白い壁を観て恐怖する

おれが恐い死は、この短い生のあと、何億年も、おれがずっと無意識でゼロで耐えなければならない、ということだ。この世界、この宇宙、そして別の宇宙、それは何億年と存在しつづけるのに、おれはそのあいだずっとゼロなのだ、永遠に!おれはおれの死後の無限の時間の進行をおもうたびに恐怖に気絶しそうだ。 大江健三郎、『セヴンティーン』(新潮文庫『性的人間』掲載)

『セヴンティーン』の主人公の少年は、死の無であることの恐怖に耐えられず右翼に入る。彼にとっては、個人を超えた思想体系という巨木の枝葉になることが救いのリアリティだった。レオ・ バスカーリアによる『葉っぱのフレディ ―いのちの旅―』にも通じるものがある。一枚の葉っぱとしての生涯は些細で有限であっても、それは大きな幹に繋がっている営みなのだ。

わたしは23年前、阪神淡路大震災に遭遇した。自宅は倒壊の危機を免れる程度の破壊で済んだが、余震と地鳴りに恐怖は尽きなかった。そこで、家族で近所の体育館に避難することにした。ところがわたしは信仰者としての、今となっては滑稽なプライドから、「ぼくは教会に避難する」と、一人だけ当時通っていた礼拝堂に身を寄せた。

ふだんは優しい信徒たちも余裕がない。わたしはべつに彼らから意地悪をされたわけではない。だが、彼らの誰一人笑わぬ顔。黙々とスープを取り分け、すする音。「今すぐ終末が来たとしても主よ、感謝します、アーメン!」と狂ったように祈る一人の神学生の声に苛立つ、他の宣教師や信徒たち。わたしの心は萎え、心細くなり、最後には折れた。結局わたしは翌日の夕方、人目を避けて教会のパンを一個掴むと、体育館へ向かった。体育館に行く途中、教会員とばったり出会い挨拶をされた際には、万引きを発見されたように縮こまった。先方はただの笑顔の挨拶だったのだが。あのとき見た夕焼けはムンクの『叫び』を了解させた。

体育館の剣道場には人がたくさん寝ていた。だが、それは勘違いだとすぐに気づいた。みんな寝ているのではなく、安置されていたのである。立っているわたしを押すように、トタン板や戸板に載せられて次々と遺体が運び込まれる。自家用車で連れて来られる遺体。ポンペイの石膏標本のように最期の姿のまま死後硬直しているため、かけられた毛布が盛り上がっている。屈曲した体、虚空へ挙げられた手。震災直後から食糧らしきものをほとんど食べておらず、まともに眠ってもいなかったわたしは、「気絶する」でもなく「呆気にとられる」でもなく、とにかくあらゆる思考感情が無い状態でそれを観ていた。

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