衝動的に死んでしまうのではないかという不安


「生命保険 自殺の場合」と検索したら、ホットラインみたいなページがずらっと出てきて、ちょっと笑った。
もしかして、衝動的に死にたいと思う人を笑わせようとしている?
いや、笑わせるまでいかずとも、そうなんだよね。


なんでそれを検索したかって、ちょっと生きることが退屈で死にたくなったからだった。
でも、それはわたしが積み重ねた33年のなかでは、わりと頻発する事案だったからそこまで重い話ではない。
だけど、いまのわたしは結婚していて、わたしのことを大事にしてくれる旦那がいるので、どうせ死ぬならちょっとくらいのお金でも残してあげたいと思って検索したのだった。


わたしには「希死念慮」がずっとある。でも、過去にかかっていたことはあれども、いまは医者にかかるほどではない。
なんていうか、いろいろ経て「わたしが一生懸命生きることに大した意味なんかない」というのが結論で、だけど、生命を構成する一部なのだから、単純にその種の存続として地球の構成として、生きていくのは普通のことってことに気づいたから、がんばって生きているって感じ。けっこうしんどい。

でも根本が生きることにデメリットを感じているタイプだから、酔った時とか、ちょっと嫌な事があったりとかしたら、衝動的に死んでしまうのではないか。と自分を信用できなくて不安になることがある。

(信用できないのはわたしは過去にたくさんの自傷行為を重ねてきたし、今思えばたくさん自分をひどい環境に追い込んできたから。)

これが、繊細な感情と無駄な頭脳や知識を持ってしまった人間のめんどくさいところで、「人間」が「人間」たる所以というか、なんか人間ってめんどくさいね、でもかわいいよね。ってところなのだけど・・・

わたしにとっての死は、なにも怖いことはないけれど、身近なひとの死がとても怖い。

大事な人たちがさきに死んでしまうことがすごく怖い。
だから、自分がさきにいなくなってしまったほうがいいって思うのかもしれない。

「大事な人」って思える人がたくさんできたことに感謝するべきなのかもしれない。
それで、わたし自身は希死念慮を一生抱えていても、だれかがわたしを大事にしてくれている気持ちをちゃんとわかっていれられるなら

それがわたしが「いきること」の意味なのかもしれない



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