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『みんなのミュシャ展』に行ってきた。

6年ぶりにミュシャを観た。
Bunkamuraザ・ミュージアムで行われている『みんなのミュシャ展』に行ってきたのだ。

御多分に漏れず、ミュシャの描く美しい女性たちが大好きだ。
初めて借りてみたイヤホンガイドから流れる「少女の目に描かれた光の描写は、日本の少女漫画と通ずるものがありませんか?」の言葉に、大きくうなずいた。通ずるどころの話じゃない。
たぶん、少女漫画で育った日本人たちの趣味嗜好には、ミュシャ好きのDNAが組み込まれている

今回、6年前のミュシャ展(2年前のミュシャ展には行けなかったので)ではあまりフィーチャーされていなかった、「ポスター画家になる前のミュシャ」が描いていた作品も結構な数展示されていて、それがメインというわけではまったくなかったけれど、私の目はそれらにとらわれてしまった。

それは、雑誌や書籍の「挿絵画家」としてのミュシャ。
出版業界に出入りしていた頃のミュシャだ。

***

雑誌の表紙絵。
中ページのレイアウト。
雑誌のロゴ。
書籍の装丁。
書籍の中ページの挿絵とデザイン。

(一応)現役編集者である私にとっては身近すぎるそれらの作品を見て、ミュシャの挿絵画家としての有能さにくらりとした。

この人(この人言うな)、全部できるやん……。

たとえば書籍の装丁なんかは、挿画1枚をイラストレーターさんにお願いして、ロゴやデザインは別のデザイナーさんにお願いして仕上げることがほとんどだ。ロゴとDTPが別の人になることすらある。
もちろんそれらは別々の能力によって作られるものだから(挿画は画力や構図力、ロゴはそのメディアが有するメッセージを伝える伝達デザイン力、DTPは整理デザイン力だと勝手に思っている)、別の人が手掛けて当然なのだ。

でも、ミュシャはそれを全部やってのける。
(そもそもそれらを分業するという概念が存在しなかった可能性はあるけれども)

面白かったのは、『レスタンプ・モデルヌ(現代版画)』という雑誌の表紙を作るにあたって、出版社側に「あらかじめ枠を設けておき、毎月絵と文字だけを変えたらどうか」という、今でいう「テンプレート」の提案をしたという話。
ミュシャ様、それ、編集者の仕事です

***

ミュシャは挿絵も表紙もポスターも、すべてをひとつの「作品」と考え、「コンセプト→スケッチ→習作」と、通常の油彩絵画を描くのと同じステップを踏みながら創り出していたという。
実際に、印刷された表紙絵と、アトリエで同じポーズをとるモデルの姿が写った写真が展示されていた。表紙絵1枚1枚にも、きちんとモデルを使ってスケッチを行っていたことか、と感心する。

習作を何枚も描き、納得するまで納品はしなかったとか。
締め切りは大丈夫だったのだろうか?と、編集者は若干ハラハラしてしまう。
まあ、彼の名は数あるパリの出版社に広まり、その手堅く良心的な仕事で人気を博していた、とのことだから、きっとそのあたりは大丈夫だったのだろう……。

表1(表表紙)1枚、ロゴデザイン込みでおいくら万円かしら

……なんて、ぼんやりと考える。
彼が今の世にいたら、お願いできるかな。
うちの予算じゃ無理かな。無理だな。

***

編集視点で見なくとも、ミュシャの描く女性の曲線美、布のしわ1本1本のなめらかさ、これは手で描いたのかと気が遠くなってしまうようなパターンやアールヌーヴォーらしい草花の装飾など、その絵の美しさには文句のつけようがない。

前回に引き続き、またしても図録を買ってしまって、大人になった喜びをかみしめているところだ。
財力万歳。

それをめくりながら、ふと考える。

ミュシャを書籍や雑誌に起用していた多くの編集者たちは、彼とやり取りしていたラフやレイアウト用紙を、果たしてすべて保存していたのかと

雑誌編集者になってすぐのこと。
私は自分の作った雑誌の企画の校正紙をすべて整理、保管していた。……が、それは短い習慣として終わってしまった。
月刊誌は1年で12冊。1冊につき3つ4つの企画を担当することもざらで、毎月整理どころじゃない量の紙が手元にやってきていたのだ。
同じようにとっておいていたのが、イラストレーターさんから送られてくるラフスケッチだ。
特に実際には使わなかった、アザー、言い換えれば没になってしまった方のイラストラフは貴重品として大事にしていた。世に出なかったそれは、編集者である私だけが堪能できるものだったからだ。

が、やはりそれも、保存に限界があった。
書籍編集になると、1冊に数十点のカットを使用する。データの保存ですらパソコンのメモリをかなり食っていた。

何かのはずみで(たぶん仕事がうまくいっていなかった時だと思うのだが)、すべてを捨てた。
断捨離だ。
すっきりした気持ちになって、それからはむやみに校正紙やデータを保存することをやめた。

しかし、今思う。

あの中に、ミュシャのように将来何度も何度も展覧会が開かれるような大物になる人がいたら……。
わたし、やっちまったんじゃないのか。
(もちろん、大物になったとしてもならなかったとしても、ラフ捨ててますなんて本当に申し訳ない告白でしかないのだけれど……。すみません……メモリ事情とともにご了承いただけると幸いです……!)

***

ミュシャには、芸術を富裕層のもののみならず、庶民に開かれたものにしたいという思いがあった。
その思いに、挿絵やポスターという媒体はうまく合致したのだと思う。

かつてと同じく、今もテレビや雑誌、書籍などのメディアは、人々がもっとも手軽に芸術と出会うことのできる手段だ。

【その仕事の一端を担っている、ということを忘れないようにしよう。】

6年前につけていたメモを見返したら、そんなことが書いてあって驚いた。
ミュシャ展を見た直後の自分の感想が、今、私が「みんなのミュシャ」を見終えて考えていることとほぼ同じだったから。

あの頃の気持ちを定期的に思い出すためにも、また次のミュシャ展を、私は心待ちにしようと思う。

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