それは恵文社のころの延長なんです。給料をもらっているけど「これでこの給料か。もうちょっといけるな」みたいなことは常に考えてたし。だから「ビジネス」はわからないけど「商売」は好きです。割り算まででできる商売。

面白いことを続ける

内沼 オープンした当初は、不安もあると思うんです。ここ一年で本を五冊出版されていますけど、「不安だからやめておこう」とか「一冊出すのをやめてお金を貯めておこう」と考えてしまう方向も、あり得ると思うんです。けれど、そうしなかった。本を出すことが結果的に、宣伝やブランディングにもつながっていった。それはビジネスというか、商売そのものだし、先行投資だと思うんです。結構、攻めの経営をしていると感じるんですが、そういう自覚はありますか?

堀部 確かに投資もあるんですけど、商売をしていると感覚的なタイミングがあるんですよ。だから、「正直、今出すのきついな」と思うけど、「なんとかこれを乗り切ろう」ということもある。それは投資とも言えるし、商売としての流れをつかむことでもあります。その両方の言い方ができますよね。だから経営スタイルというよりは、流れをつかんだ結果とも言えます。
 話を戻すと、恵文社のころより自分の面白いことをやりたいという姿勢が前面に出ているんですけど、内輪の店にはしたくないんですよ。その感覚は京都の店を見てても思います。やっぱり、両方あるんですよ。
 例えば左京区に、すごく面白いけど変で、親とかを普通に連れていけない店とかがあります。夜はカウンターに常連が集まって、ずっと酒飲んでワイワイ盛り上がって、でもライブもやってて、カウンター以外には普通のお客さんがいたりする。
 そういうのをいろいろ見ていて、「こっちじゃないけど、これぐらいでいたい」というバランス感覚はあります。両方あるんですよ。自分が発信するものは内々に向けたメッセージかもしれないけど、パブリックなものもある程度保ちたい。両方がないといけないというのは、色んな店に行ってみてすごく感じます。

共有している「いいお店」

内沼 それは線引きが難しいものだと思うんですが、たとえば「ここまでやったらだめだ」という判断は、どのようにされていますか?

堀部 仲間内で共有しているんです。先輩が「あ、そこは危ないな」とか教えてくれる。自分の考えではなくて、受け継いできてるものなんですよ。「あそこの店行った?」と聞いてみて「あそこは良いよね」とか、みんなたくさん蓄積があるんですよね。フランクなのと礼儀がないのとは違うとか、面白くても料理がまずかったとか。そういうのは店をやっていると、なんとなく分かってくる。
 当たり前のことだけど、例えば毎日時間通りに開けてない店はだめですよね。そのへんをしっかりしていない店はどんなに面白い店でもだめだし、それは商売とは違う。あと、知り合い以外もちゃんと来ることです。知り合いだけで回っていてもそれはちゃんとした商売ではなくて、内々の遊びだと思う。
 だから、良い店の価値観を、自分ではなくて先輩や街のみんなの意見で何とか吸収してる感じです。一方で、「あの居酒屋は行ってもすごく杓子定規な対応だから面白くない」という意見もありますよね。四角四面だと面白くない。「ちょっと融通を利かせてあげてよ」と思いますよね。
 なんとなくみんなでそういう価値観を醸成していっている感じです。それは京都ならではなんですよ。自分発信ではないというか、みんなで共有していることなんですよね。

「ちょうどいい」大きさの経済

内沼 それは、先にも触れられた「文化を作っている」という感覚のことですね。たしかに、東京にはない感覚かもしれません。

堀部 東京にもないわけではなくて、要は「くくりかた」だと思いますよ。例えば、阿佐ヶ谷の中だけで狭く見たら、あるわけです。でも東京って、全部地続きですよね。あと、選択肢がありすぎる。たぶんスポットで見たら独自の文化はすごくあると思うけど、そこだけで完結している人は少ないかもしれませんね。

