見出し画像

ひとり文集


はじめに

 はじめまして。今別府です。

 いつぞやの昔、父親が花火のなかなか良い席を取ってくれて、海辺の椅子に腰かけたことを覚えています。近すぎた花火は私の五感を刺激しすぎてしまって持っていたじゃがバターと一緒に地べたに転がってしまいました。打ち上げ花火、近くで見るか、遠くで見るか。近けりゃいいものでは無い世の中ですが、今日は私の言葉を耳元で叫ばせていただきます。キャー! つって。

倫理学

 倫理学をとっている。ずっと取りたかったからだ。間違えて月曜5限に取ってしまい1限と5限に対面があるせいでえらい目にあっている。一回目の授業のとき、私は愕然とした。黒板に恋愛倫理学と書いてあったからだ。「これ、落単するかも」と顔を覆った。足は震え、頬は引きつっている。 よく教室を見渡すと恋愛要素につられたような男や女がいっぱいいる。おられる。しかし私は愛知者として戦わなければならない。混ざり合う愛のフィロソフィー。

京都1

 暑い。

 さながら大電子レンジを使った大男が、私を美味しく食べようとしているのではないかとも思う。そんな暑さだ。きっと大男は大セブンイレブンの大お総菜コーナーで私を買ったに違いない。巨人サイズに底上げがなされた、そのセブンイレブンで。こんなにセブンイレブンの話をしているのに全然いい気分にならない。なんでこんなにも暑い思いをしているのか、おもえば一月前にさかのぼる。
 我々の地元の我々は夏は旅行することになっていて、貧乏学生よろしく、青春18きっぷでその旅を断行している。今年はなかなか場所が決まらず、なんとなくみんなが行きたいでおなじみ京都に決定したのは最近の事だ。京都という地には非常に魅力的な概念がまとわりついているほかに、あまりにも魅力的な場所が多過ぎて、そのどれに魅力を感じているのかわからなくなる短所がある。我々一行もその病魔にやられてしまい、旅行を前にして旅行で一番楽しい時間であるプラン決めを全く行わないという愚行を犯していた。    堰を切って旅行プランの構築を提案したもののその返事はあいまいで、これと言って前に進むことは無かった。堰は切られていなかったのである。

ボーカロイド

 ボーカロイドってあるじゃないですか、あれ、よく聴くんですよね。
こんな言い方する人はたいてい全然聴いてない人なんですけど、あたしの場合は全然聴きまくってます。ほんとに。
 私がちゃんとボカロを聴き始めたのは中学生の頃でした。
 そのときの私はひと月3GBしか使えないおんぼろスマホを使っていて、致命的なことにWi-Fiも無く、動画を見ることができるのは31日が「ついたち」に変わった瞬間だけ。しかーし、そのギガの儚さは私に、とっても美しいものを与えてくれました。一日になり、割れた液晶を必死にタップして聴く天ノ弱やダブルラリアット。その美しさは私を緑輝く草原や、人の溢れる交差点、見たこともない未来へと私を連れて行ってくれたんです。今のコンテンツ浴び浴びの日々では感じがたい素晴らしいものがそこにはありました。
 a bi a bi no hi bi

 その中でも私が特に好きな曲、それがルカルカ★ナイトフィーバーです。

 聴いた?(オフロスキー)

 なんか私、ルカルカ★ナイトフィーバーを聴き過ぎてしまうんです、人生の岐路となる日は絶対聴いてるし、そもそも毎日のように聴いてるし、再生回数の半分くらいは私というのは言い過ぎでも、この世界で一番好きで、一番回数を聴いているのは私という自負があります。ジフ、つってもGIFじゃねえぞ。歌詞についても全行言いたいことあるけどそろそろ打ち止めにしないと他とのバランスがおかしくなっちゃう気がする。はじめにで過去の事とか書いちゃったのに、このリンク上だと画質ガビガビで最高、そんなことない?そこがいいのにね。
 
        


        輝く君が好きなの
  
                    つって‐2‐

太郎

 なんか散歩してたら子役養成所?みたいなのがあってそのポスター見たら全員仲良くできそうな顔じゃないなと思っちゃってそんな自分が嫌で蒲焼さん太郎買っちゃいました。

皆既月食

 もともと月は魅力的だった。昼とは違うあの感じ、太陽とは違う優しさ。中二病なのは否めないが生まれたときからこんな感じになるとこまでは決まっていたと思う。月を見ると自分の頬をひっぱたきたくなる、というか実際的にひっぱたいている。夜は毎日来るからたちが悪い、月を見て嬉しいかどうかは私の精神状態に依存している。依存する中で私の頬は赤くなるばかりだ。夜を重ねるうちで、今日の夜がやってきた。皆既月食である。外に出てみると、街の皆が立ち止まって空を見ていた。意外とみんな風流なんだなと思った。公園に行ったらダンスしている人もいたし、テニスをしている人もいた、こんな日は月に見とれてしまったと言えばどれだけテニスが下手でも文句を言う人はいないだろう。近代天文学が世間に受け入れられたときの話としてそれ以前は悪いことが起きる前兆として考えられていた日食をばっちり当て、悪魔の仕業でないことを証明した話がある←うろ覚え。それ以降人類はその月を美しいものとして天体現象を観測するようになったとか。なんとか。美しさと恐怖は表裏一体だ。しかしそれでも月は綺麗である。そんな月が好きだ。ずっとそれを眺めていたら、いつの日かあの月よりもみんなに注目されてやろうという気概が湧いてきた。進む足はステップに変わっている。今日のおやつはお団子にしよう。その決心だけは変わらなそうな夜だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?