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私と小さな生き物たちは

私が幼稚園で二年目に入った時、両親は私をやめさせることにした。「もう、行かなくていいから」と言われて(たぶん)戸惑ったと思う。それからは、始めもなければ、終わりのこない日々が始まった。私はギリシャ神話のいたずら好きの神様のように、行列をつくって忙しく働く庭のアリに、大きな山を出現させて様子をみたり、洪水を起こして溺れさせたりした。

家にはいつも猫がいた。ある日、その「デコ」という猫が、押し入れで子どもを産んだとかで、大人が騒いでいた。子猫は3匹産まれたようで、どこかにもらわれていくことになった。家からかわいい子猫が次々といなくなるのが、とても辛かったのを覚えている。

それから「えす」と呼ばれる茶色の犬がいて、いつもどこからともなくやってきて、どこかに行ってしまう謎の犬だった。父が「えす!」と呼ぶと一目散にやってくる。散歩に行くと、前を歩いては時々振り返って、私たちを立ち止まって待っていた。父が「この犬は賢いよ」と言ったのを覚えている。

それからなぜか「ジュウシマツ」という小鳥を飼っていた。時々卵を産んだ。毎日下に敷いた新聞紙を取り替えて、水とナッパと粟を入れてやった。またある時は、きれいな青いセキセイインコも飼っていた。いったい誰が小鳥好きだったのだろう。私は家の中で青いインコを放して飛ばすのが好きだったが、ある時壁に激突して失神した。やがてその小鳥を失って、私は自分を深く責めた。

ある夜父は近くのおじさんたちと鈴虫を捕りに出かけた。とってきた鈴虫は陶器の大きな丸い火鉢の中に入れて、きゅうりやスイカの皮などを、串に刺して毎日与えた。次の日、上を覆っている布を取ると、きゅうりもスイカの皮もくったりして、時々そこに鈴虫が貼り付いていたりした。

季節が来ると、鈴虫は初め練習のように小さく鳴いたが、だんだん自信をつけて「りーん、りーん」と、いい音をうるさいほど響かせた。秋になって鈴虫が倒れると、そのまま冬を越してまた孵化させて何年も楽しんだ。

夏の夜には電灯にカナブンが勢いよく飛び込んできたり、まれにタマムシがいたりした。「玉虫厨子」の材料になったタマムシは、緑に虹色の縦筋が入った、美しい宝石のような虫だった。

ある日、黒いモルモットがやってきた。子どもを対象とした解剖教室に参加した弟が、余ったモルモットを貰い受けてきたのだ。それは見たことのないネズミで、尻尾がなくぴーぴーとよく通る高い声で鳴いた。りんごを送る時などに、当時使っていたような木箱を横にして、小鳥のかごのような金網を張った。

「弁慶」と誰かが名付けたそのモルモットは、何でもよく食べ、黒くて堅いフンをした。ある夏、余った素麺を試しにやると、一本加えてスルスル食べた。そのうち、立ち上がって歯を使って、掃除用の小窓を開け、自分で出てくるようになった。家の中を所狭しと走り回り、最後に母の膝の上に長く伸びて落ち着くのが面白かった。

あのあと弁慶はどうなったのだろう、なぜか覚えていない。とても個性的で面白いモルモットだった。しばらくして高台の家に移った時、野良犬を姉が拾ってきた。両親は留守だった。その茶色のふわっと長い毛の犬は、人懐こく甘えてきた。そして計画通りといわんばかりに、家に居着くとすぐに子犬を産んだ。子犬は親に似ず、白黒の斑だった。その犬たちは親子で長く生きた。私が家を離れてからも。

こうやって書いてみると、我が家はいつも何かを飼っていて、その世話を私も時々していたことがわかる。それなのにとうとう自分では積極的に関わろうとはしなかった。自分以外の動物を受け入れる余裕がこちらになかったのかもしれない。私が今まで出会った生物たちは、生きること、そして死ぬことを見せてくれた。どんなに親しくかわいがっていたとしても、いつか終わりが来ることを。






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