内沼 大きな資本が攻めてくるのが早すぎるということもあると思います。B&Bがある下北沢でも、店をやっていたりよく飲んでいたりする人で、下北沢らしい価値観を大切にしている人はたくさんいます。でも、家賃がどんどん上がっていくんですね。本当は少しずつ醸成された文化によって人が来ていたのに、まわりから大きな資本が入ってきて、中の人たちが居られなくなるぐらいの家賃になってきている。その結果、文化がなくなってしまえば、期待されていた人も来なくなるかもしれない。そういう、街のスクラップ&ビルドを恐れる感覚はあります。

堀部 サイクルが早いですよね。それは絶対数が多いからだと思いますよ。メディアや流行を追う人が京都の何十倍いるわけじゃないですか。そうなると、そういう人に影響されてしまう。地方都市だからこそ自分のペースで動けるメリットは絶対あると思うんですよ。だからこそ面白い店ができると思います。
 先の話に戻りますけど、「面白い」というのは、最先端のものや珍しいもののことではなくて、自分やコミュニティ内での価値観だと思うんですよね。他人のスタンダードに惑わされないというか。これは、これから店をやる条件としてすごく大事だと思います。面白い人はどこにでもいるし。逆に東京にいる面白い人が地方でコアなことをすると、シビアではない環境のおかげで持続できるかもしれないですよね。
 東京だと、規模が大きくても絶対数も多いから成り立ってしまう。でも、この高松では、大きい規模では成り立たないと思います。二人でこの規模とこの予算でやるからこそ成り立つわけで、それぐらいの店だからこそ可能なんです。そうなると、すごくちょうどいい感じですよね。
 京都は素敵なものがたくさんあるのではなくて、素敵なものが少ないからそれを共有している。ブランドとして価値が大きいものや最先端のものは、すぐ数字に換算されますよね。でも、自分にとって良いものは全部、本当は相対的なものなんですよ。自分にとって「ちょうどいい」という感覚。その感覚がわかるのは、文学的、文化的な人です。数字に換算しないとわからないというのは、本を読んでないからなんですよね。数字にするのは一番理解しやすいですし。

小さく、長く続ける

内沼 さきほど、店の売上は落ち着いてきて、通販は伸びしろがあるというお話がありました。店での販売を伸ばすのは難しそうですか?

堀部 難しいですね。これは恵文社のころからです。「何かをやれば必ずお客さんが増える」ということはない。これだけはどうしようもないです。どれだけ面白い店を作ったとしても、社会に影響されますから。若者の人口が少ないとか、情報ソースが他のもので補われるとか。それをコントロールできると思っていたら、店をやるのは厳しいですよね。でも、今の規模であれば、何とか努力で保てると思います。

内沼 下がらないように努力している感覚ですか?

堀部 そうです。上がったらラッキーだと思っていますね。もう自分の努力とか因果関係で上がることは少ないと思います。それが出来るならどこの本屋さんも上手くいっているはずなんです。
 だから、今のお店で一番良かったのは、最初に小さく設計したこと。大きくしていたら、結構しんどかったと思います。最低限で考えたのがよかった。
 「ビジネス」のレベルだと計画性が大事かもしれないですが、「商売」のレベルだとコンセプトとか数字ではないんですよね。どれだけ「サードプレイス」とか謳っていても、実感とは全然かけ離れたりしますよね。そもそも、そういうものが好きな人がやっていたら、自然とそうなると思うんです。
 最初よりも五年後、一〇年後が結果的によくなっていく店が、本当だなと思います。ビジネスの考え方は逆ですからね。計画があって、それに達してなかったら価値がないことになるわけですから。

(了)


中村勇亮(なかむら・ゆうすけ)
一九八二年生まれ。信州大学人文学部卒業。新刊書店で三年勤務した後、商社に勤務。退職後の二〇一七年八月、香川県高松市に本屋ルヌガンガをオープン。

堀部篤史(ほりべ・あつし)
一九七一年生まれ。立命館大学文学部卒業。学生時代より編集執筆、イベント運営に携わりながら恵文社一乗寺店に勤務。二〇〇四年、店長就任。商品構成からイベント企画、店舗運営までを手がける。退職後の二〇一五年一一月、京都・河原町丸太町に誠光社をオープン。

※『これからの本屋読本』P254-P259より転載


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