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中村哲氏の映画を見て

昨日、「荒野に希望の灯をともす」をシネマ・クレールで見た。早めに行ったつもりだったが、小さな映画館の入り口で行列ができていた。

映画は「日本電波ニュース社」が作っていた。これまでの記録映像から選抜して、さらに最近のも加えて編集してあるようだった。

私が最初に中村さんのことを知ったのは、いつだったか覚えていないが、ある時、講演会に行ったことがあった。
招聘したのは九州の医師で、その後原発反対署名運動を展開して、私も少し参加した。

中村哲さんは、静かな人だった。映画のパンフレットにも「含羞の人」と評されている。私の印象も同じだった。「含羞の人」に出会ったのは初めてで、たぶん最後になるだろうと思う。

中村さんが医師になった頃は、人間らしさを排除する高度成長期で、配属された病院で悩んでいた時、登山と昆虫採集の趣味を楽しめると応募したのが、パキスタン、アフガニスタンとの関わりのはじまりだったという。

行ってみると癩病患者、いわゆるハンセン病患者が大勢押し寄せ、その対応に追われることになる。映画でも冒頭、再開した診察風景でその様子が描かれ、見慣れない私達はショックを受ける。

いま日本では「安楽死」や「胃ろう患者や透析への支援中止」を訴える政治家も出てきたが、ここにはそういう「優生思想」が入り込む余地がないほどに、誰もが死のそばで生活している。

乾いた禿山のどこからか、出ない母乳にかじりつく乳児を抱えた母親や片足の老人が、何日もかかってやってきて、簡易診療所の前に列をなす。待つ間に亡くなる子どももいる。

小心者の私なら、これだけで引きこもりになりそうな現実なのだが、中村医師は、そこでできることをしようと歩き出す。

試行錯誤を繰り返しながら、結局「きれいな飲水」さえ手に入れば、病気の殆どは治癒するし、自給自足できれば生活していける、という大きな設計図を一人で構築していく。

私がいつも「強い人たち」と思うのは、中村さんを背後から応援し、資金を準備し、人を送り、育て続ける「ペシャワール会」の人々だ。
現地の状況の変化や、9・11以後はアメリカ追随外交での日本の世論の動向を見つつ、寄付金の確保、広報活動などに、きちんと結果を出しながら永続的な支援をし続けている。
中村医師の信念と目的とに同期して、どういう事態になっても現地の期待に答えようとする人たち。

それは中村さんが若いときに出会った、キリスト教抜きには考えられない。その敬虔なクリスチャンである中村医師は、長大な用水路で確保できた緑地にモスクを建設して、運営を現地の指導者に依頼した。そこでは子どもたちが「コーラン」を学んでいる。

その行為は複雑な意見を孕むものだろうと私は思う。キリスト教は常に「ミッション」として教化活動を行っている。キリスト教を普及する目的で、学校を建て、教師を派遣する。
だからこそ、モスク建設を許容している「ペシャワール会」の懐の大きさに感嘆する。

現地の人々の心の安定と生活文化を尊重することで、きっと地元の人々は一層の信頼を、中村医師に寄せたことだろう。

中村哲という人は、
昆虫採集と登山に導かれてアフガニスタンに行き着き、現地の人の命を救おうため、枯れた井戸を660も掘り尽くし、水が不足し始めると見上げる山脈の氷河から、用水路を引こうと決意する。
土木を学び、機械を操縦し、筑後川の蛇籠を研究し、地元で持続可能な原料で、地元の人たちが自分たちで補修することが、この先もできるように、用意周到な設計図を引いて実践し、そして護衛もつけずに移動中に銃弾に倒れた。

国際状況と宗教が複雑に交差する場所で、国境も宗教も超えて、何よりも命を救うことが最も大切なことだと、そのために尽力した。

アフガニスタンもこの日本も、今までもそうであったように、これからもどうなっていくか、誰にもわからない。
でも、その中で、今できることを全部やってみる、という人が一人いれば、かなりなことができることを、この映画は教えてくれる。
家族で見に行ってほしい映画だ。






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