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童話/動物たちの夜

 夜空に輝く星たちは、自分がいままでに食べた動物たちの目らしいです。
 自分がどれだけの動物を食べたのか、もう数えきれないほど食べています。
 昨日も食べました。
 あの右のほうに二つならんでいる星が、昨日食べた鶏の目かもしれません。そう思うと、肉髭にくぜんをふるわせながら、朝を告げるその姿さえ夜空に浮かんできます。
 わたしの左手に鼻先を押しつけるようにして、この地球上でもっとも愛すべき犬種であるジャマイカン・ハスキーが歩いています。わたしの左手は彼女のよだれで濡れていますが、彼女が嬉しそうなのでそのままにしています。彼女のよだれは、甘いラム酒の匂いがします。
 わたしが歩いているのは、鬱蒼うっそうとした森のなかです。木々の隙間から満天の星空が見えます。あの一際大きく輝く星は、いつか食べた牛の目かもしれません。木々に隠れてまた見えて、木々に隠れてまた見えて、どこまでも追いかけてきます。
 星は食べた人を観察しています。
 というのは、食べられた動物たちは食べた人が死ぬまで成仏できないからです。
 さびれた漁村をおとずれたときには、蟹でした。その日から、茹でられて赤くなった蟹が夜の浜辺を歩いています。
 モンゴルの牧場で働いていたときには、羊でした。六時間かけて煮込まれた羊が草原を駆けていきます。
 イタリアでは犯罪組織に潜入し、ラベンダーの花から抽出した眠り薬をつかって組織のボスを暗殺しました。そのときには、ポルケッタと呼ばれる豚の丸焼きでした。
 ロンドンでは、探偵をしていたこともあります。
 宿敵アルフォンス・イデとの知恵と知恵とがぶつかり合う対決の詳細は、ここでは省きますが、時計塔に追いつめられた彼は、わたしに最後の言葉を遺しました。
 なんて言ったのか忘れてしまいましたが(おそらく重要なことではなかった)、時計塔から真っ逆さまに落ちながら、彼はそのとき盗んでいた〈よく肥えたカエルの右足〉と呼ばれるエメラルドをわたしに託しました。彼は自分の命より、美しい宝石のほうが大切だったのです。
 イギリス政府からは多額の報酬ほうしゅうが支払われました。
 わたしはそのすべてを仮想通貨にして、溶かしてしまいました。
 その日からアルフォンス・イデの目も、わたしの夜空に浮かんでいます。
 わたしは善い人間ではありません。ここに書かれたエピソードだけを鵜呑うのみにしてはいけません。わたしは悪いこともしてきました。ここでは話せないようなこともしています。
 夜の森を歩き続けていると、茂みのむこうに明かりが見えました。草木を押しひろげて覗いてみると、焚き火を中心に輪になって踊る女の子たちが見えました。
 女の子たちは白いパジャマを着てました。
 ワンピースの子も、ロンパースの子もいましたが、色は白に統一されていました。焚き火に照らされて朱色に染まり、照らされていない部分は青く沈んでいます。踊っている影が手足の長い大きな蜘蛛くもみたいになって、木々に映って揺れています。
 わたしが近づいていくと、女の子たちは踊るのをやめて、
「わたしはだれ?」
 とたずねてきました。
 不思議に思われるかもしれませんが、彼女たちは相手のことを〈わたし〉と呼びました。では、自分のことをなんて呼ぶかというと、同じように〈わたし〉と呼びました。
「わたしはだれ?」
「わたしはどこから来たの?」
「わたしはどこへ行くの?」
 次々に質問されて、わたしはわからないと言うように、てのひらを見せて肩をすくめました。すると、女の子たちもてのひらを見せて肩をすくめました。ここにいるのは、みんな〈わたし〉だからです。
「あなたは……」
 と言ってから、わたしは言い直しました。
「わたしはなにをしているの?」
 女の子たちは顔を見合わせました。それから嬉しそうにくすくすと笑いました。
 女の子たちは待っていると言いました。蟻がアリジゴクに食べられて、小魚の群れが鯨に食べられて、アザラシの子どもがシャチに食べられて、インパラがライオンに食べられて、最後にはいちばん強い者にみんな食べられてしまう。女の子たちは、いつかおとずれる最後を待っているのだと言いました。
