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「ことば」の境界線(DAY20)

言葉には意味がある。

文字のフチ(輪郭)に合わせて境界線があって、
その境界線の内と外で「意味」と「それ以外」に分別されてしまう。

そんな姿を思い描いていた。


海を思い浮かべてみて。

どこまでも続く海が、バケツに入れられた途端に「海」と「海水」に分けられてしまうような感じ。

言葉は意味であり、それ以外の意味を排除してしまうものだと。


そぎ落とされていく「意味たち」、
そのなかに残された本当に大切なものが声を挙げずに沈んでいくようで、

昨日は、
私が一生をかけて目指していきたい「ことば」を紡ぎ出すことに対して抵抗があった。




昨日のパソコンのオンライン会議で、私は3か月間の目標を決めることになっていた。

私の1ヶ月目は一生かけて目指していく「スターコンセプト」を創ることになるだろうと確信していた。諸事情で先月も同じ会議に出ていたから。

スターコンセプトとは、人生の役割の定義、生涯の目標、why、天空の北極星のような存在。

ずっと、追いかけていくもの。

指標とし、求め続けていくもの。



昨日の私は、
スターコンセプトは「ことば」じゃなくて擬音(ぴぎゃ、とか、どぅくし、とか)がいいんじゃないかと思っていた。

スターコンセプトに対して抱く思考は、
ある日は「早く紡ぎ出したい」と願い、
ある日は「ただ忘れたい」などといったように
日々、移ろい変わっていくのだけど。

昨日は、
「ことば」にすることでバケツに入れられた海水以外の存在が消えてなくなりそうで、焦りを感じたのだ。


「ことば」としての境界線を認めた上で、
その「境界」を「問い」へのきっかけとしてしまおう、
未知なる深淵への扉としてしまおう、

パソコンの画面の向こう側で、
ふてぶてしさすら覚えるほどきっぱりと言い放ったとよぴーさん。

きっと、たくさんのものをそぎ落として、
現在進行形でそぎ落とし続けているからこそ、
明るくて重さが無いのだろう。

そんな、黎明をくぐった後の「明るさ」を届けられるような人間になりたいな、と、私の胸の底が思った。





ことばの境界線は、人生の問いの始まり。
「ことば」をきっかけにして、人生を深めていく、始まり。


3か月で終わり、じゃなくて
3か月以降が、始まり。


シンデレラなどの童話、「いつまでも幸せに暮らしましたとさ。」という最終ページと本の裏表紙の向こう側にも、シンデレラの「綴られない日々」が続いていくように、

「スターコンセプト」作成は「終わり」じゃなくて「始まり」なのだと。


毎日が揺れ続ける日々、
それがどう変わっていくのか。

一本の、独楽の芯となるような「ことばづくり」、
来月の自分の成長が楽しみです。


ではでは。

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