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好き≠愛されている充足感に夢中?

こんにちは、元看護師Aです。

日々考え事に耽る中で、少し面白い発見があったので書いておきたいと思います。


好きという感情

好きという感情を抱いたとき、「はたしてこれは本当に純度100%の好きなんだろうか」と疑うことがある。

実は自分に好意を向けたり、愛情を注いでくれる人のことを好きと錯覚しているだけなんじゃないか。
――つまり愛されることによる充足感に夢中になっているだけなのではないか、と。

恋愛関係において少なからず相手からの反応が影響を与えることはあるだろう。ただそのバランスがはたして自分はどうなんだろうか。


天秤

好きという感情と好かれる/愛されているという充足感の二つを天秤にかけたとき、後者が勝ってしまうと、そこまで好きでもない相手にも引き寄せられてしまうのではないか。

また好きが100%の場合だとどうだろうか。

一目惚れや憧れ、推し活や芸能人への好きなどで見返りを求めない場合は゛好き ”だけでいられるので好意を感じられなくても一方的な好きがある程度維持される。

しかし、振り向いてくれる可能性がない人の場合は、好きを持続させられる人は少ないだろう。つまりどのみち恋愛関係には発展しない。

好きという感情を抱きながら、好かれる/愛されるという充足感のバランスがちょうどいいと、お互いうまく惹かれ合い恋愛関係へと発展していくのではないか。


どんどん好きになる

どんどん相手のことを好きになっている、惹かれているという感覚を抱いたとき、また疑う。本当だろうかと。
実は好意を向けてくれる/愛情を注いでくれることで得られる充足感に夢中になっているだけなのかもしれないと。

例えば、付き合ってみたらそんなに好きではなかった、自分のことを好きな人が好き、惚れっぽいなどにあてはまる人はこういう傾向にあるのではないだろうか。

実際に私も過去に経験がある。意外と珍しいことではないのかとも思う。

こういう恋愛の欠点は、相手からの愛情を感じられなくなると不安になり、関係が揺らいだりする。

これもまたバランスなんだろう。相手のことを知っていったり、コミュニケーションが増えたり、好きという感情がお互い増幅出来てるうえで、反応を確かめるのはいいのかもしれない。それがなく、気持ちだけが舞い上がっているときは、怪しいかもしれない。


愛情表現がキー

恋愛関係において、実際にどのくらい愛情があるかではなく、愛情表現にてどのくらい愛されていることを実感できるかが重要な人もいると思う。
私も多少その傾向がある。やはり愛されていると実感していたいものだ。

愛情の程度ももちろん大事ではあるが、何も表現されなければ受け取ることはできない。
――つまり愛情ではなく愛情表現に反応していると言える。


これもまた程度の問題で行き過ぎるとメンヘラ、束縛、常に好かれているかの確認をすることになりそうだ。

こういう思考や感覚の人は恋愛関係において愛情表現という行為はより重要なのだろう。

その欠乏感ははたして満たされることがあるのだろうか。
相手はその人でいいのだろうか。



結論が思い浮かばないので今日はこのへんにしときます。

では~。

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