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神がユダヤ人を捨てていないことが私たちの異邦人の希望【ローマ11:25-36】【やさしい聖書の話】

2023年6月11日(日)の教会学校でのお話をもとに。

神である主とユダヤ人

主は、世界中の人たちの中からアブラハムを選びました。
主がアブラハムとその一族の神になって守り、
アブラハムとその一族が主の民となって従う、
という約束が結ばれました。

アブラハムの子孫はイスラエルという民族になり、イスラエルという国になります。
イスラエルは外国に滅ぼされ連れ去られるけれど、帰ってきた人たちがユダヤ人と呼ばれます。
ユダヤ人たちは、先祖と主の約束を大切にしていました。
主はユダヤ人の神、ユダヤ人は主の民。これが今ユダヤ教と呼ばれる宗教です。

ユダヤがローマ帝国に支配されていた時代に、赤ちゃんイエス様はユダヤ人の王としてお生まれになり、ユダヤ人の王として十字架にかけられました。
復活のあとイエス様が天に帰ると、弟子たちはペンテコステの日に聖霊を受け、ユダヤと全世界に福音を伝えました。
 
イエス様はユダヤ人で、宗教としてはイエス様も弟子たちもユダヤ教でした。
それで使徒たちは、ユダヤ教の中のイエス派みたいに思われていました。

神である主と異邦人

福音が世界に伝えられて、イエス様を信じた異邦人が増えると、「もう教会はユダヤ人のものではない」と考える人も増えていきました。
彼らはこう考えたようです。
「せっかく救い主が来たのに、ユダヤ人は信じなかった」
「ユダヤ人が救い主を十字架につけて殺した」
「それで主がユダヤ人を捨ててしまったから、彼らは国を失って散らされた」
「ユダヤ人がキリストを信じることはありえない」

それで教会は、クリスチャンたちは、キリスト教の国々は、ユダヤ人たちを苦しめました。
日本がアジアの人たちを苦しめたというなら、それとは比較にならないほどひどいことを、比較にならない規模で、比較にならない長いあいだ、教会はユダヤ人たちにしてきたというのが歴史の事実です。

そして教会の中に、こんな考え方が出て来ます。
「主はもうイスラエルを捨ててしまった」
「主がイスラエルに与えた特別な役割は、教会が受け継いだ」
「教会が真のイスラエル、霊的なイスラエルだ」。

そして、聖書で神様がイスラエルに恵みを約束しているところは、教会に置き換えて読むのが正しいという、置換神学ともいわれる考え方が大勢となります。

置換神学はまったくの誤り

でも置換神学は完全に間違っています。
神はイスラエルを、ユダヤ人を、捨てていないということが聖書にはっきり書いてあるからです。

一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、こうして全イスラエルが救われるということです。
福音について言えば、イスラエル人は、あなたがたのために神に敵対していますが、
神の選びについて言えば、先祖たちのお陰で神に愛されています。
神の賜物と招きとは取り消されないものなのです。

確かにイスラエルは神様にそむき続けました。そして救い主を十字架で殺してしまった。
でも聖書は、それでも神様はイスラエルを愛しているということを伝えているし、それがぼくたち異邦人の希望なんです。
もし神様が、あんなにも愛したイスラエルを最後には捨てたのだとしたら、
アブラハムの子孫でもなんでもないぼくたち異邦人はもっと簡単に捨てられる。
でもそうじゃない。
あれほど神様にさからったイスラエルのこともユダヤ人のことも神様は愛して、なんとかして救おうとした。
そんな神様だから、異邦人でもイエス様を信じたぼくたちのことも救ってくれるんだって、信じられる。
これがぼくたち異邦人の希望です。
 
ユダヤ人が頑固なのは異邦人全体が救われるまでで、そのあとイスラエル全体が救われる。
今はまだ異邦人「全員」は救われてないけれど、異邦人「全体」に福音が告げられています。
ユダヤで始まったイエス様の福音が、ローマ帝国つまりヨーロッパへ伝えられました。
パウロはヨーロッパの西の端スペインまで宣教に行ったとも伝えられるけれど、さらに西の南北アメリカ大陸へ、そしてさらに西の日本やアジアへ伝えられた。さらに西へ、つまりイスラエルのすぐ東、イスラムの国々、アラブの国々まで福音は告げ知らされています。
そして今、ユダヤ人たちが、イエスはメシアだと信じ始めている。
これはパウロだけが言ってるわけじゃない。主は預言者をとおして、イスラエルが頑固になるのはこの地が荒れ果てるまでだけだと告げていた。そして20世紀後半、ユダヤ人たちは荒れ果てたイスラエルに帰って来た。荒れ果てた時代が終わり、つまりイスラエルが頑固である時代も終わる。
 
ぼくたちの最大の希望は、ぼくたちの主であるイエス様が再びくるということです。
で、ユダヤ人が頑固な時代が終わろうとしてるということは。
それはつまり、異邦全体が救いに達しようとしているということだから。
イエス様が再び来るという約束ももうすぐだということです。
本当はイエス様はとっくに来ている予定だったのを、御子を信じる者が一人も滅びないために神様は忍耐しているんだって書いてあるから。でも御子を信じることが、救いが、世界全体に達して、イスラエルが救われ始めている。
イエス様を信じた僕は天国に行くことを確信してるけれど、ぼくが生きてるうちにイエス様をみんなと迎えたいと願ってます。その日全世界が主の御名高くかかげるんだ。
マラナタ!

動画版のご案内

このnoteの内容は、2023年6月11日の教会学校動画の原稿を加筆・再構成したものです。
動画版は毎回6分ほどの内容です。下記のリンクからごらんいただくことができます。
キリスト教の信仰に不案内な方、聖書にあまりなじみがない方には、説明不足なところが多々あるかと思いますが、ご了承ください。
動画は千葉バプテスト教会の活動の一環として作成していますが、内容は担当者個人の責任によるもので、どんな意味でも千葉バプテスト教会、日本バプテスト連盟、キリスト教を代表したり代弁したりするものではありません。このnoteの内容は完全に個人のものです。


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