ストロボライト 青山景
写真の表現方法の一つとして「多重露光」がある。
これは複数の露光を取り入れること、今でいう2つ3つのレイヤーが重なった画像を作るといったところだろう。
同じ空間時間にいるはずのない複数の被写体が同時に映ることによって、新たな表現ができる。
漫画『ストロボライト』もそういった作品である。
漫画1つの中にいくつかの見方があり、それを同時に摂取できる。
以下、
レイヤー1 大学時代
レイヤー2 電車とQ9
レイヤー3 考察
3つのレイヤーを介して感想を書こうと思う。
なおレイヤー1の#10以降はかなりネタばれになるため、
読了した人を想定している。
こんな格好つけているが、この作品を購入した動機は単純なものだった。
八王子ヴィレッジヴァンガードの奥。薄暗い本棚の中、POPとともに紹介されている『ストロボライト』があった。
表紙を見たらわかるだろう、白黒でアップに映っている少女に見つめられジャケ買いした。
単純に可愛かったのだ。
レイヤー1 大学時代
#1
主人公風の男性が、電車のボックス席内で原稿を書きながら実和子と電話をするところから#1がはじまる。
浜崎は大学の花見で、浜崎の好きなQ9(マイナーな映画)を知っている女の子ミカと出会う。
一目惚れよりも強い運命を感じたのだろう。「この人は俺と同じなんだ」と。
コフートのいう双子自己対象体験だ。
ミカによい姿を見せたく見栄を張ってしまう。わかるなあ。
こんな運命的出会い(双子自己対象体験=マイナーな趣味がわかり合える相手)ができたんだから、もっと好意が欲しい。よい姿を好きになってほしい。
だが、好きな人にカッコつけたが、そのカッコいい姿という像と現実の自己のズレが大きすぎてしまっている。
実際、現実はそうじゃないだろと仲間たちにツッコミを入れられているから悲しい。
カッコいい姿の像が不安定になると自暴自棄になって、全てを壊して、飲んで、小説のデータを捨てて消去してしまう。
そうすることで、小説が書けない自身を正当化しているのだ。
それと同時に、一目ぼれしたミカへの恋心も一時、捨てている。と思う。
カッコいい姿の像ではない、ダメな俺ではミカと釣り合わないだろうと感じたのだろう。
この恋心は気の迷い。俺なんて小説も書けないダメ男だ。そんな男とミカが同じ場所に立てるわけがない。と。
手の甲をケガしながら原稿データを探しているときに、
ふとミカを見ると、Q9の女優、桐島すみれだとわかる。
擦り切れるほど見た憧れの女性と目の前のミカを同一視して。
軽くあきらめた恋心が戻り。むしろ、どうしようもなく好きだと感じた。
俺はダメな男だけど、そんなのどうでもいいくらい、ずっと追い求めていた女性が目の前にいて、普通の大学生のように出会っている。
その状況に強く興奮したのだと思う。
#2
変な見栄を張らずに、そのままの姿が素敵だと言っている。
浜崎はその真意を知らずに、鈍感な反応をしてしまうが。
一応、この時点でミカも浜崎のことを気にかけていたことがわかる。
さらにハンカチを返した際の自販機前での沈黙、それぞれのグループに分かれたあとの振り返り。何気ない描写だが、私もあなたに興味がありますよ、と無言で伝えている。
(沈黙はお互いに興味があるというのを意識しつつ牽制しあっている)最高だな。
好きという気持ちの探り合いこそが、出会ってから付き合うまでのあの感じという至福だ。
これは脈アリサインを誤読してしまう危険性と常に隣り合わせだ。だが、答え合わせのしていないぶん、相手のことを考える時間が多くなり、自動的に好きになっていく。
逆の例を挙げよう。「30歳までに、お互い独身だったら結婚しようよ」という約束だ。
この約束をしてしまった時点でお互いに好きという気持ちを共有してしまっているのだ。
だからそれ以上の恋愛になかなか発展できない。恋愛のピークをその言葉で伝えてしまったのだ。
後半、ミカへの気持ちでいっぱいの浜崎だが、
実和子(大家の娘)がいつものように自宅に勝手に入っていることに怒る。
実和子が浜崎に好意を持っているというのが、浜崎自身わかっているかは不明だが。
好意を持たれていることがわかっているのであれば、けん制の類だろう。
#3
浜崎の書く小説にはゾンビや宇宙人がでてくるという。
これは他人の気持ち悪さや哲学的ゾンビのことを指していると思える。
浜崎は双子自己対象体験的に、対象を自己と同一視しているところがあるが、
性別など明らかに異なる点があり、その未知の部分をもってゾンビなどの言い回しになったのかもしれない。
ミカが浜崎を好きかどうか相談しているところにも同一視がうかがえるな。
p46,p47 浜崎の部屋のコマに流れる時間がとても好きだ。
告白しようか迷う、ミカへ電話する、終わった後の沈黙。
決して長い時間が経っていないはずなのに、感覚としては妙に長く感じ。
電話が終わってしまえば、はやく当日にならないか、いやそんなすぐに来てしまったら心の準備ができていない。といった葛藤。ミカへの思い。混沌してドキドキする。
ミカの方も、告白されるとわかっている顔なのがいい。
服装を見ると、もうコートを着なくなった季節まで2人はいい雰囲気だったんだなとわかる。
告白しようと思って、でも気を紛らわそうと始めた会話が楽しくて、気が付いたら告白するタイミングを失っていて、
気合を入れなおそうとトイレに行くところも大好き。
余裕のない童貞男子と余裕のある女子の対比がたまらなく癖なのだ。
#4
あのーー
あのあのあのーー
一緒にお勉強なのにまったく勉強に熱が入らなかったシチュって最高じゃないですか?
