彩/CHROMA×615
ほぼ毎日振り返って何かをつぶやく。 Facebookみたいに〇年前の自分のつぶやきを教えてくれてらいいのになーと思いながら。
撮った写真はスマホに入れておくと捨てちゃうから
思ったことを忘れないうちにメモる。 つぶやきでは収まらなかったもの。
惚れ込む意味の「ぞっこん」って由来はなんだろうか?と。 そもそもは底根(そここん)で「そっこん」から「ぞっこん」となったそうな。難読漢字の回答として「そこね」ではなく「ぞっこん」とあったけど、盆栽用語で「そこね」は幹の真下の根を指すそうだ。 心の底からのびている幹と違わぬ気持ち。
漫画で屍蝋化している死体が登場。思い出せない部分があり屍蝋化で検索。死後、鹸化した肉体。 鹸は石鹸以外で見ない文字だなと鹸だけで検索。意味は灰汁、または塩基。鹸は鹼の略字で、地上に出た塩の意。鹵と僉を合わせた形声文字。形成文字とは意味(鹵)と音(僉)を合わせてできた字。なるほど!
もう二度としたくない経験をしたけど、そんな話したくない場から学んだことはまさに“百聞は一見にしかず”だったし、何より友人が一人増えた。今日はその友人と、二度と体験しない場の現状について話した。「もっと別の結末だったら、もう少し納得しやすかったのにね。」という友人の言葉が心に残る。
いつも行く運動屋さんのコーチが今週で転勤。会えるのはあと一回。お土産を忘れないように運動バッグにin。 若いコーチほど転勤が多い。転勤により複数の店舗をかき混ぜ均質にしておくためだと思うけど、利用者としてはとても寂しい。もちろんそうしているから新たな人とも会えるのだけど。寂しい。
本日の発見。 Q.私達の前で素になったことはあるか? A.ない。素であるというのは人に対して失礼だから。 それぞれの人、それぞれの場、それら無限にある対峙する人と場にあった自分にチューニングして会うと話されていた。チューニングを着飾る、清潔にすると言ってもいいかもしれない。
約5年毎に体調不良時の症状が変わる。発熱、嘔吐、目眩、現在は顔の痒み。毎度痒みの後に腹痛になる?と気付いて観察中。今回も痒みの翌日に腹痛あり。思いのほか胃腸は弱いらしい。 その前に甘いもの欲が爆発してないか?が今回の発見。こうして克服するのが約5年。胃腸&痒みは、手強い!!
「NO!と断られて傷つかないわけじゃない。でもそれはそれ、お伝えできなかったと思って次に活かす。」自分が良いと思うものを人に伝えるのに傷つくなんて変じゃない?これが私が言いたかったこと。 そんな変なことを続けると、自分が傷つかないように相手を理解できぬ低能として笑うようになるよ。
柚子はその強い香りから邪を祓うとされ、そこから冬至に柚子湯に浸かる風習になったのだとか。 天邪鬼なのですぐ「じゃあドリアン湯なら不治の病も治っちゃうな」などと妄想。ドリアンはさておき自然物を使っての芳香浴は楽しい。海外でも薬草湯があるみたいだから、その国の香り湯になるんだろうな。
目標を決めて動いた記憶がほぼない。目標までの段取りを逆算することが苦手。計画があると窮屈で動けない。そもそも無い計画は進められない。 この年になってやりたいことを目標なくやり続ければ結果、目標に向かえるとかってきた。目標の立て方という枠、言葉のイメージに囚われがちとは損なことだ。
昔々いつもと反対向きにベルトを通して締めると腰痛が治る─という話を聞いた。日々無意識にやっている右で持つ、時計回りといった動きすべてを反対にしたら筋肉痛くらいにはなるのではないか?そんなことをいつもブラのカップに胸を収めるのは左右だから今日は右左と思いつつ考えていた。
社交的かつ自分中心な人とは、全ての人の意見は参考資料として有難く頂戴し自分にインプットするが、その意見に従うかどうか決めるハンドルは絶対に離さない。こういう頑固主義者から新機軸が生まれやすいーと漫画家の山田玲司氏。 身体は欲しい分だけ欲しい栄養素を取り入れる。思考も同じでいい。
年末、自分の作品に統一感がないと思った。 それをある作家さんにお話させて頂いたら「作品に統一感がないと言われた事があるが、それでいいことにした。」と。私はその作家さんに統一感がないと思わなかった。 統一感とは何だろう?私は今のところ、見る人のフレームの置きどころだと思っている。
鳴るとして、何階が鳴るのかドキドキピンポンなとあるビルの入口。 ボタンが[呼]な古い感じもいいし、ひとつだけ違うのも知りようがない話、ものすごく小さな物語があったんだろうなと思える余白がいい。 (ちなみにこの呼び鈴の応答機は部屋にないと3階の店舗が教えてくれた)
もうお婆さんだからさ〜とか、私お婆さんだもんね〜とか。私よりひと回り上の世代くらいの人が言う。と言うことは、私もお婆さん手前ということ。こんなお婆さんになりたいとか言ってた理想のお婆さんになれそうか?もちろんお婆さんになってからも理想に近づくなりキープするなり色々あるけど、少なくともスタートラインはそう遠くない。準備期間は終わっちゃうぞってことだ。 ただ、お婆さんだからさ〜と言われて気分はちょっと複雑だ。それは自分のお婆さんへの準備期間の無さを知らされるようだからそう感じる