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【つぶやき】「儚い(はかない)」というコトバ


「儚い(はかない)」

この言葉に初めて出会ったのは、確か小学生の時。

はやみねかおるさんが書いた夢水清志郎シリーズの「人形は笑わない」という小説にあった。


学生時代は「夢」という言葉はキラキラしたイメージで語られることが多い気がする。


自己紹介カードや卒業アルバム。
「将来の夢」をよく書かされていた。


しかし、「人」に「夢」と書いた「儚」という漢字。
ここにキラキラしたイメージを抱く人はあまりいない気がする。

淡くてもろい「儚い」という言葉がなぜこの漢字なのか。

学生時代の私にはわからなかった。


でも、社会人生活を3年間経て25歳になった今はわかる。
人の夢というのは確かに儚いと。



とある調査によると、人が夢を諦める平均年齢は、24歳らしい。



今の私は25歳。
つまり、いまだに夢を追いかけている同級生は数少ないということだ。


また、こんな見方もできる。
25歳というのは、すでに夢を叶え終わった年齢でもあると。

スポーツ選手は、遅くても30代や40代頃で引退を迎える人が多い気がする。
(もちろん競技にもよるのでこの限りではない)

幼い頃から追いかけてきた夢は、そこで一旦一区切りとなる。

一度抱いた人の夢というのは、どこかで昇華する瞬間がある。


それが「儚い」という言葉なのかなと感じた。



そんなことに思いを馳せている中で、これに対比するタイトルの曲に出会った。


SUPER BEAVERの「儚くない」である。

いつまでもないとわかっていても
そのとき涙は溢れるだろう


なくなるなら気づきたくなかったかい
気づけたから救われた夜もあったろう


物事の終わりを知った時、
涙を流せただろうか。

限りあるものだと知った時、
それを大事にできただろうか。


社会人になって数年経った自分にとって、心に響く歌詞だった。



曲の中盤には、こんな歌詞があった。

今更じゃなくて
今からどう生きるって問い続けたいよ


理想の社会人像は、人によって様々だと思うが、私が思うカッコいい大人は、心を揺さぶられるぐらい物事に対して一生懸命取り組める人だと思う。
上手くいくかどうかは別として。


そして、自分も常にそういう人間で在りたい。



夢というものは、「儚い」かもしれない。
でも、「儚くない」と言いきることもできるかもしれない。


自分の夢をどちらにするか。
決めるのは自分だと思う。

これからどう生きるか。

それが問われるフェーズに入ってくると思うが、自分の軸は失わずにいたい。


人の命というのは儚いのだから。



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