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月に照らされてる(仮題) ①

花瓶の割れる音がした。

私は西武新宿駅の改札から出てすぐの階段を降りていた。数人がその音の方向に顔を向け、すぐに戻した。私は少し見渡すと菓子屋がちらほらあるのに気づいた。
二つ目の階段を降りると赤煉瓦が貼られている柱に背中を預けた。
待っていた。電気屋に取り付けてあるユニカビジョンと書いてある巨大なスクリーンから女の歌手が歌っていた。真っ赤なワンピースと真っ赤な口紅をつけて熱唱している。私はしばらく見ていたが見飽きて目を下ろした。
少し遅くなるかもしれないと連絡があった。私は近くの喫煙所でタバコに火をつけた。透明なガラスで隔てられた喫煙所から、中国人観光客の集団を眺めていた。二本吸い、元の場所に戻った。
「お待たせ」
真帆が居た。来たというより居たと言った方が近い。そこに居たのに気づかなかったような感じだった。
「随分待った」
「ごめんなさい、エヘヘ」
笑い方は昔と変わっていなかった。
「腹が減った。どこかに行こう」
「全然変わらないのね」
私の胸のあたりを見て言った。私は革のジャンパーに黒いTシャツ一枚を着込んでいた。昔真帆にこの格好で着込んでいると言ったら笑われたことがあった。
歩き出した。人が集まってはいるが密集はしていない。新宿を会う場所に選んだのはそのためだった。真帆がユニカビジョンを指差す。
「Aikoだ。カブトムシ、懐かしい」
見るとまださっきの歌手が歌っている。
「あなたが死んでしまって、あたしもどんどん年老いて、想像がつかないくらいよ そう今が何より大切で」
感情を込めて歌っている。女の歌詞だ。と私は思った。
老舗の喫茶店に着いた。少し並んでいたが、今日は並ぶことにした。斜め向かいには季節外れのタピオカジュースが売られている。若い客がちらほらと買いに来ていた。時計を見ると12時ぴったりだった。
喫茶店の中は暗い暖色になっていて、混雑による活気を上手い具合に静めている。奥の席に座った。アイスコーヒーを二杯注文した。そして、タバコに火をつけた。
「2年ぶりね。本当に変わらないわ」真帆が目を見つめて言う。
「ここはたまに来るの。朝とか仕事前に来るわ」
真帆は仕事を続けてるようだった。編集者の仕事で、その話を聞くのは嫌いではなかった。
「まだ続けてたんだな。」真帆が頷く。
「随分、相談に乗ってもらったわ。あの時はありがと」
「何もしてないよ」
私は相談などしてなかったよと言いかけたが抑えた。実際相談をされた覚えがなかった。女というものは男が黙って聞いていれば相談に乗ってもらっていると思うのだろうか。
バイトがアイスコーヒーを運んで来た。黒いコースターにグラスを置く。真帆が軽く会釈する。
私はミルクを入れストローをさした。かき混ぜないで黒に白がそのまま混じっていくのを見るのが好きだった。真帆も真似をする。
「本当に変わらない。」少し神妙な言い方だったが、女特有の物言いだとも思った。混ぜずに少し飲んだ。コーヒーとミルクの差異がはっきりとわかる。
「俺は変わったと思うよ。あまり世の中に関心がなくなった。ニュースも見なくなったしな」
「前だって同じじゃない? どこかで一人だったわ。あなたは」
「どういうこと?」私は二口目を飲んだ。
「世の中に憤ったりしてたけど、よおく観察してみると自分に対して憤ってる感じがした。
「観察してたんだな」
真帆が笑う。私も笑った。
「臆病になったのかもしれないな」2本目に火をつけた。
「時代かもね。今、色んな作家さんと話すけど、みんな自分のことを表現しようとしてる気がするの。臆病と言われたらそうかもしれない。でもあなたは選んでる気がする」
「選んでる?」真帆は人と話す時しっかり目を見る。2年前の私はそれから逸らす自分に気づいていた。
「自分から選んでやってる感じかな。気づいてるというか。」
何にとは私は聞かなかった。コーヒーはすっかりミルクと溶け合っている。
「買いかぶるなよ。俺は流されるままに生きてるだけだ」
少し語調を強めた。無性にこの話を終わらせたくなった。
暫く沈黙が続いた。真帆のコーヒーも白がかっている。
「私、結婚するの」周りの雑音が小さくなった気がした。私は真帆を見ないようにした。見れなかった。私が口を開く前に真帆は続けた。
「相手は2つ年上で、外資系の会社に勤めてる人。彼が海外から帰ったら結婚式を日本であげるわ」
「そうか。よかったな」平然と答えて見せた。火をつける。吸う。
「あなたには言っておきたかった。だから今日会ったの」
「俺も会いたかったよ」平然を努めた。私は2年前のことを思い出していた。電話越しに怒鳴った。真帆は黙っていた。それでおしまいだった。
私はコーヒーを飲み干した。真帆のコーヒーはいつからか動いてなかった。
「出るよ」先に会計を済ませて出た。付いてくるかわからなかったが真帆は付いてきた。
「少し歩かないか。南口の方。」
少し頷いた。


