5.歴史の真実

 今まで私たちは学校で、たくさんの歴史や本を読んで勉強してきました。学校では決して教えてくれない真実や嘘が、実はたくさん隠されていることを知っていましたか?今まで当たり前に信じていたことが実は嘘で、テロや震災、災害、事件が大きな組織によって計画されていたと知っていましたか。何が正しくて、何が間違っているのか、何が真実で何が嘘なのかを見極めなければいけない時がきたのです。

●明治維新

 明治維新は、学校の教科書で必ず習い、様々な書籍で取り上げられるほど有名な歴史的事実です。しかし、明治維新には、多くの日本人が知らない深い闇に包まれています。それは、ロスチャイルドなどの欧米勢力が反幕府勢力に支援して、幕府転覆を故意的に引き起こさせたということです。
 例えば、薩摩藩や長州軍に最新の武器を提供していた勢力が欧米の武器商人達であることは、調べるとすぐに分かります。反幕府勢力への最大の武器支援者と言われロスチャイルドの代理人トーマス・ブレーク・グラバーの石碑が長崎県にありますが、そこにはロスチャイルド家の下部組織であるフリーメーソンの印が刻まれています。
 明治以降から現在に至る歴史の中で、特に戦争と金融分野では、いつもロスチャイルド家やロックフェラー家が深く関わってきました。彼らは、歴史の表舞台に出てくることはありませんが、日本の歴史上の戦争や大事件の裏には、いつも彼らの存在があったのです。 明治以降の日本の歴史は、ロスチャイルド家やロックフェラー家、そして彼らに仕える国内の政治家によって故意的に引き起こされてきた戦争の歴史であるといっても過言ではありません。 
 明治維新は「文明開化」といわれるように、今の近代化された日本の出発点で、日本人の生活様式やファッション、考え方、 政治、経済、法律、 宗教にいたるまで、すべてが近代化の名のもとに一気に西洋化していきました。 
 明治維新によって、歴史に残る一大事件を成し遂げたのは、薩摩藩・長州藩・土佐藩など地方の下級武士たちです。 中でも代表的な維新の三傑といわれるのが、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允ですが、当時、敵対していた両藩を結びつけたのが坂本龍馬であるとされています。 この両者が結び付いた軍事同盟である薩長同盟の結果、倒幕運動が功を為し、明治維新に至ったとされています。今でも語り継がれる坂本龍馬による大業績ですが、大政奉還の基礎になったといわれる「船中八策」を提案したとして、彼は暗殺されました。
 しかし、その背後にトーマス・ブレーク・グラバーというイギリスの武器商人の存在がありました。 グラバーは、ロスチャイルド家の系列会社であったマセソン商会の社員として中国の上海に派遣された後、日本代理人として長崎に赴任し、グラバー商会を設立します。来日当初は、生糸や茶の卸売をしていましたが、幕末の混乱に着目して薩摩・土佐藩士など倒幕派を相手に、武器や弾薬を売り始めます。  
 当時、幕府に敵対していた長州藩は、グラバーから武器を買うことを幕府から禁じられていたので、龍馬はグラバーから分けてもらった武器を薩摩藩名義で、長州に流すことで両者を和解させることに成功したのです。 しかし、これは龍馬を使って薩長を結びつけ、その後、両藩を支援して幕府を転覆させるというグラバーの計画でした。 
 また、グラバーは、それ以前にも敵対していたとされる薩摩藩の五代友厚や長州藩士の伊藤博文などとも交流があり、彼らにイギリス留学を斡旋し、当地で交流させます。 つまり、龍馬が両者をつなぐ前に海の向こうではグラバーの仲介で、薩摩と長州はすでに結びついていたのです。 
 なかでも、グラバーの手引きによりイギリスに密航し留学した長州藩の5人の若者たちは「長州ファイブ」または「マセソンボーイズ」と呼ばれました。というのも、今の価値で10億円とも推測される彼らの留学費用の大部分を負担したのは、グラバーの勤めるマセソン商会の社長、ヒュー・マセソンでした。 さらに彼の上には、世界一の金融王ネイサン・ロスチャイルドの息子であるライオネル・ロスチャイルドがいました。ライオネルやマセソンにかわいがってもらった5人の若者たちは日本に帰り、明治新政府ができた後、日本の最高指導者となります。 いわば、ロスチャイルド家当主の子分であった若者達によって、明治の日本が作られていたわけです。
 明治維新をロスチャイルド家の視点からみてみるとこうなります。 まず、日本と貿易を始めたロスチャイルド家の代理人であるグラバーは、幕府の体制が古いため、なかなか効率よく取引ができません。 そこで、地方の若者(この場合、薩摩藩・長州藩の下級武士)に資金と武器を提供し、クーデターを起こさせます。 自分たちが教育し、支援した若者たちが政府を転覆し国を乗っ取ります。彼らを通じて日本を支配し、有利な関係を結びます。明治新政府はこのように創設されました。 
 しかし、所詮イギリスの後押しでできた傀儡政権ですから、その明治新政府に不満を持つ者も多く出てきます。  それが戊辰戦争という内戦で、不満を持つ旧幕府軍が戦いました。戊辰戦争は、まず新政府軍 V.S 幕府軍の主導権争いの京都「鳥羽・伏見の戦い」 に始まり、次は「東北戦争」、そして旧幕府軍の最後の抵抗となる「箱館戦争」で幕を下ろしました。
 当初、京都の戦いでは両軍の兵力は、新政府軍の約5000人に対し、 旧幕府軍が15000人。旧幕府軍側が3倍ほど数で上回っていましたが、朝廷が薩長軍を官軍と認定し、錦の御旗(みはた)の使用許可を与えると形勢が逆転します。この錦の御旗は、岩倉具視が密造したものでしたが、朝廷の許可を得て戦地で掲げると、天皇には逆らえないと旧幕府軍の戦意は低下し、徳川慶喜が軍を捨てて京都から江戸に逃げたことも重なり、新政府軍の圧勝に終わりました。
 私達は日本人であるのに、なぜ歴史の本当の事実が知らされないのかは、もう想像できますね。それは、明治以降から現在に至る歴史の中でずっと、日本政府がいつもロスチャイルド家やロックフェラー家と裏で深く関わってきたからです。私達は日本人として、日本という国をこれからも守っていくために、日本の本当の歴史を知り、日本を支配してきた欧米勢力と繋がっている日本政府を打倒しなければならないと思います。一人一人が立ち上がり、真実を共有して拡げていきましょう!



