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我が道を行く男




「どこまで行ってきたんだ?」

かろうじて聞き取れたその言葉に

「〇〇池だよ!……」

そう返答してすぐに
近くにあったメモ用紙に〇〇池と書いて渡した。


「おー、そうか。」

そう言って連れていた愛犬に手を伸ばす祖父は
いつもと変わらない優しい笑顔だった。



随分前から耳が遠くなった祖父は
補聴器を付けることを嫌がり、
こちらの声を聞き取れないので
会話をすることが難しいものの
字を書いたり読んだりはできるので
筆談で会話をすることが多かった。


「じゃあまたね、」

そう言って手を振ったわたしに

「おー、また」

と手を振り返した祖父


それが、祖父との最後の会話だった。



⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰



じいちゃんにとって初孫だったわたしは
産まれた時から特別ずっとかわいがってもらっていて

幼稚園くらいの頃
じいちゃんと一緒に寝た日
怖い夢を見てしまったことがトラウマで
それ以降じいちゃんと一緒に寝ることを避けてしまっていた、
なんて昔のことを今更後悔、、でもないけど
なんとなく…思い出した。



わたしのじいちゃんは、すごい男だ。



次男として産まれたものの
長男である兄が若くして亡くなってしまって以降
たくさんの苦労をしながらも
自ら学び、技術を身につけ、自営業者として家族を支えてきた。

勤勉で、たくさんの本を読み、糧にして
全て、自らの力でやってきた人だ。




ゆえに


びっくりするくらい
頑固で俺様気質な人だった。




幼い頃からのじいちゃんの記憶は
居間でひとり、テレビを見ながら大きな灰皿を置いてタバコを吸っている姿、
自宅横の工場で作業をしている姿、
畑を耕しながら野菜を育てる姿、

いつだってじいちゃんは、
自分のやりたいことをやっていた。


自営業がゆえに定年なんて無かったじいちゃんは
いつまでも工場に立ち、配達で軽トラを乗り回し、働き続けた。

お金の為じゃない、"仕事をしたい"そんな自分の意志に従っていたのだろう


いくつかの病気も患っていたし
年老いて体が思うように動かなくなり
心配して周りがどんなに止めても
それでも働き続けた



入退院も繰り返した
でも、入院するたびに、脱走する

もしくは、暴れる

家に帰れないこと、
病院食が食べたくないこと、
自由に動けないこと、
それらを我慢できないじいちゃんは
入院する度に叔母や母が付きっきりで見張りにつくほど、
目が離せない行動をしでかしていた

体は弱っていても、
とにかく意志や気持ちが強い人だった


サポートする周りは大変だったけれど
じいちゃんのそんなファンキーさが、
わたしはおもしろくって好きだった


いつまでも仕事や運転を辞めないじいちゃんは
運転免許証を取り上げられた

怒鳴り、暴れたりもして反発したものの
徐々に諦めがついたようだった


仕事を辞めてからも
畑仕事だけは続けていた


最近では、朝起きてベランダでタバコを吸っている時
よたよたと、おぼつかない足取りで
時折立ち止まりながらも
それでも畑を歩くじいちゃんの姿をよく見ていた



ばあちゃんは、じいちゃんの2歩も3歩も後ろを歩く人で
じいちゃんに逆らうこともなく、ひたすら支えてきた

お金なんていくらでもあるのに
昔じいちゃんが建てた家をリフォームすることを許さず
(じいちゃんこだわり強すぎる)
未だに昭和丸出しの古い平屋住まいで
お風呂もトイレも昔のまま、
不便もあっただろうに
文句も言わず、じいちゃんと一緒に暮らしてきたばあちゃんは
わたしには1mmもマネできないくらい良い女で、
じいちゃんにとって最高にできた嫁だっただろう


若き頃から自分の力で切り開き生きてきたじいちゃんは

歳をとってからも

自分のやりたいことをやる
気に入らないことは怒る
自分のこだわりは曲げない

そんな、

強すぎるプライドを持ち続けていた。



今日まで、ずっと。



ずっと傍で面倒を見ていた叔母は
とてもとても大変だっただろう

ただでさえ、介護なんて生半可な気持ちでできることじゃない。

いつまでたっても
気持ちが老いないじいちゃんは
時折、聞き分けの悪い駄々っ子のようだった

じいちゃんに泣かされる叔母を何度も見てきた


最後まで、じいちゃんの望み通り
家でいつも通りに過ごせたのは紛れもなく叔母のおかげ

きっとじいちゃんも感謝してるよね?



孫のわたしにできることなんて
ちょこちょこ会いに行って顔を見せるくらいだった

そんな簡単なことだったのに
どうしてもっと頻繁にできなかったんだろう

こんな風に後悔する日がくるなんて
全然まだ、想像していなかった




だってじいちゃん、

不死身だと思ってたんだもん。




ばかなこと言ってるけど、
でも
ほんとにそう思わせるような人だった。



どんなに体が小さくなろうと
足取りがおぼつかなくなろうと

じいちゃんの生命力は凄まじく

それはきっと、ずっと築きあげてきた
我が道を切り開くメンタルとプライドがゆえだろう



わたしはじいちゃんみたいにプライドが高くて俺様な男は苦手だけど




孫としては


最高にかっこいいじいちゃんだったよ。





せっかく長生きしてくれたのに

花嫁姿も、ひ孫の姿も見せられなくてごめん。


じいちゃん、

最後は苦しまずに逝ったと聞いて
わたしたちは少しばかりも安心したんだけど

最後にもう一度話をしたかったよ、


じいちゃん、

きっとじいちゃんのことだから
どんなに長生きできたとしても
まだまだ逝きたくなかったよね……

いつだって強くて堂々としていたじいちゃんが
落ち込んだ姿なんて見たことなかったから


じいちゃんが今
ひとりで悲しんでいるんじゃないかって考えると

一気に涙がでて苦しくなるよ




じいちゃんの孫で良かったよ、

じいちゃんが大好きだよ、


じいちゃんの立派な生涯に関われたこと、孫になれたこと、

とても誇りに思っているよ、



まだお別れを言うのは心が追いつかないから

たくさんのありがとうと大好きと


じいちゃんの歩んできた我が道に敬意を表して。



2022.4.8





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