「いちばん強いのは?」
 と女の子たちがたずねてきました。
「人間?」
 とわたしは答えました。
 すると、「わたしはバカだ!」と言って、女の子たちはわたしを罵りはじめました。
 いちばん強いのは、神様だ!
 人間なんて猫よりも少し強いぐらいだ!
 牛や豚よりも弱い!
 そもそも戦ったことがあるのか?
 牛や豚と真正面から本気で!
 わたしは北アメリカの山中で、グリズリーと対峙したときのことを思い出しました。人喰い熊と呼ばれていたそのグリズリーが後ろ足で立ち上がったとき、わたしの指は動きませんでした。怖気づいたわけではなく、わたしはそのグリズリーを美しいと思ってしまったのです。
 わたしは思わず照準器から目をはずして、肉眼でそのすがたを確認しました。
 取り囲んでいた他の猟師のライフルがいっせいに火を吹きました。
 倒れるグリズリーの目は、一瞬にして錆びた鉄のようになりました。
 しかし牛や豚とは戦ったことがなかったので、女の子たちの問いに、わたしは首を振って答えました。
 女の子たちは「戦ったこともないのに食べるなんて、人間はずるい!」と口々にわめきたてました。
 興奮した女の子たちは、てのひらをかざして顔を隠したり、中腰になって駆けまわったりしました。木の枝にひっかけて、着ているパジャマが破けました。思いのほか毛深い足が見えました。
 わたしは立ち去るべき時間が来たことを知りました。
 女の子たちに別れを告げて、わたしは旅を続けます。今回の旅の目的は、不思議なラジオです。六歳の男の子をもつ母親から手紙をもらいました。男の子は機械工作が好きで、母親は分解されてもいいように壊れたラジオをあたえました。男の子はラジオを分解し、組み立て直しました。聞こえてくるのは、組み立て直す前と同じ、周波数の合わない砂嵐です。男の子は「こんにちは」と呼びかけました。来る日も来る日も呼びかけました。そんなある日、男の子がいつものように「こんにちは」と呼びかけると、砂嵐のむこうから「こんにちは」と男の声が聞こえました。
「こんにちは。今日は中国山東省の幽霊屋敷のお話です」
 男はたくさんの話をしてくれます。毎回ではありません。つながる日とつながらない日があります。男は話し続け、二十分ほどで放送は終わります。母親が調べたところ、そんな放送をしているラジオ局はないとのことでした。この男が何者なのか、壊れたラジオがどこにつながっているのか、調べてほしいというのが今回の依頼です。
 森の動物たちと遊んでいたのか、鼻先を赤く濡らしたジャマイカン・ハスキーが合流します。
「あの子たちったらね(先ほどの女の子たちのことです)」
 と所定の位置、わたしの左側を歩きはじめたジャマイカン・ハスキーの頭を撫でながら、わたしは話します。
「一人には大きなつのがあったの。一人にはくちばしがあったし、足は毛むくじゃらで山羊みたいなひづめがあったわ」
 もちろんジャマイカン・ハスキーはなにも答えません。ラスタカラーの瞳を輝かせて、ハアハアとラム酒の匂いがする息をわたしの左手に吹きかけるだけです。
 夜空には星がまたたいています。
 あの女の子たち、あの動物たちの目が、どこにあるのか探してみようと思いましたが、星が多すぎるのでやめました。
 旅の途中、いちばん強い者の前を通りました。
 いちばん強い者は黒々とした山に腰かけて、チンパンジーが蟻の巣をほじくり返すようにして、なにかを食べていました。
 朝日を浴びて、いちばん強い者の顔は、老人になったり、若者になったり、動物になったりしていました。おそらく、いちばん強い者は自分の顔を持っていないのでしょう。
 立ち止まり、わたしはしばらく、いちばん強い者がいる風景を眺めました。
 それから、再び歩きはじめました。

(おわり)
※ジャマイカン・ハスキー
 空想の動物です。


こちらの企画に参加させて頂きました。
よろしくお願いします。

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