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食洗機と地球防衛軍

ぴーぴー!ぴーぴー!

早朝3時。

突如、鳴り響くアラーム。


携帯のアラームは4時にセットしてる。

洗濯の予約はしてない。

なんだ?

地球に隕石が落ちる音にしては随分と穏やかだし。・・・



音のするほうへ向かうと、そこは台所。

備え付けの食洗機からでした。



壊れました、食洗機。



この食洗機は、まもなく20年選手。
なので、
今後のことを考えて、
修理ができたとしても買い替えてしまおうと

地元の電気屋さんに連絡しました。


「家電量販店」じゃなくて、
サザエさんに出てきそうな、町の電気屋さん。


その日の夕方には
電気屋のおじいちゃん社長が我が家に来て、
やや震えた、たどたどしい字で食洗機の品番をメモして、

一度も使用しなかった巻き尺を
なぜか台所に置き忘れたまま帰っていきました。


思い出した頃に「見積もりと工事の日のご相談」が来ると思いますが、

他店と比較せず、
値切りもせず、

(当日の工事は、おじいちゃん社長がするのかな、それとも従業員さんかな)

それだけを気にしながら、食洗機の交換を終えるものと思われます。



ぶっちゃけ、家電量販店のほうが安いかもしれないし、手早いかもしれない。

ただ、

安い・早いだけだと、どこまでも直線的、お互い一方向に思えてしまう。

「客側」と「売る側」みたいな。
お互いが川の対岸にいる、みたいな。

確かに安くて早いのは大事、
でもそれだけを理由にしたら、おじいちゃん社長とのやり取りなどといった「揺らぎ」「潤い」「なんなら笑い」の要素が味わえなくなってしまう。

家電量販店だったら、
いつ転勤するか分からない店員さんに接客してもらって、
どこかのコールセンターから工事の日時調整が入って、
お店と提携しているどこかの電気工事屋さんが取り付け工事をして。

それはそれで確実性が担保されていて安心できて良いんだけど、
一度あの「ツッコミどころ満載なんだけどハートフルなおじいちゃん社長」と心の交流をしてしまうと、
どうにも味気なく思えてしまうのです。

「客」「売る側」の関係性の前に、
「人」としての交流を求めてしまうのです。


我が家には、ハートフルなおじいちゃん社長や、その従業員さんが備え付けてくれた家電製品が他にもいくつかあるのですが、
随分とザツな扱いをしているにも関わらず、何故か長持ちしています。
(特にマッサージチェアは、奴隷のようにこき使われているにも関わらず、10年以上経っても新品のようです)

「人」と「人」、として交流している際に生じたエネルギーが
テレビや冷蔵庫、マッサージチェアなどに乗り移って、多少(どころじゃないかも)の酷使でも「全然オウケイだぜ」と元気でいてくれてるんじゃないかなと。


そんな町の電気屋さんが、
血の通ったサービスをして、
そのときに生じたエネルギーが家電だけじゃなくて
土地にも乗り移って、それが地域に拡がっていって。

日本中でそんなことが起こったら、とんでもなく素敵な循環が起きるんじゃないかなと思っています。


買うモノすべてに対してそういった交流をするのって
むしろ現代社会ではなかなか出来ないと思うので、
「せめてこれだけは・・・!」というモノがあれば、
価格も大事だけど、それを売る方の思いや在り方でお店を決めてみるのもいいかも。
そこから一生モノのご縁に出会えるかもしれませんね。


一度には無理かもしれないけれど、
ひとつひとつのモノに物語(エピソード)がある、
そんなミニマリストになれたらサイコーだなと思いました。


ちなみにその「町の電気屋さん」。
街中にあるのにめちゃくちゃデカいパラボラアンテナが屋根についていて、
仮に隕石が降ってきたとしても、
アンテナから発せられるビーム砲で隕石を撃ち落とせそうです。

写真はイメージです

もしかしたらあの、おじいちゃん社長。
一般人を装った地球防衛軍のオサなのかもしれないなと思いました。

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