わたしは、自分の人生をどこまで愛せるんだろう。

もし自分ではどうにも出来ない理不尽な人生を送らなきゃいけなくなったら、わたしはどう生きていくんだろう。

お久しぶりです。すっかり寒くなったね。気分はどう?わたしはさっき、ごはんを炊くのに失敗して悲しい気持ちになりました。全部気圧のせいです。

今回は、最近よくする妄想について書こうと思います。「もっとわたしの人生がわたしに厳しかったら、わたしはどうするんだろう」。そんな妄想です。

自己認識として、わたしはとても恵まれてるなぁと思ってます。(変なマウンティングに聞こえたらごめん…。)家庭の事情でもしや中卒か?と思った時期もあったけど無事高校も行けて、何のミラクルか大学まで行けて、入りたい会社に入って楽しく仕事をしていて。

なんかこう、自分の人生にままならなさを感じたことがあまりないんです。例えば突然の喪失体験とか、どうにも出来ない環境への絶望とか「自分の意思でどうにもならない状況」に置かれた経験が少ない気がします。思い通りなのかって言うと、それもたぶん違うのだけど。

この道に行きたいんだ!やりたいことがあるんだ!って感じじゃないのも影響してるんだと思う。周りの友達も、理想やキャリアのイメージがある子ほど壁にぶつかって、いろいろ考えてる気がします。わたしは結構行き当たりばったりな生き方だから、捉え方がふにゃっとしてる。良い悪いは置いておいて。

とはいえ自分の意思ではどうにもならないことって絶対存在して、その「ままならなさ」にどう応じるかが人生からのひとつのテストな気がしています。それを妄想で予習してる。

例えばもし理不尽に搾取される環境に置かれたらとか、突然天涯孤独の身になったらとか、病気になって余命半年になったらとか。考えても意味ないんだけど、考えちゃう。

ゆるせるのか、ゆるさないのか、諦めるのか、戦うのか、嘆くのか。理想は人生まるごと愛せることだけど、最初は頭まっしろで何も考えられなさそう。これはわたしに必要な人生の課題なんだ!って思えたら強いだろうな。でもすぐは無理だなぁ。

妄想の結論としては、とりあえずは引き受けよう、ってことになりました。その先どうなるか分からない人生ごと、迷って弱った自分ごと、引き受ける。甘んじるとは違うイメージ。積極的な諦めとも言える引き受け方をするだろうな。(あ、でも戦うべき相手がいるときは戦うでも逃げるでも何かアクションしたいな。自分の幸せのために。)

自分の人生を引き受けて、さぁ、どうしよう、と途方に暮れると思う。ギリギリ絶望はせずに途方に暮れていたい。で、そのうち途方に暮れてる自分を見て可笑しいなと笑うんだと思う。それでも生きていかないとなぁ、とか独りごとを言って。

引き受けることとか、途方に暮れることとか、自分の人生の可笑しさを笑えることとかが、人生を愛する一歩になる気がする。最近はそんなことを考えて生きてます。

…ここまで書いて思い出したんだけど、失恋とか家族のこととかそれなりに理不尽なことあったな。それでも何だかんだ引き受けて今があるんだろうな。そんなもんだね、きっと。


文通のお相手は大学以来の友人であるダー子さん。この前もらったお手紙がとても良かったので、みなさんぜひ読んでほしい。


ここまで読んでいただきありがとうございます! いただいたサポートで、自分へご褒美あげたいなと思います。