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中学2年生の私と、大学3年生の彼へ

あれは中学2年生の夏休みのことだった。

その日は学校で自由参加の「数学自習会」が行われていて、当時は数学が得意だったにも拘わらず、まったく必要のないその会に喜々として参加していた。
たぶん、当時好きだった男子が来ているかもしれないとか、そういう理由で出かけたんだと思う(案の定来ていなかった)。
数は少なかったけれど、今でも仲良くしている友人二人も一緒に参加してくれた。

蝉の声を聴きながら、クーラーのかかった涼しい視聴覚室で、数学の問題を解いた。
そしてふと、窓の外を見て思ったのだ。
ああ。
これが終わったら、塾の夏期講習と、8月後半の部活数日、家族で行く旅行。残りの夏の予定はそれで全部。
それだけで全部だなあ……。

急に、涙が込み上げた。

学校、塾、自宅。ときどきの外出。
私の世界は、そのほとんどが電車にも乗らずに行きついてしまうような場所だけで構成されている。
なんて小さい、なんて狭い、私の世界。
私はこうやってずっと、狭い世界の中で生きていくのかもしれない。

何が起こったのかさっぱりわからないけれど、突然悲観的な気持ちになり、涙が落ちるのを必死でこらえながら数式と向かい合い続けた。

私は、私の世界が狭くて小さくて、自分自身が小さくて何もできない存在であることが、どうやらとっても悔しかったらしい。

***

時は流れて、私は大学3年生になった。

テストも終わりかけた7月。
学祭の準備にはまだ少し遠くて、就職活動の始まりにもまだ少し早くて、時間を持て余していた私は、学内にある立ち食いカフェで本でも読んで暇をつぶそうと考えた。

店に入ると、見知った顔が一つ。
同じサークルの友人である彼女もまた、余った時間をカフェラテ一杯に費やそうとここへ来たのだという。
二人とも、次の4限は授業があって、5限からフリー。
早く終わらせて帰りたいねなんて話をしていると、店の扉が開き、さらに見知った顔が現れた。やはり共通の友人である、サークルの男友達だ。

あー、ぐうぜーん。何してた? 何もー。暇してた。
すると彼は、突然顔を輝かせて言った。

「なあなあ海行かね?」

うみ……。

けだるいキャンパスと、頭の中に思い浮かんだバカンスの風景との落差に、一瞬言葉が出なくなる。

「お前ら授業いつまで?」
「二人とも4限」
「じゃあ5限になったら俺レンタカー借りてくるわ。〇〇駅のロータリーで待ち合わせ」
「え、ど、どこ行くの? 私たちはどこ行くの?」
お台場の海
「おだいば⁉」
「4人乗りならもう一人乗れるから、俺誰か拾っとくわ」

あれよあれよという間に話が固まって、残りの1時間分の授業を受けた後、キャンパスでパンとカフェラテという変哲のない時間を過ごしていたはずの私たちは、なぜか友人の運転する車で海に向かっていたのだった。

***

あれはどの辺りの海だったのだろう。

すべてを彼と彼の操作するカーナビに任せていたためさっぱりわからないが、フジテレビを象徴するあの球体が見えていたから、確かにお台場だったのだと思う。
海開き前で、かつ「ビーチ」というほど整備されていないその場所に、人はいなかった。

足が濡れるからと、寄せては返す波を追いかけては逃げるという、子どものような遊びをしていた覚えがある。

さっきまで教室に座って授業を受けていたのに、気づいたら海にいる。
しかも、お台場の

「お台場」という場所は、高校生の時に一度だけ来たことがある。

友人と何週間も前から約束して、持ち物を準備して、道順を確認して、当日はこわごわ乗ったことのない路線の電車に乗って出かける……
私にとってお台場はそういう場所だった。

それがどうだ。
3限に「海へ行こう」と約束して、その日のうちにレンタカーを手配して、適当に人を募って、数時間後にはもうお台場の海

「海だーーーーー」

海へ行きたいと言って車を借りた張本人が、ひねりのない叫びをあげている。進学と同時に地方から東京に出てきた彼は、友人の中でもっとも遊びにも目標にも貪欲なタイプだった。当時人気の企業でインターンをしながら、サークルの幹事長も務め、ついでに恋多き男でもあった。

行きたいと思えばどこにでも行けるのだな、私たちは。

人によっては当たり前のことかもしれないそれが、私にとっては大発見だった。
車がないならレンタカーを借りればいい。免許がなければ、免許を持つ友人や、ほかの交通機関を頼ればいい。
数週間もかけなくたって、お台場に行く手段はいくらでも存在する。
飛行機のチケットだって、その日のうちに取れてしまう世の中なのだ。

行くか行かないかは気持ち一つで、私たちはどこにでも行ける。

叫ぶ彼と、彼に引っ張られて授業をさぼったらしい後輩が波と戯れるのを見ながら、私は隣にいた友人に耳打ちをした。
「私、お台場ってすごい遠いところだと思ってた。こんな簡単に来れるんだね」
彼女は途中で買った酔い止めを飲みながら、神妙な顔でうなずいた。
「でも今度からは、車に乗る前に薬を飲もうと思ったよ」
「それは間違いないな」
やっぱり、最低限の準備は大切らしい。

***

それから私たちは、途中のコンビニで買ってきた思い思いの飲み物を開け、乾杯した。

運転手をしてくれた彼に遠慮して、全員ノンアルコールだったけれど、本当はこういうときこそ、プシュッとビールの缶を開けて、ほろ苦い液体をのどの奥へと流し込みたかった。

私たちは大人になった。

そう実感させてくれるのにふさわしい飲み物が、ビール以外にあるだろうか。


ふと、中学2年生の頃を思い出した。どこへも行けないのだと、数式を解きながら涙を流していたあの頃の自分を。

そんなことなかったよ。

数年がたち、二十歳を超えて大人になった私は、まさに今日、大発見をしたのだ。

どこにでも行けるよ。
私が行きたいと思えば、行きたいところは全部。
だから、泣くことないんだよ。


お台場に来たというのに、テレビ局も見ず、観覧車にも乗らず、本当に海だけを見て、私たちはまた車に乗り込んだ。

滞在時間は数時間にも満たなかったのに、10年以上たった今でも、あの夏の海の記憶は、私の中で大きな存在感を放っている。

あのとき車を出してくれた彼は、今何をしてるんだろうか。
SNSで時々いいねを押してくれるけど、めったに顔を合わせることはない。

今度会ったら、あのとき飲めなかったビールを奢らせていただこう。

サポートをご検討いただきありがとうございます! 主に息子のミルク代になります……笑。