#4に関してはそれをゆっくりと、もう読者がその場にいるかのように描かれている。
しかも最高なのはミカの描かれ方。
背中しか描かれていない。顔が見えない。「ふむふむ」「テレビつけてていいよ」なんて余裕をみせる。
そんな余裕なんてないのに。
見直すとかわいく思えるしぐさにキュンとくるだろう。
ミカといったら、「やっぱりドキドキしちゃって、一行もできないや…」からのスピード感たまらなくない?
「僕もドキドキしてた」なんて言わせないほど鼓動の音が紙面に広がり、
ドキドキ感じていたのは自分だけじゃなかったんだ、一緒だったんだと、思ったことが言葉にできず、
ただ唇を奪うの。
水がこぼれているのに気づかないくらい本能のまま2人が一緒になる超熱いシーンでしょ。
こんなに求めて求められるというのを伝える臨場感でこちらまでドキドキしてしまう。
#5
ミカとの初めてのセックス。
男なんだからリードしなきゃ、本能的に押し倒して……と慣れない浜崎と
ふふ、可愛い、メガネ外そうね……とスムーズなミカの対比がいい。
しかし#5内で大学時代の2人を書いたコマは少ない。
#4からもあったのだが、#5は特に、途中のQ9シーンが多いのだ。
これは、町田ミカに桐島すみれを重ねていることを表現していると思う。
2人が重なるシーンを断片的に見せて印象付けたり、
桐島すみれを投影していると強調したり、
また単にQ9の内容を読者へ伝えたりしているのだろう。
#6
実和子ちゃん回。
松永信二を探して調査している。
その理由はというと
と意味のわからないことをいうのだが、これについては後の考察で語ろう。
調査なんてのはどうでもいい
喫茶店からミカと松永が会っているのを見たという事実が大切だ。
#7
いきなり間テクスト性の話をされる。これも考察のほうで語りたい。
今日はしたくないアピールしてるのに、バリバリ鈍感でなかよし求めてくる浜崎に童貞臭さを感じるなとてもいい。
元気がないことと、自分で癒されない存在になってしまったかのように感じることとを重ねてしまっているのだ。
それでキスをもとめてしまいにはセックスしてしまう。ミカが流されてる感じも、リアリティがある(男性の権力が上位である感じ)。
また、この作品はセックスシーンはQ9の殺人シーンを描いている。
さて、『ストロボライト』のテーマの1つとここで対面する
俺にはなにもない、
浜崎は刑事と同じ無力だと言われたシーンだ。
だが、実和子の「…やっぱ、ハードボイルドはきっついぜ……」をふまえると、解釈は変わると思う。
実和子は自身の感情を抑えて、先のことを浜崎に言っていたのだ。
加藤ユキ(=桐島すみれ=町田ミカ)は能力なんていらないって言ってるけど、能力がないと釣り合わないよ。
だから小説書きなよ。小説書いている浜やん、私は好きだよ。
実和子はこういった気持ちで伝えていたのではないだろうか。
#8
浜崎、自身の劣等感をミカにぶつけているのだ。
私はこれに、痛く、共感して、自己嫌悪する。
あらためて、
ミカに双子自己対象経験的に、浜崎自身と同じ存在だと同一視していた。
ここで#8冒頭のQ9を見てみると浜崎の心情がわかる。
しかし、ミカは浜崎とは異なり就活をしている。
俺と違ってしっかりしてるじゃん、ミカって大人じゃん。
なんだ俺だけ子どもだったのか。
一緒だと思ってたのにな。
そういった劣等感と同一視とのズレから逃れるため、浜崎はミカにあたっているのだ。
酒を飲み、自身の才能を卑下し、自嘲する。
才能とか、能力とかそんな目で見えないもので好きになってもらったわけじゃないのに、
どうしてもそれを求めてしまうのだ。
だけれどうまく伝えられなかった。
「もし、たとえ正君が小説を書かないとしても、
私の気持ちは変わらないから…」
人間として好きなのだから、頑張ったからその分好きとかじゃない、
そう言いたかったのに、浜崎は誤読してしまう。
せっかく成長しようと思って、ミカのいる位置まで追いつこうと思ったのに、
そのまま劣等生でもいいよと言われたかと感じたのだ。
結局、ミカと同等になって「同じ」でいたかった浜崎と、優劣なんて関係なく互いを尊重し合いたいミカのすれ違いなのだ。
#9
浜崎の小説を書く姿が好きな実和子は、
小説を書かなくなった浜崎を揺さぶるため、
秘密にしておこうとした松永信二のことを話してしまう。
浜崎の心情としては、
ミカが就活をしていることにくわえて、松永信二と会っているだなんて、
同一視していた対象が急にとてつもない異物に感じて、
実和子からもうそんなこと聞きたくない気持ちと、それでも知りたい気持ちが拮抗し、
時間が止まり、頭が真っ白になり、そんな情けない自分を見つめている。
映画の世界?