 私は、最初よりゆっくりと歩いた。なんとなく、そうするべきだと思った。
アルタを斜めに見る。設置されたスクリーンから若い男が歌っている。サビ。ファルセット。切なさ。辛い時に高い声を出す男を私は見たことがなかった。好きじゃないが売れると思った。
「カカオ豆ってね、昔、どこかの国では通貨に使われてたんだって」私を見ながら真帆が言う。私は前を見た。
「どっちがいい。」
「それは今のお金だけど、想像すると面白くて。なんでもお金となり得るわけでしょ?希少なら。なにか思いつく?」
「みんなが大量に取れるものだったら通貨の価値はなくなる。しかし、それなりにあって取れないものではない。今だったらなんだろうな。今のお金以外で。」
暫く歩いた。
「わからない」真帆はこっちを見て笑う。
「意味があるものじゃダメなんだよな」真帆の目を無視していった。スクリーンから聞こえる声は通貨のようなものだと2年前になら真帆に言ってみただろう。
真帆の電話が鳴った。出るか迷っていたので出ろよと顎で促した。
「もしもし」私は後ろを歩いた。
「大丈夫。こっちは寒いよ」
真帆の髪が長くなっているのに気づいた。背中の真ん中あたりまで伸びている。服もよく見る変わっていた。ゆったりとした服を着ているイメージがあった。
「じゃあ、三月に。またね」
切った。歩くスピードが遅くなる。自然と並んだ。
南口の階段を登る。大通りに出た。甲州街道が眼前に広がる。
路地ライブを演っている人間がチラホラいる。アンプを通さないでギターをかき鳴らしている太った男がいた。彼の前にはギターケースしか置いていない。顔をしわくちゃにしながら歌っている。
「ねえ、あそこ」真帆が大きな歩道橋を指差した。立ち止まる。
「こないだ人が亡くなったよね。」
私は少し考えて。思い出した。年明けに歩道橋の柵にマフラーを引っ掛け首を吊って死んだ者がいた。死ぬ前に仲間と飲んでいて、今から死ぬと言ったとネットに書いてあった。
「なんで亡くなったんだろう。なにかを伝えたかったのかな」
真帆は人が死ぬことを亡くなったと言う。
「やっぱり生きづらいよね、この世の中。」
死ぬ奴は死ぬ。私はそう考えている。私は首を吊った場所を眺めた。
「なにをやれば死ななかったんだろうな」
「相談し合える人が必要なんだと思う。小さなことでも言い合える人。今、みんながそう言う関係を求めているような気がする。」
太った男が腕まくりをして次の曲に入った。音だけを鳴らしてると思った。
「音だけを鳴らしている。」
「え?」
「人と繋がりたい割には、なにも主張してこない奴が多いよ。臆病な奴等ばかりだ。言い返されるのを怖がってるんだ」
私は歩き出した。アンプを通した女の声が聞こえてきた。

続く

抑止力

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