●明治天皇のすり替え

 日本の歴史において、学校の教科書では習ったことがない、または、教えられていない真実といわれている事件の一つに、明治天皇のすり替えがあります。明治天皇の父である孝明天皇は毒殺され、明治天皇になるはずだった睦仁親王も暗殺された可能性が高いのです。
 明治維新前のフルベッキ博士を囲む群像写真が歴史資料として残っていますが、明治天皇が武士の格好をして写真に納まっています。そこには手書きで名前が書かれており、明治天皇は「大室寅之祐」となっています。これは、いったい何を意味するのでしょうか?
 明治天皇の父である孝明天皇は、国民の暮らしを重んじる優しい人だったといわれています。平和を重視し、欧米の誘導で開国することはありえないという姿勢を見せ、日本を守っていました。孝明天皇とその息子の睦仁親王は、欧米からの派遣員と繋がっていた伊藤博文や岩倉具視らの手で暗殺されたといわれています。その後、睦仁親王に成りすましたのは、大室寅之祐という説が有力です。山口県田布施にかくまわれた大室寅之祐は、南朝系の血を受け継いでいて、明治維新は、北朝の天皇を南朝の天皇に変える目的もあったといわれています。
 明治天皇の周囲に仕える人々は、なぜ睦仁親王と大室寅之祐がすり替えられたことに気が付かなかったのでしょうか?
 明治天皇は、即位する時に女官たちを京都に置いたまま、東京へ遷都したそうです。これは、周囲の目を欺くためだったのではないかといわれていて、血の繋がった身内とも対面しない姿勢を貫いていたようです。当時、孝明天皇の妹・和宮(睦仁親王の叔母)が、即位した明治天皇に会わせてくれと懇願しても許可がもらえず、数年後に許可が降りて会いに行った道中の休屋で和宮一行は惨殺されてしまいました。和宮様の侍女(生き残り)の子孫が当時の様子を手紙に書きました。その内容は、和宮様一行は、明治天皇に会いに行く途中、皆殺しにされたされ、その犯人は岩倉具視であったという事実が明らかにされています。ただ一人生き残った侍女が、その目で見たことを子孫に長年言い伝えてきました。
この、和宮様のお墓と埋葬方法についてですが、皇族は衣装や納棺の品が豪華であるはずなのに、和宮様は、ほぼ裸同然の状態で埋葬されていたことがわかっています。つまり、明治天皇にとって、和宮は赤の他人だから、丁寧に埋葬することはなかったのではないかと思われます。
 これが真実であれば、明治維新のスローガン「尊王攘夷」(君主を尊び、外敵を斥けようとする思想)は嘘であり、維新の志士達は、日本の君主の地位や権力を奪うテロリスト集団ということになります。また、彼らは幕府に戦争を仕掛ける資金力などなかったと思われますが、それができたのは、イギリスの武器商人だったトーマス・ブレーク・グラバー(イルミナティ)が操る坂本龍馬の影響がありました。
 坂本龍馬は1867年に31歳の若さで暗殺されています。明治元年は1868年ですが、明治になった途端「維新の十傑」と呼ばれ活躍した人物が次々と暗殺されました。15年以上、生きながらえたのは、岩倉具視だけでした。後に500円札に載ったのが岩倉具視です。明治維新を画策して坂本龍馬の暗殺に資金を出した人物は誰か、得をした人物は誰なのか?ということを考える必要があります。
 明治維新は、イギリスを中心とした、日本に対する金融支配の始まりです。その後、イルミナティは、日本に武器を持たせて利用しました(日露戦争)さらに、田布施システムで朝鮮系民族を政権の中央に押し出し、現在もなお、それが続いています。日本人ではない李一族(イルミナティ13血流)がトップとして日本政府を操り、日本の領土侵略と新型コロナワクチン接種による人口削減計画を現在実行中です。日本人一人一人が目を覚ましてこの流れを断ち切らなければ、日本は侵略され続け、日本国民は滅びてしまいます。大袈裟なことではないのです。今は、本当に一刻を争う戦争中なのです。真実を知り、日本人が一人ひとり立ち上がることが、今、求められています。