ミカはやぱり自分の世界から離れようとしているんだ…
あんなに近くに感じたのに遠くに行ってしまう
追わないと
会わないと
確認しないと
俺はミカが好きだ
行かないでくれ
#10
走った
ミカ!
ほんとうは俺じゃなくて松永が好きなのか?
町田ミカを見ていたと思った浜崎は、Q9の加藤ユキ、女優の桐島すみれを分けることができず
自分の好きな対象の像が町田ミカとはずれたものであると、ミカに、加藤ユキに、桐島すみれに言われた
#11
「違う!! 俺が好きになったのはミカ自身だ!!」
ほら、証明しよう。身体だって好きなんだから、本能的に求めているんだから。
ミカを押し倒した、加藤ユキを、桐島すみれを押し倒した。
だが、Q9の描写の中での殺人は失敗に終わってしまった。
Q9での殺人描写は現実のセックス描写であるので、つまりセックスできなかったのだ。
そうズボンをおろそうとする浜崎にミカは「帰って。」と言った。
#12
ミカとわかれてしばらくして、実和子と付き合った。
ある日、ミカからハガキが来たのをきっかけに、久しぶりにミカに会いに行こうと決意した。
夜行列車の中で、文章を書きながら。
作品の核をつく1文だ。
つまり#1から始まっていた大学時代の青春劇は、今浜崎によって書かれている文章だったのだ。
#最終話
浜崎は夜行に揺られながら、文章を書く、浜崎正を書くことで、ミカとの破滅的な関係を見直していったのだ。
そうやって見直すことで、加藤ユキや桐島すみれを通して町田ミカを見ていた過去だったり、
「才能なんか人間の価値と関係ない」という言葉を誤って認識していたことわかったりするのだ。
間テクスト性という言葉があった。
テクストは後から来るものが先に来ていたものの原因にもなる。
振られたという事実しかわからなかった浜崎が
文章を書くことで、その結果の因果を解いたのだ。
レイヤー2 電車とQ9
電車
電車内と大学時代の2つの世界が存在する。
黒に白文字で書かれる文章からわかるように、
電車内に居る男が、大学時代の世界を「書いている」のだ。
大学時代はまるで映画のように地の文で説明されない世界
作品中モノローグとしては表現されず、すべて文章の体をなしている。
(そのため四角の囲みの中に心情描写が書かれることはない)
#12がネタバレというか漫画の構造を説明している回である。
この漫画の大学時代も、電車内の実和子も、浜崎によって書かれたストーリーなのだ。
書かれて初めて存在することは以前からも書かれている。
過去に起きた傷が書かれて後の身体に影響を与えている。
・浜崎の手の甲の傷
・実和子の虫刺されの痕
この2つが、もともとは描写させていなかったが、大学時代の青春劇を書くことによってあらわれるのだ。
Q9
くわえて、Q9という映画のシーンが心情描写に使われている。
桐島すみれと町田ミカを同一視していたことを強調させたり、
セックスシーンを殺人シーンとして描写していたりする。
レイヤー3 考察
こういった「メタ」な構造をとっている作品であるが
もう一歩俯瞰して見ることはできないのだろうか。
p24の言葉を借りると
↓
つまり、
20歳の春から始まる浜崎正(大学生)の青春劇を書いている浜崎正(大人)を描いている青山景(作者)という構図だ。
浜崎正(大人)は自伝を書くことによって、町田ミカと出会いなおすことができた。
青山景さんも、この漫画を描くことによって、何かと出会いなおしていたのではないだろうか。
作者の中のどうしてもひっかかっている、人生の傷を癒していたのではないだろうか。
そう考察することができる。
『ストロボライト』は、
ストーリー上は大学時代の甘酸っぱい青春を詳細に描き、それだけでも価値があるのにもかかわらず、
漫画のメタな構造と、作者の人間性も感じられる構造がまとまった作品だ。
大学時代の青春部分では
同じマイナーな趣味から運命を感じたり、恋人相手に自分の理想を投影してしまったり、相手が「進んでいる」と感じて劣等感を抱いたり、
共感できる部分があまりにも多い。
慣れない女性との付き合い方も、ぎこちなさが懐かしい。
漫画の構造を知ると、作品としての完成度に驚かされ。
また、青山景さんがこれを描いて自身も思い出の輪郭をなぞり昇華していたとしたら。そのメッセージを受け取り、実行していきたい。
実行しているのかもしれない。
私もまた、この記事を書きながら、傷を癒しているからだ。
ストロボライト
青山 景
太田出版
2009/8/4