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「インド残酷物語」世界一たくましい民  池亀彩著 読書中に考えたこと

p162 解説:インドの「消えた女性たち」

1990年にノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センは、世界で1億人以上の女性たちが消えていると発表した。2020年には、インドで4.580万人が、中国では7.230万人が消えている、という。

具体的には、胎児の性別判断で女児と分かった段階で堕胎され、誕生しても、たとえば母乳を与える期間が男児より短く、食事も少なく与えられ、無視され、雑に扱われるため、死にやすいのだという。

数十年前の日本と同じように、男児は財産を継承し、教育を受け、良い仕事につき、家と家名を継承し、墓を守ることを期待される。日本と違ってインドでは、結婚の際、嫁の持参金が少ないと生きたまま火をつけて殺されたりする。恐ろしいことに、2011年には、8.616人が亡くなったそうだ。

私は最近、世の中の暮らしと日本の行く末を、ぼんやりと考えることが増えた。安普請の家を二階、三階と、勢いに任せて建て増ししてバブルを膨らませていたような40年前の獏とした不安よりも、今は床が抜けて地下まで落ちて、まだ地面が割れてグラグラ揺れそうな、そんな不安がある。

そうして考えていく中で、女性が生きにくいことが、この不安をより深刻にしているのではないか、と思うようになった。

日本で無意識に求められる女性像を突き詰めて言うと、しとやかで慎ましく謙虚で奥ゆかしく、男性のアシスタントをこなし、掃除や洗濯や介護や育児や料理や、そして仕事までも完璧な人だ。

その上、黙って言われる前にやるべきことをしておき、盆と正月にはお土産持参で義理家族と交流し、女中のように働かされても笑顔でいる。「いや、もうそんな昭和のようなことはないよ」とここで突っ込んでほしいものだ。

現にそういう人がいるかいないか、ではなく、みんなの無意識の中に「そうあったらいいのに」という気持ちが潜在的に潜んでいて、たとえばタレントやセレブや皇室の人が結婚した時、ついそういう振る舞いを期待し、そうであったら称賛したいと思っているのではないか、と私は疑っているのだ。

というのも、私が割とわきまえずに、ずんずん質問したり、期待に沿う答えを外したり、参加したくない集まりに欠席する時に、難しい空気が形成されるのを経験してきたからだ。

それでもまだ、言いたいことを我慢している自分がいる。やりたいことを後回しにしている。「そういうやり方じゃなくて、こうしたら誰にとってもいいのに」とか言いたい時もある。でも黙ってる。たぶん人は、模範的な女性像の型枠からはみ出す私を、「わがままだ」とか「変わってる」とかいうだろう。

私の父方の祖父は、父が14歳の時に死んだ。祖父は地方の士族の家で生まれた。父が大正7年に生まれた時、母親となった人は祖父の三度目の妻だったと聞き、私は変な感じがした。それは「嫁入り三年、子無きは去る」を二度していたと聞いたからだ。

どう考えても、それは変だった。財産もない、名家でもない、ただ「士族」の家柄だったというだけの家なのに、女性の結婚と離婚がこんなにも軽視されたのかと思うと、去っていった彼女らへ何と言ったらいいのかわからなかい。

歴史の本を読んでみると、家の名前を残すために、かなり頻繁に養子縁組や非嫡子の、つまり正式でない結婚の跡取りを系図に組み込んできたのがわかる。「家系」という抽象的な系譜をつなぐためにはそれが必要だった時代もあったが、個人が平等に扱われる建前になった現代ではもう意味をなさない。

私が義務教育を受けていた昭和のころは、学級委員長は男子生徒に決まっていた。どんなに成績が良くて人望があっても、女子生徒は副委員長にしかなれないものだった。それは川が上流から下流に流れるように、当然の自然なことだと、その頃そこでは誰もが思っていた。

高校へ進学するために中学の終わりになると、進学クラスと就職クラスに分かれた。私より成績もよく、人柄も出来た人が、何人もあっさりと就職クラスへ行ってしまった。勉強して余計な知識を覚えてしまうと、性格が歪んで偉そうになってしまうから、「嫁の貰い手」がいなくなる、と親が思っているようだった。

白無垢の花嫁衣装に意味づけられるように「家風に染まります」という従順な労働者を女性は期待されていたからだ。三番目の子どもだった私に親は、困窮する中で上二人を大学進学させたあと、家から通える短大に通わせてくれた。

電車で通学しているときに、信号停止した窓の外をふと見ると、クラスで一番できた生徒だった人が、着物を着てパーマをかけて、背中に赤ん坊を背負っているのを見て「いったいいつの時代なんだ」とショックを受けた。

私は深刻な病気ではなかったが、食が細く、貧血気味で、病弱だと思われていた。なんとなく親の言うとおりに行動し、黙っていることが多かった。今思うと、生命力に欠け、自分の人生を自分で切り開くという意思が無かった。

