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濁音と「ン」の付くタイトルは、印象に残りやすい

昨日、ある番組で、「東映の映画タイトルの付け方のデンから言えば、濁音と「ン」の付くタイトルは、印象に残りやすいのでヒットの可能性が高い」とのこと。

それでふと思い出したのだが、僕らの世代の男の子が「ハルマゲドン」という言葉をはじめて聞いたのは、間違いなく角川映画の『幻魔大戦』の新聞予告ではないかという記憶がある。そこに書かれていた「ハルマゲドン接近…」という言葉が、小学校でも超ウケていたものだ。おまけに当時はググることもできなかったから、「ハルマゲドン」と聞いても音感がよいだけで、その意味は全くわからず、結局、このポスターの背後に書かれている印象的なロボットのデザインを見て、「これが、ハルマゲドンかな?」と大勘違いをした覚えがある。

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まあ、『幻魔大戦』それ自体は、個人的には好きなトンデモアニメではあるけど、当時としても期待倒れだったことは間違いない。実際、事前にアレだけワクワクした「ハルマゲドン」の本当の名前は「ベガ」だったし、結局本編では「ハルマゲドン」にあたるキャラクターは出てこなかった。だから当時『幻魔大戦』を大期待で見に行った子供達の多くは、見終わった後、凹んで帰ったのである。子供心にも、敵の親玉である「幻魔大王」は観念的過ぎて、おまけに「絶滅!破壊!」とかしか言わないので、頭が悪い、カッコ悪い敵にしか見えなかったのである。まだカフー先生のほうがよほどマシである。(これは今でも変わらない感想)

そう。子供の頃の僕が期待したのは、「カッコいい超ロボットの敵・ハルマゲドン」に対抗して、如何にサイオニクサー達が戦いを挑むのかの娯楽SF大作だったのである。そして当然のことながら、それは果たされなかった。

で、次に僕らが「ハルマゲドン」の言葉を聞いたのは、オウム真理教が大学内で騒いでいた頃である。その時の自分とかの感覚は、「ハルマゲドン」と聞いて、なんか妙に陳腐で凹む感覚があったのを覚えている。事件を起こす前のオウム真理教にも、嫌われる意味での「オタク臭」を感じたのも、そこら辺の用語選択のセンスだった気がする。他にも「コスモクリーナー」とかあったしね。

この大昔の2つの記憶と、東映の映画タイトルの付け方の伝統が、昨晩、いきなり結びついて理解できたのだ。


僕が、オウム真理教にハマらなかったのは、『幻魔大戦』の「ハルマゲドン」に凹んだ子供の頃の記憶がトラウマとなって、最初から胡散臭く見ていたからなのではないかと。
それに、オウム真理教に本気でハマリ込んだ幹部の連中は、自分達と歳が近かったとは言え、ビミョーに『幻魔大戦』体験をしたことがないような、お坊ちゃんが多かったのもある。彼らは教祖が唱える「ハルマゲドン」という音感に酔ったのではなかろうか? そもそも浅原自体が『幻魔大戦』を音で知っていても、実際に見た経験はなさそうだろうから…。余計その音に妄想を働かせた可能性はありそうだ。
そう考えると、オタク体験で、自分が事前にワクワクしたものが徹底的に裏切られるという経験も悪くないような気がする。
少なくとも、「ハルマゲドン接近…」という言葉だけでワクワクする子供は、今の僕の中にはいない。
ここまでクリアして、オタクとしての「レッスン、全て終了!」そして、これ以降は「ノバ現象」。

ちなみにその次に怪しげな期待にワクワクしたのは、『帝都物語』だったりする。嶋田久作はズルい。

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これとかも、東映のタイトル付けのデンだったら
『帝都㊙物語』
のほうがもっとウケるはずのタイトルなんだそうだ。

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