なんとなくネットの海に置いておきたいこととか?自分についての備忘録

なんとなくネットの海に置いておきたいこととか?自分についての備忘録

最近の記事

5/10

実家で飼っていた猫が息を引き取った。 思い出が記憶からふと引きずり出されると、反射的に涙が出る。 完全に記憶になってしまった。実体がおらず、今後もともに変化していくこともない。 それはそうと今週は忙しいのだ。忙しくて良かったのかもしれない。 いや、分からない。死んで悲しい、という感情が短絡的すぎて逆に猫に悪いと思い、死んだという連絡を受けた直後は涙を出さないように堪えた。次の日も用事があったので、目が腫れていると良くないなと思い、少し間を置いた。 実家猫に対する思いとか思

    • 3/26

      なんだか落ち込んでいるので、書きにきた。 落ちこんでいるのは低気圧だからか、友達が皆大きな選択をして先へと歩いているからそれへの焦りなのか、寂しいのか、向き合いたくないのかなんだか分からない。こんな感情に向き合う前に理性的にすべきことはがたくさんあるので、とりあえずここに書き散らしに来た。 書かなくても、書き出してもなんかうっすら自覚はしているんだと思う。というか上に書き出したこと全ての合わせ技な気がする。 今やりたいことは本を読んでA3の紙に絵とか文字とかごちゃっと描

      • 3/7

        忙しい。忙しいがすぎる。私は忙しいのが本当に嫌いだ。忙しさの種類にもよる。何が一番嫌だって締め切りに追われることが最悪で、自分の課題に追われることも勿論嫌だけども普通に締切が嫌すぎる。でも締切がないと課題に追われないので矛盾している。 向き合いたくない気持ち。恥ずかしいなぁ。でも旧友とおしゃべりして反芻する思い出で濁した。はーはっは!最高、友達ってね。

        • 2/18

          昨夜からB6のマメ本に妙な愛着が湧いてしまった。本棚の使ってないリングフォルダーの間にテキトーに挟まれていて、抜いたら床にバラバラと落ちたんだけど、A4とかB5のチラシが落ちているより断然可愛かった。大抵汚くなりがちなデカ目のかみよりいいね という下書きが残っていました

          2/14

          料峭(りょうしょう):春かぜが肌に薄寒く感じられるさま という言葉を一つ覚えた。季節を表す言葉はオノマトペというか音の纏う色味まで綺麗で羨ましい。まさにスッとした空気感と空気の冷たさが感じられる。 和煦(わく):春の日差しがのどかで暖かいこと こちらも素敵な、ワクワクってもしかしてここから来てるんじゃない!?って思うくらい良い言葉。教室の暖まった床とカーテンの透け感とかが情景として思い浮かぶし、何か鳥のようなイメージも抱く。 粛殺(しゅくさつ):秋の冷たい空気によって

          2/11

          今日はとても良い日だった!こうふわふわした膜に包まれて、自分がマシュマロになったみたいな、感情も吸収と弾力で弾んでるようなそんな日でした。寒いけど手袋がないからダウンの袖をギュッと締めて自転車のハンドル握ったり、化粧もちょっと丁寧に濃いめにしちゃおうかなとか、洗濯物も柔軟剤を多めに入れちゃおうかなとか、ケチって頼まないものとかやりたいけど抑えていたものとか何か知らないけどはしゃいじゃう、そんな1日。23歳、冷たい空気と晴れやかな天気に起きて外見たら罪悪感に苛まれるときもあり、

          2/9

          今日はとても眠い。眠さを誤魔化すためだけに今キーボードを叩いている。カフェインの錠剤を飲みながら、徹夜する未来に既に疲弊してしまって、うだうだしてしまった時間に後悔する今の私。 ああ、私って思考のプロセスに盛り込むべき基本情報を尽く欠いてしまっている。ただ一筋、何かいいところが私にもあるだろう、見つけてくれ、そうでもしないと私は反省と恥ずかしさだけで今日が終わってしまう。という誰にも伝えることのない祈りのような願いのような哀しみだけ、今私と現実のディスプレイの中にある。

          2/8

          生理だ。何もかもうまくいかないが、うまくいかないことの説明がやけにすんなりと出来る貴重な一週間だ。説明はできても、飲み込みには少し引っかかりながら、クールなふりをして生きるしかない。 血を出しながら、散漫になる思考はどんどん下降していく。嫌な感情が先行しているのか、わざわざ嫌なことや引っかかったことをついでに思い出してしまう。たとえば、私が当時読んで好きだった詩人の話を、友人は他の人に話した。話した相手はその詩人のことを知っているようだった。ここまでなら全く構わない。友人が