卒業して親のコネで金融機関に就職すると、そこは「花嫁候補者」の戦場だった。都会ではもう「独身貴族」が自由を謳歌していたが、地方の家族制度の名残を重視する人々は、「我が家にふさわしい嫁」を探しに、身元のしっかりした、見目美しい若い女性の仕事ぶりを見に、客目線で品定めしていた。

「クリスマスケーキ」と揶揄されたように、24歳まではなんとか、25を過ぎると「オールドミス」の仲間入りのような空気があった。当時私はそんな世間の常識のことは遠くに聞いて、意味を持てない時間の、自分のやるせない気持ちを持て余して、趣味の七宝焼に給料を費やして勤しんでいた。

「セクハラ」という言葉はまだ無かった。生命保険のおばさんが、職場にやってきて、男性社員の机の上に、カード大のヌードカレンダーを置いて行った。私はそれを見るのが不愉快だった。そんな時、契約をとるために関係を持つ人もいるという噂を聞いた。

職場の同期の話からは、「飲み会での嫌な話」が漏れてきた。それは単に「変なことをされた」とか、「〇〇さんに注意」というような、曖昧な捉え方でしかなく、「セクハラの被害にあっている」という時代ではなかった。

「永久就職」を勝ち取った人は、職場の全員を招いて「結婚退職」の花道を飾って去ったが、「嫌なこと」に遇った人は、いつの間にか退職していなくなった。ある時廊下ですれ違った才気煥発の先輩が、枯れたひまわりのようになっていて、その後姿を見かけなくなったことが今も気になる。

インドや中国や日本では、さまざまに事情は異なるけれど、人口の半分を占める女性が、不遇にあることは否めない。社会のシステムは男性用に出来ていて、権力者のお眼鏡にかなわないと、そこに入り込むことはできない。だが、何か私たちにできる方法はないのだろうか。

たとえ社会全体を一足飛びに変えることはできなくても、一人ひとりの心がけで、少しずつ空気を入れ替えることはできるかもしれないと思うことが1つある。

私が遅い結婚をして、都会で孤独な育児を10年した後、パートで働いたスーパーで、店長の提案に従うパートさんを見て「ちょっとなあ」と思ったことがあった。

それは、野菜売り場のパートに「料理見本を家で作ってきてほしい」という頼みだった。「いいですよ」と即答したパート女性だったが、それが当たり前に要求されるようになると、材料費だの燃料費だの手間賃だの、そもそもパートとは時間給で雇われているのに、家事の合間に仕事を優先して割り込ませて、「タダ働き」を求められることに、次第に嫌気がさしてきたらしかく、愚痴をこぼしていたのを見た時だった。

私は「いい人が搾取されるんだなあ」と思った。いつも「良い返事」をしてしまう。期待される振る舞いを進んでしてしまう。でもそういう時「躊躇して黙ってしまう」という人もいる。同じような境遇のときに、難なく脱出する人がたまにいる。

チラチラと本音をもらす。「それいくら出します?」とは聞けないけど、「えー、どういうことなんですか?」と問題を表に出す。「タイムカードはどうなります?」と聞いてみる。「これって仕事ですよね」「ダンナに説明しなきゃいけないので」と他人を巻き込む。

人口の半分を占める女性たちが、少しずつ「抵抗」する。ちょっとずつ「めんどくさい人」になっていく。それが、結果的に自分を守ってくれる「コツ」ではないかな、と最近ちょっと思っている。

何かの本に「独裁者は一人ではなれない」とあった。その周りにいる追随者、それを見ておこぼれに預かろうとする人、どちらでもいい人、黙って見ている人、勝ち馬に乗りたい人など。

つまり、熱心に独裁者を作ってしまうのはほんの少数で、「風見鶏」のような人と、無関心な人が体制を作ってしまう。だからこそ、ちょっと抵抗することは、ツルツルの面をガサガサにして、大きな家具が動きにくくなるように、地震に耐える抵抗となるように、小さな声が役に立つのではないか。

私は独身も長かったから、独身の気分も持っているし、正規職員の期間もあったから恩恵にも浴したこともあるし、時給パートの経験もある。だから女性を既婚、未婚で分けたり、正規、非正規で分けたり、子あり、子無しで分けたりと、分断するようなことは無意味だと感じている。

誰でもどんな可能性も持っているし、いろいろな境遇に出会う可能性も持っている。自然と人間が関係を切れないように、男性も女性も、健常者も障害のある人も、更にはLGBTQ+の人たちも分断せずに、社会の一員として平等に扱われる方が、全体の幸福感につながると思っている。そして男性だけに責任を押し付けてきた社会全体も、もっと力を抜いて、他の人の助力を頼んだらいいと思う。

男性だけが「決定権」という社会のハンドルを握って場を支配するのは、私にはジャンボジェット機の片肺飛行のように見える。たくさんの人を乗せたまま、クルクル旋回して地面に激突する前に、機長の交代要員を多数確保して、もっとふわっとした社会に変えていきたいと切に願っている。














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