野村監督とぼく

ぼくは、小学校から中学校まで野球チームに入っていた。別にうまくなくて、レビュラーにもなれなかったけど、続けていたのは友達がやっているからやっていたからだ。それでも、実況パワフルプロ野球という野球ゲームは好きだったし、テレビで試合観戦するのも好きだった。

応援しているチームは巨人だった。徳島出身の父影響で、おそらく父も父の母、僕の祖母の影響だと思う。王さんとか長嶋さんとかの話、祖母と父から結構聞いたし。巨人が好きだったのは、父の影響もあるが、やっぱり強かったからだと思う。ぼくの地元は西武新宿線が走っていて、地元的には西部を応援する人もいた。中学校のころ 2002 年の日本シリーズは巨人対西武で巨人が4連勝したときとか謎の優越感を覚えていた。

高校に入って野球部には入らなかったけど、やっぱりプロ野球を觀るのが好きだった。

高校1年制の頃、担任の先生と野球の話になって、野村監督の書いた巨人軍論という本を貸してくれた。

当時(今もだけど)、野球を、巨人だけをぼんやりと観ていた自分にとって、野村監督のことはあまり知らなかった。強くて好きな巨人の監督、長嶋茂雄さんが「ひまわり打線」と呼ばれていたのに対してそんなに強くなかった阪神の「月見草打線」なんて言っていったな、くらいだった。

巨人軍論の帯には"私は誰にも負けない「巨人ファン」である"と書かれていた。どういうことなんだろう、とおもって読み進めていると、潤沢な資金力、黄金時代を築いた常勝チームの巨人への対抗として、ヤクルトや阪神の監督を努めた野村監督が、

知力と努力を駆使してどのような戦略で立ち向かっていったかが書かれていた。また、その頃の巨人が少し弱体化していて、その裏に「伝統」が引き継がれていないことが原因だと分析していた。あと、選手時代のことも書かれていて、1年目は戦力外通告を受けたり、捕手にとっては致命的な肩の弱さを指摘されても、懸命に隠れて練習を行って、チャンスを逃さず這い上がっていったエピソードがすごい好きだった。

2006年に発売されたこの本を読んだ年に、野村監督は楽天の監督に就任した。この年の楽天は最下位だった。この頃、高校生くらいから Hip Hop を聴き始めるようになった。Hip Hop では「逆境から這い上がる」みたいなテーマの曲が多くてなんとなく野村監督のイメージと重なっていった。巨人は資金力のあるチームで、お金のあるチームが強いのは当たり前だよなと思って、弱くても頑張っているチームを応援したくなった。

巨人を応援していた祖母は子供を医学部に進学させるように心血を注いでいたらしい。これは完全に推測なんだけど、祖母の中では「経済成長で豊かになっていった日本」と「強い巨人」が結びついていて「勝つこと」が至上命題だったのだと思う。

でも、ぼくは世の中に、豊かさよりも閉塞感の方を強く感じていたし田舎の高校でなんとなく浮いていたこともあって、そこから世間で「弱い」とされているものに目がいくようになった。いつしか楽天を応援するようになった。

そして、楽天は2008年に最下位を脱したし、2009年には 2 位ににまで上り詰めてクライマックスシリーズにも出場した。なのに、シーズン最終戦というタイミングで、来季監督の続行がないことが告知された。もやもやしながらも、クライマックスシリーズは第一ステージは勝って、惜しくも第2ステージでは破れてしまい、月並みな言葉だが「夢をみる」ことができた。もう一年、ユニフォームを着た"野村監督"を見たかった。

監督退任以降は、野球解説者として活躍されていてた。解説を「ぼやき」という代名詞で語られることが多いけど、その切れ味、わかりやすさ、深みとなんともいえないユーモアが好きだった。特に、落合監督との対談が印象的だった。他にも、Youtubeにいっぱい上がっているので、ぜひ見てみてください。

謹んでご冥福をお祈りします。


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