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街を「美術化」する

通勤途中の道は、田舎育ちの私にはひどく都会的で、いつになっても慣れない。
似たような服装をしたビジネスパーソンたちが、ビルが立ち並ぶオフィス街の方角へ、早足で闊歩しながら進んでいく。
広い通路はスーツや色の濃いコートで埋め尽くされ、まるで黒い運河が流れていくよう。
その流れに、当の私もあれよあれよと組み込まれていくのだが、キャリアウーマン然としてコツコツと足音を響かせながらも、自分が街という巨大な機械の一部になっていくような心地がして、いつも少し顔をしかめて歩いている。

でも、今日は嬉しい発見があった。
いつもの人工の波に従いながら、無機質なビル群に反射する朝日を尻目に、黙々と会社に向かっていたときだ。
道の脇に、カジュアルな服装をした5、6人の男たちが塊を作っていて、オフィスビルにカメラを向けていた。
何かのプロモーションのためなのか、単に街の風景を撮りたい写真家なのかは分からなかったが、なかなか高性能なカメラに見える。
カメラマンの横に並んでいる数人は、三脚のようなものに設置されたパソコンの画面を覗き込んでいて、撮った写真を編集かなにかしているらしい。
気になって、すれ違いざまにチラと見たら、思わずハッと振り返ってしまった。
画面に映っていたのは、目を惹く芸術的な写真だった。
優れた現代建築の一角を写したかのような、洗練されたアート作品の原石だった。

その写真は脳裏に焼きつき、今朝は、見慣れたオフィスビルをまじまじと見つめながら歩くことになった。
うんざりする毎日の通勤路が、たちまち最先端の現代美術に満ち、見違えるように輝き始めた。
わざわざ美術館に行かずとも、アートは街にある。
都会は美しいと思った。


なんでもない普段の風景でも、好きになれない風景でさえも、捉え方次第で「美」になる。
だからもっと、風景を「美術化」する力を養いたい。
そうすれば、きっと毎日がアートに満ちて、目も心も豊かになるだろう。

最後まで読んでくださってありがとうございます。 わずかでも、誰かの心の底に届くものが書けたらいいなあと願いつつ、プロを目指して日々精進中の作家の卵です。 もしも価値のある読み物だと感じたら、大変励みになりますので、ご支援の程よろしくお願い致します。