          2/7

          やらないといけないことがある。しかも今日までというかなり急なものだ。1/3は終わった。純情な感情。 タイトルを日付にしているせいで、否が応でも締切を思い出す。そしてもう2022年が始まってから1ヶ月も経ってしまっている。怖いことだ。小学生の時の1ヶ月なんて月水金と土日に塾に行き、人間関係と国語算数理科社会を学んでいた。なんたる23歳の怠惰。この三日間くらいyoutubeの長さの動画を見るのもしんどくてtiktokを見ていたくらいだ。数秒数分の刺激を大量にスクロールしている作

          11/26

          気が急いている、というよりかそうでもしないと終わらない量のタスクが先に見えている。実は少しずつ片付けたら終わるのかもしれないが、終わらないような気がしているし、スマホのカレンダーにはびっしり計画が日々書き込まれている。早く今年が終わって欲しい。 今この文字を打っている右腕が痛い。なんか指を動かすと手首の内側がピリッと痛む時がある。厄介だな。 迷っていることは多々あり、いいものを作りたいというそんな気持ちと、それを形にするまでの技量と時間の無さと戦っている。ここは粘りたい気

          10/26

          今日は好きな漫画の新刊を読んだ。 という下書きが残されていた。きっといい日だったんだな。

          10/24

          起きてから布団を干して冬に向かう準備をした。まだ昼だけれどかなり良い1日になっている感じがする。日々寒くなっていっているので布団が日々のメインになってくる。もうじきぬくぬくだね。 そんなこんなで、私はついつい映画を見たり小説を読んでしまっているのだけれど、実際は研究の方が優先順位が高くないといけないのでダメである。良くないなぁと思ってはいるものの中々手が伸びない。私が好きでやっているはずなのに… というのも難しい理論や言説への言及を避けたいが為に何か良い方法がないか探って

          10/1

          久しぶりに日記を。ようやく秋学期が始まった。きちんとしたケジメに。 授業もぬるっと始まってなんだか困惑する。夏休み前は気合を入れて休もうなんて思ってもいなかったのに、結構本気で気合を入れて休めた気がする。”休む”という点に関しては、身体がリラックスしたというわけではなく、久しぶりに社会的活動や趣味に少し歩んだというようなことで、コロナ禍の間延びしたたぷんとした時間を有効に使ったという達成感なのかもしれない。 先日は映画を見た。”ドライブ・マイ・カー”である。もう少し勉強し

          10/21

          タイトルに日にちを入れたらもう今年も10月なのかと感慨深くなってしまった。別にただの10月で私が23歳であるだけ。来年もそんなに気にも留めずにしれっと24歳になっているし、24歳の10月もしれっとやってくるに違いない。 最近は自分の好みがなんとなく分かってきた。好みに至るプロセスも含めて。だがなぜこれが好きになったのかの背景を考え出すと薄さが際立ってきてしまうような気がしていて未だに”なぜ好きか”に踏み込めないでいる。少しだけ覗いてはもう辞めようとする。 今日は高速バスの

          9/9

          久しぶりに日記を書く。とりとめのない日常が一番心地よいのに、感情の起伏があんまりないからか忘れがちになってしまう。という自戒。 今日は初めてのワクチンを打った。やっと1回目のワクチンが回ってきた。色々思うことはあるが、とりあえず打てて少しだけホッとした。かといってデルタ株にはスルーされてしまうんだっけ…?と曖昧な情報だけ覚えている。いつの間にか毎日3回くらいチェックしてはため息をついていた都内の感染者数の数値も最近はあくまで受動的な情報として受け取らないとキツくなってきた。

          8・25

          日記すら書いていなかった。何かをしているわけでもなく…。 無為にすぎる時間とその中で私はただ生存している。目が痛い。適当に薬を飲んでいるからか、昨日は飲み忘れてしまい見事に頭痛がきた。医者から処方してもらう薬はすごいもので、いつも痛み止めを飲んで歯を食いしばりながら2時間くらいのたうち回っているのに、今朝は15分くらいで痛みが引いた。 韓国ドラマを見るのは映画よりも容易い。映画によって引き起こされる感情にとても疲れてしまうのが面倒なのか、見る映画を選ぶたびに名作映画を見る