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いま紙の本を選んで届けることのささやかな意味

第3章 本屋になるとはどういうことか (8)

 二〇一六年を象徴する「今年の言葉(Word of the year)」として、英国の辞書オックスフォードが「ポスト・トゥルース(post-truth)」を選んだことは、記憶に新しい。アメリカ大統領選における偽ニュース問題と時を同じくして、日本では「WELQ」騒動が重なった。

 ブレグジット、トランプ、そしてDeNA以降の社会のありようを、海外のメディアは秀逸にも「post truth」(ポスト・トゥルース)と名付けた。のどごし勝負の市場原理、すなわちニーズ至上主義と、それをドライヴすることにおいてなににもまして威力を発揮するデジタルテクノロジーが手を組むことによって生み出されたこの奇怪な現象の奇怪さは、それを批判したところで批判がまったく意味をもたないという点にある。
 なんせ相手は閉じた系のなかでウィンウィンの関係にあるのだ。である以上、その系のなかにいる人間は、外部に耳を貸す義理もなければ義務もない。いや、市場という外部の信任を得ている以上、それは「正義」ですらある。そこでは議論はおろか、対話すら成立しない。

若林恵『さよなら未来』(岩波書店、二〇一八)四〇三~四〇四頁

 インターネット上に無料で置かれるコンテンツの多くは、どれだけの人に見られるかという数字を成果として求められる。テレビでいうところの視聴率のように、ウェブメディアではページビュー(PV)、SNSではリーチ数やシェア数、フォロワー数などといった数字で表される。それらはビジネスにおいてはコンバージョン(CV)や広告収入という形の、個人のプライベートにおいては承認欲求の充足という形の、いわゆる報酬になる。

 その結果、二〇一八年現在のインターネットには、真実か否かよりも市場原理が優先された、反射的にクリックしたくなる「ニーズ」に沿ったタイトルをつけられた「のどごし勝負」の情報があふれている。それらの情報は、検索などで能動的に選び取られるだけでなく、パーソナライズされたアプリやSNSのフィードによって受動的に届けられる。同じインターネットを見ているようで、ひとりひとり違う、自分に都合のよい情報にさらされている。個人の意見を述べているつもりの主張が、だれかの利益を補強していく。

 こうした「ニーズ至上主義」的情報の多くは、いわば娯楽や実用のための情報であり、現代の「草紙」であるといえるかもしれない。インターネット上だけでなく書店の店頭にも、そうした本は並んでいる。いかにも「ニーズ」に沿った、わかりやすく欲望を刺激する、ネットで流れて来たらいかにもクリックしたくなるようなタイトルの本が、山ほどある。さらにいえば、信憑性の薄い「ニセ医学本」や、差別意識を煽る「ヘイト本」などは、まさしく「ポスト・トゥルース」的な本だ。そしてこれらはいまに始まったことではなく、ずっと前から存在する。

 それらの本はもちろん「ニーズ」があるので、大量の部数が刷られ、まとまった数が売れる。多くの旧来型の書店では、よほど誰かが意志をもって拒否しない限り、出版流通に乗っているその手の本は自動的に入荷する。同じシステムのもとで、どのような本も分け隔てなく扱うことこそ、特定の思想に偏ることなくフラットで、本屋のあるべき姿である、と考える人もいる。けれどぼくは、その考えには明確に反対する。その先には、本屋までがテクノロジーに吸収される未来しか待っていないからだ。

 紙の本のほうが、情報源として信頼できるという考え方がある。しかしそれは、インターネットユーザーが少数派だった時代の、とっくに過去のものだ。インターネットには確かに「ポスト・トゥルース」的な情報があふれていて、大多数はそれに流されてしまうが、一方で注意深くその情報にまつわる言説を眺めていれば、度を超えた偏りや明確な間違いは誰かによってすぐに指摘され、必要に応じて瞬く間に修正される。

 一方、紙の本は独立して存在する印刷物で、それを読んだ人にしかわからないぶん、気づかれにくい。気づかれたとしても、インターネットと接続していないから、その情報の悪質さが拡散され修正されるというようなことが起こりにくい。いま、手に取った人を間違った方向に導きやすいのはむしろ、明らかに紙の本のほうだ。「ポスト・トゥルース」的な本は、紙の本が長年かけて培ってきた信頼を、悪意をもって利用しつつ、食いつぶしている。

『WIRED』日本版の元編集長である若林氏が指摘しているように、「ニーズ至上主義」とテクノロジーは、ものすごく相性がいい。それは「閉じた系」の中でただ加速していくだけだ。売れているのであればよいと「ニーズ至上主義」的に本を売り続けていれば、その需要予測は加速度的に的確になり、自動的に配本されるようになる。やがてロボットによって陳列されるようになり、AIが執筆するようになる。いや、そうなる以前にその手の情報はすべてインターネットに代替され、問いかけるまでもなくAlexaが語りだす。その流れにあるリアルの書店など、確実に必要とされない。

 人間の「本屋」にしか生みだせないものがあるとしたら、それは個人の偏りをおそれずに、豊かな偶然や多様性をつくりだし、誰かに差しだすことだ。もちろん個人は万能ではない。けれどそこにはシンプルな、人間同士の信頼関係があればよい。できる限り正しくあろうとする個人が選んだ結果、「ニーズ至上主義」で流れてくる情報とは異質で、ほどよくランダムで、多様な驚きがある。その「本屋」を信頼した客が、その世界に身を置いて出会う偶然をたのしむ。そういう体験を生み出すことこそ、「本屋」の仕事であるべきではないだろうか。

 だから、これからの「本屋」の仕事は、本をできるだけ誠実に選ぶことだ。できるだけアンテナを張る。わからないことには無理に手を出さない。新刊の洪水が続く中、自分がわかる範囲で、できるだけ胸を張って、意志をもって差し出せそうな本を選ぶ。個人として、できるだけ正しくあろうとして、少しずつ、全方位的に目配せできるよう努めていく。誰も完璧であることはできない。できていないことも自覚しながら、少しでも誠実な場を提供することで、客との信頼関係を築いていく。

 世界を動かすのはことばだ。「本屋」という仕事は、どこかの誰かのものの考え方を変え、感情を動かし、その人が誰かに語りかけることばを変える力をもつ。それは、ときにおそろしく感じられる。けれど、ひとりの「本屋」にできるのは、選ぶことに誠実に向き合い続けることしかない。

 自分の仕事が、この世界で「読まれる」ことば、それを通じて「話される」ことばの質にかかわるという自覚。本を手渡す回数を積み重ねることが、世界を変えていくわずかな実感。それは重大だ。けれど、蔓延する「ニーズ至上主義」に個人として抗うことができる唯一の方法だ。せめて身の回りの大切な人々が、単純な快楽に食い物にされないように、ノイズとしてのことばを、その種を蒔く。そんな手応えを感じられる仕事は、なかなかない。

 この先は、いよいよそのための、実践編に入る。具体的に「本をそろえて売買する」つもりの人は次に続く別冊を読んだうえで、当面そのつもりのない人は別冊は読み飛ばして、第4章に進んでほしい。

※『これからの本屋読本』(NHK出版)P107-P112より転載


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内沼晋太郎

ブック・コーディネーター、クリエイティブ・ディレクター。新刊書店「本屋B&B」(東京・下北沢)と出版社「NUMABOOKS」を経営しつつ、「八戸ブックセンター」「神保町ブックセンター」「BIBLIOPHILIC」などの仕事をしています。散歩社取締役、バリューブックス社外取締役も。

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