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墓場を走る vol.2

 カメラロールの中に、意図せず撮ったスクリーンショットが入ってることが多々ある。一番ありがちなのはロック画面の写真だ。他には、 何らかのウェブサイトの記事がやはり多い。無意識スクショにエロ系が一切ないのは行為時に集中してるからか?なんてことを考えさせられる。しかし、実際のところはあまり行為時には携帯への操作が少なくなるから誤写が起きにくいのだろう。

 私は7月から8月に掛けてSEのインターンに行っていた。プログラマーという仕事をプログラマーの前で約5年間嘲っていた私であったが、突然やってみたくなった。動機はなんとなくと分かっているがわざわざ書いたりはしない。
 実習にA社を選んだのは、きちんと基礎を教えてくれそうだったらだった。技芸を始めから覚えるのに最も良い方法は、他人から直接教えを受けられる環境に身を置くこと。短期間で基礎さえ覚えれば、後は自力で発展させていくことが出来る。身体が知っている。発展させていくかどうかは好きかそうではないかの気持ちに掛かっている。

 A社に対するイメージは予想通りで丁寧に教えて貰った。実習中、嘲っていた兄貴達に喫茶店で正式な謝罪をした。その後何度か嘲った。

 実習期間中に、北方謙三の「冬の眠り」を読んでいた。主人公の画家が、「自分以外の存在に向かって表現することが欠落している」一人の大下という青年に接した時に自身の通俗性を認識する。

​「淋しいという叫び。今も昔も、私の絵はそれだけだったと言っていい。白を載せ続けながら、私はそう思った。しかし、私の淋しさはどれほどのものだったのか。ほんとうに淋しかったのか。大下の絵を見たいまは、その思いだけが襲ってくる。 p.344

「淋しさという商品。私の絵を理解する人間が多数いるということで、いつの間にかそうなってはいなかったか。自分では自覚しないまま、他人に媚びてはいなかったのか。」 p.345

「夏江にもわかる叫び。夏江だけではなく画商にも、美術評論家にもわかる叫び。だから私は画家なのだった。」p.345

 「私の表現さらにつきつめれば、私以外には理解できない絵になるはずだった。ぎりぎりのところで、私はいつもそこへ踏み込む自分を抑え、世間とのつながりを保ってきたと言える。」p.354

「「俺は待つことしかできない俗物になっちまってる。しかも、心の底のどこかで、とんでもない事態を望んでいるような気がする。」」p.364

 暁子という主人公より20歳以上若い女が 出てくる。上に引用した「とんでもない事態とは暁子と大下に起こる事態のことだ。この二人に対して主人公はこう感じる。

「二人の絵を見ることで、私は心の状態もはっきりと知ることが出来るような気がした。稚拙で、熱意という情熱に満ち、そして決定的になにかが欠落していた。欠落しているものは、それぞれに違った。不思議なことに、二人の絵を合わせると、その欠落は消えているのだ。私よりも更に強く、二人はその欠落を感じているに違いなかった。お互いが補完し合うなにかを持っていることも、わかっている。そして、ひとりになりたがっている。二人であり、ひとりではないことにひどく苛立っている。お互いの躰に入ってしまいたい、という願望に似たものすら抱いているはずだ。」 p.298-299

  「ひとりになりたがっている」暁子と大下は互いに変化していく。そしてある事態が起きる。
 私は暁子を見てある女を思い出していた。

  一週間前インターンが終わった。共通の苦楽を共にした、私より年下の実習生達と分かれるのが悲しいくらいには関係が出来ていた。実習中盤から毎日、実習終了後に座談会が1Fエレベーターホールで開かれていた。最後の日には飲み会をした。

 今、私は実習で取り組んだJAVAとは別にHTML&CSSを学んでいる。短期間で成果物を作ろうとしているが。それが目標ではない。やっぱりコンテンツの問題になる。それを意識しながら、障子が破れた畳部屋を見渡す。ギター、Blues Harp、パソコン、ノート、本、新聞、そしてこの身体と心。全ては成し遂げたいことのために存在している。 

 そんなことを考えてたら笑えるほど人生が広がって行く。

抑止力

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