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好きな作家の話【中井英夫】

 好きな国内作家を聞かれた時間違いなく挙げるのは、中井英夫、山田風太郎、江戸川乱歩、横溝正史の四人。もう少し広げると丸谷才一、岡嶋二人、夢野久作あたりが入ってくる感じかな。
 で、今回は中井英夫についてです。

中井英夫が好きなんです。

 何を何回読んでもその文章の美しさに震え上がり酩酊してしまうのはダントツでこの人。
 文庫版全集に「ことばの錬金術師」とありましたが本当にその通りで、ずっと読んでると高濃度のアルコールをしこたま飲んだみたいにヘロヘロになってきます。なので少々ずつ、じっくり摂取するのが(個人的には)望ましい。

 黒天鵞絨のカーテンは、そのとき、わずかにそよいだ。小さな痙攣めいた動きがすばやく走りぬけると、やおら身を翻すようにゆるく波を打って、少しずつ左右へ開きはじめた。それまで、あてどなく漂っていた仄白い照明は、みるまに強く絞られてゆき、舞台の上にくっきりした円光を作ると、その白い輪の中に、とし若い踊り子がひとり、妖精めいて浮かびあがった。

『虚無への供物』

 人外(にんがい)。
 それは私である。
 ことごとしくいい立てることでもない、殊更に異端の徒めかすつもりもない、ただ、いまは用いられることも少なくなったこの言葉に、私はなお深い愛着を持つ。人非人というニュアンスともまた異なる、あるいは青春の一時期に誰しもが抱くあの疎外感、いわれもなく仲間外れにされたような寂しさなどではもとよりない、ついにこの地上にふさわしくない一個の生物とでも定義すれば、やや近いかも知れない。どこかしら人間になりきれないでいる、何か根本に欠けたところのある、おかしな奴。そう呟きながらも、なお長く地球の片隅の小さな席にへばりついている哀れな微生物。

『薔薇の縛め』

 ──私はあの眼が欲しいだけだ、あの愁いの眼が。君はまだ気づいていないのか、いま地上のあらゆる女の眼から、愁いと哀しみのいろだけは消えてしまったことを。その心に溢れている筈の哀しみは、決してそのまま結晶することなく恨みとなり妬みに変って、徒らに瞋恚の焰しかあげないその女たち。底意地の悪い眼ならいくらもある。無知な眼、小狡い眼もそれに劣らない。驕慢な眼、蔑みの眼、昂ぶりの眼もなんと多いことか。そして稀れには凜々しい眼、初々しい眼、無邪気な眼、清純な眼、優しい眼もいくつか残されていて男たちを慰めはするけれども、深い哀しみに拉がれたままの無防備な眼は地上から、尠くとも日本からは忽然と消えた。それがどんなに大変なことか、まだ誰も知らない。その事実に気づいていないばかりじゃない、その意味の片鱗も悟っていないとは何ということだろう。いま愁いの眼をした女人は私の愛する人形たちにしか残されていず、それも作りかけの途中にだけほんのときたま顕われるという実情を知ったなら、男たちもこの人間世界がもう半ば崩壊しかけているのだと悟ることだろう。

『人形たちの夜』

 どうですかこの読んでるだけでクラクラするような文章。凄まじくないですか。
 他にも美文をほこる作家はたくさんいるんでしょうが、これまで私が読んできた中で、真正面からぶん殴られるような美の衝撃を感じたのはダントツで中井英夫でした。濃密すぎて息切れがしそう。

 これだけキラビヤカでウツクシイ文章なのに、中井英夫の小説ってどれも、どこかしら、何かを拗ねてるような感覚がある気がします。いや、それが正解かどうかは知らないですよ。知らんけど。何となく、下から上へじと~~っと睨めつけてくるような。暗がりから光を見つめてるような。そんな「陰の者」の気配がするんです。
 多分この文章でどストレートな恋だの愛だの光だのを書かれていたら、そこまでハマらなかった気がするんですよね。「文章はきれいだけどお話はつまんない」で終わってた(私にとっては)。
 キラビヤカにじっとりしてるんです。なんか。美々しいのに薄暗いんです。どこか。そこが好きなんです。
 暗いからこそウツクシイというのか。
 日光ではなく月光のウツクシサというか。
 黒い炎というか。
 毒入りの美酒。
 ツヤヤカな白蛇。
 静かで暗くて美しくてじっとりしてて、でもゴリゴリ自己主張はしてくる感じ。好きな人はめっちゃ好き。ダメな人はとことんダメ。なんかそんなイメージです。

ちょっとした因縁というか。

 私にとってはちょっと因縁のある作家でもあってですね。うちの両親見合い結婚なんですが、交際期間中、父が母に『虚無への供物』を貸したそうで。母は「こんな小説があったのか!」と感動して、それが割と決め手っぽくなって結婚したそうで。
 こっちにしてみりゃ「やめときゃいいのに……」「いらんことしやがって英夫……」ですよ正直。この父親というのがまあまあろくでもないタイプのアレで、端的に言うと私そっくりな人間だったので。場所がどこであろうとキレたら大声で怒鳴り散らかすタイプのおっさんでした(※私はそれはしないですよ)。話し始めたらなんぼでも恨みつらみが出てきちゃうのでやめときますけども。
 ちなみに私という人間についてはこちら↓

