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旅支度のたのしみ

第1章 本屋のたのしみ (4)

 だから本や読書は、よく旅にたとえられる。一冊一冊の本にはそれぞれの世界があり、本を読むということは、その本の世界の中に入っていき、旅することだと。

 また同様の視点で、逆にあらゆるものが、本にたとえられる。

少年 でも、そんなところ、飛べやしないね。(笑う)
天文学者 飛ぶ? (ひどく生真面目だ)
 空は飛ぶためにあるんじゃないよ。
 空は読むためにあるのだ。
 空は知るためにあるのだ。
 空は一冊の本だ。

寺山修司「飛びたい」『ジオノ・飛ばなかった男』(筑摩書房、一九九四)所収 九五頁

 あらゆる世界が本のなかにあり、同時に、あらゆるものが本のように読み得る。そして同じものを読んでも、誰もが違うものを読み取る。同じ目的地に旅しても、人によって見ているものや、感じたことや考えたことが違い、違う旅になるように、同じ本を読んでも、百人いれば百通り、印象に残った箇所や、感じることはばらばらだ。ひとつとして、同じ読書というものはない。
 
 だからときには、危険な旅になることもある。

カフカやヘルダーリンやアルトーの本を読んで、彼らの考えていることが完全に「わかって」しまったら、われわれはおそらく正気では居られない。書店や図書館という一見平穏な場が、まさに下手に読めてしまったら発狂してしまうようなものどもがみっしりと詰まった、殆ど火薬庫か弾薬庫のような恐ろしい場所だと感じるような、そうした感性を鍛えなくてはならない。

佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』(河出書房新社、二〇一〇)三〇頁

 本屋に並んでいる一冊一冊が、何が起こるかわからない旅への切符のようなものだ。本屋で過ごす時間は、いわば旅に出る前の、準備の時間に似ている。どこに行くか考え、いくつかの場所について調べる。決めたらフライトやホテルを取り、必要なものを揃え、荷づくりをする。

 その一連の時間にしかない、独特の楽しさがある。旅好きの中には、そうした旅支度の時間のほうが、実際に旅をしている時間よりも楽しいという人さえいる。

 本屋を回りながらあれこれと、背表紙を眺めたり興味のあるものを手にとったりすることの楽しさは、それに似ている。これを買ったらいつ、どこで読もうか。この本に書かれた物語を体験する自分、知識や情報を得る自分を想像する。そのような、本屋で本を選ぶ時間もまた、ときに本を読むことと同じか、それ以上に楽しい。結果として、読み切れない量の本を買いこみ「積ん読」することとなり、部屋に本が増えていくことを嘆きながらも結局、それを楽しんでいる人も多いはずだ。

※『これからの本屋読本』(NHK出版)P18-20より転載


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