好きな作家には違いないけど。

 で、正直ついでにもうひとつぶっちゃけてしまうと、中井英夫の作品、私、全部をちゃんと読んだわけでも内容を覚えてるわけでも、まして全部を理解してるわけでもないんです。多分この「高尚な雰囲気」に酔ってるだけ! みたいな部分もかなりあります。読後の感想が「なるほど分からん」しか出てこないものもちょこちょこあったりした記憶が……(しかもそれが何だったかもあんま覚えてなかったりするんです)

 すごく恥ずかしい話なんですけど。一時期、こう、高すぎるプライドをこじらせた上でのマウンティング行為的に、中井英夫の作品は全部目を通しているし全部理解している、みたいな顔をしてたことが。ありました。あああ恥ずかしい……。ごめんなさい……全部は読んでませんしさっぱり分かりません……
 日記やエッセイなんか全然読めてないですし(中井英夫の日記って気分がどんどん沈んでいくのであんまりちゃんと読む気になれない……)、小説も「わかりやすい好きなやつ」ばっかり読み返してるので、そういう意味では「大好き」って言いながら全然詳しくないんですよね……
 そういえば「中井英夫についての本」みたいなのも一応持ってはいるんですけどほぼ開いてないです。

 読んだ中で好きな作品は

1:とらんぷ譚
2:人形たちの夜
3:虚無への供物

 という感じなんですが、とらんぷ譚の中でも『悪夢』と『真珠母』は「ちょっとよく……わかんなくなってきた……」という記憶が強くって(もうどんな話だったかも曖昧)、しょっちゅう読み返すのは『幻想博物館』と『人外境通信』ばっかり。お話としてわかりやすいのじゃないとついていけなくなっちゃうので……文章はどれもこれも最高なんですけど。
(ちなみにとらんぷ譚の中で特に好きなのは『チッペンデールの寝台』『大望ある乗客』『火星博物館』あたりです。『虚無』は紅司さん推しです)

考えるちから。

 思えば私、「自分の頭で考える」ってことをほぼしてこなかったんです。何についても物事の表層をなでていくだけ。何についても考えない。「理解するための努力」を一切してこなかった気がします。そういう姿勢も、今の自分の惨状を形作る一因だったりするのかしら。

 今回、改めて「やっぱり中井英夫好きだわ~~!」って気持ちを再確認して。でもそうしたら、理解を諦めてほったらかしにしてる作品があるのがこれまで以上にもったいなく思えてきました。
 せっかくなので。今年は中井英夫の作品のどれかをどこかで読み返して、一度じっくり、じ~~~~~~っくり考えてみたいと思います。正解を出すとか出さないとかじゃないです。正解とかは多分ないです。ただ自分なりに、「これわけ分かんないけど私なりに考えてみたらこういうことなんじゃないかなって」みたいな。そういう結論に達してみたい。

 今回別に「学び」とか「自己受容」とかそんな話をするつもりは全然なくて。単に「好きな作家の話しよう」「じゃあ中井英夫だ」みたいに書き始めただけなんですけど。何だか新年にふさわしい目標を見つけてしまいました。何かのお導きかな。
「読んでみた、そして考えてみた」的な記事も、今年中になんとか書けるように頑張ってみます。何読もう? あんまり記憶にないのがいいな。完全に中身を忘れちゃってるやつは「完全に分かんなくて放置・忘却した」可能性が高いから。頑張ってみます。
 

(おまけ)

 個人的にめっちゃくちゃ好きなのが、この文章力で「いかにピーマンが嫌いか」を綴ったくだり。

 ピーマンはかれら即ち精巧な自動人形の科学者たちが、ついに作り出した怖るべき〝贋の自然食品〟であり、これほどの高度の技術は決して人間たちにはなかった。だが、それだけにこの人工野菜のいやらしさは比類がない。
 まず駄目なのは、その外側の色である。
〝ヒト科生物に与える緑の効用について〟とか、〝残存遺種の緑色に対する反応〟などという、もっともらしい研究のあげくに、かれらは贋の野菜の第一号に緑の色を選んだのだろうが、そのいくぶん暗ぼったい色調は、決して本物の野菜にはない不快なもので、おまけに蠟状の物質で不自然な光沢を与えたため、かつての遠い記憶、母の時間を夢のように奏で出すあの優しい緑とは似ても似つかぬものになった。瘤のように盛り上がった形状も嫌味なもので、同じように肩を怒らせ、同じように緑の光沢を持つといっても、印度林檎のあの親しい手応え、あの優雅な重さ、そして流れるような色調と較べてみれば、この食品の卑しさは一目瞭然である。
 しかもこれに包丁をいれてみれば、かれらの失敗はなお歴然とする。かれらはこれに匂いを与えた。しかしその匂いは、これまでのどんな野菜にもない、鼻粘膜を刺す異臭であって、同じく唐辛子の類として売られてはいても、原体とは似ても似つかぬ刺激臭がどれほど堪えがたいものか、もともと嗅覚の研究が一番遅れているかれらには想像もつかなかったのであろう。そして内部の、ついに充たし得なかった空洞!(後略)

『鏡に棲む男』

 すごくないですか? 私こんな詩的に「ピーマンがきらい」って言ってる人初めて見たんですけど! わけ分かんない! わけ分かんないけど好き!
 以前、漱石が自転車の練習する話を読んだことがあったんです。その時これを思い出しました。「なんて文章力の無駄遣いを……」みたいな感覚。だいすき。うん。やっぱり中井英夫好きです。わけ分かんないけど!


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