●原爆

 タイトル「原爆と秘密結社」 (デイビッド・J・ディオニシ/著、 平和教育協会訳/訳、成甲書房 )という1冊の本に記されている、原爆の真相について解説することで、果たして本当に原爆は、米軍によってB29から日本に落とされたのか、ということを考えるきっかけや気づきになればと思います。
 この本の前半は、著者が調べ上げた米国内の秘密結社の情報が記されています。その中には陰謀論の世界ではおなじみの「スカル・アンド・ボーンズ」や「イルミナティ」などが紹介されていますが、それらはその時代や場所でその都度使われる名称で、それら組織の総体は「死の血盟団(Brotherhood of Death)」であると捉えられています。死の血盟団の根幹は悪魔崇拝であり、悪魔と同化することでこの世界を支配する力と最高の知性が得られると信じられており、彼らの最大の敵はキリスト教やキリスト教信者であると教えられています。また、これまでの二度の世界大戦は彼らが意図的に引き起こしたもので、三度目の世界大戦も起こすことで、彼らが支配する世界統一政府をこの世にもたらすことが究極の目標として掲げられ、広島、長崎に原子爆弾を投下させたのも彼らが引き起こしたものであると結論付けています。
 この本では、原爆の証拠を疑う事柄が上げられています。長崎に投下されたファットマンの原爆報道の矛盾点や、当初から、投下予定だった北九州ではなく、長崎が原爆投下地点と決められていたというものです。長崎に投下されたファットマンの原爆報道の矛盾点は、以下の通りです。

〈原爆投下機ボックスカーに関する矛盾〉
1.投下機は北九州の小倉に向かい上空を3回も旋回した末、長崎に進路を向けた。
2.当日の小倉の天候は投下不能になるような悪天候ではなかった。
3.予備燃料600ガロンが給油されておらず、爆弾投下後、出発基地のテニソンには戻れず沖縄にほぼ燃料が空の状態で緊急着陸した。
4.沖縄の米軍基地は同機の緊急着陸の呼びかけに全く応じなかった。
5.サポートに付くはずの救難捜索機に帰還命令が出されていた。
6.同乗取材するはずだった、原爆報道で有名な記者ウィリアム・ローレンスがなぜか乗り遅れた。

〈着弾地点に関する矛盾〉
7.爆撃目標と考えられる三菱造船所からなぜか4.6kmも離れた市街地に投下された。
8.気象観測機は出動しており、命中誤差はせいぜい150m程度だった。
9.浦上天主堂の倒壊具合から、爆心地は現在の認定位置から北寄り、現在の平和公園の辺りだったと認められる。
10.米軍発表の写真では浦上天主堂の倒壊した壁が修正されている。
11.浦上天主堂の壁が一部残っていることから、猛烈な爆風が横から当たっていることがわかる。つまり、上空での爆破ではなく地表に近い点で爆破していることが読み取れる。

 上記にあるように、投下機は、北九州を3度も旋回したにもかかわらず、長崎に向かいました。北九州への原爆投下予定だったはずが、悪天候のために長崎に変更されたとされていますが、当日の天候に問題はなく、当初から長崎が原爆投下地点と決められていたのではないかといわれています。故意的に3旋回を繰り返し、何も知らされていない他の乗組員に、当初の爆撃目標が北九州であることを印象付けるためだったのでしょうか?長崎は初めからターゲットだったのではないでしょうか?
 北九州上空での旋回は、理由があるようです。燃料の少ない同機を故意的に何度も旋回させています。そこには任務終了後にボックスカーを燃料不足により東シナ海に墜落させる意図が見え隠れしますが、証拠隠滅だとすると、何のためでしょうか?
 同乗取材するはずだった、原爆報道で有名な記者ウィリアム・ローレンスがなぜか乗り遅れて実際には乗っていなかったのです。彼は、死の血盟団の一員であり、民間人記者でしたが、重要機密であるはずの原爆投下作戦にフリーパスで参加することができたとされています。狙いは、現在の米国も主張する「戦争終結に原爆は必要だった」という世論を形成するためです。一つの強力な定説を作り上げるために、実機乗組員の証言はむしろ邪魔になると考え、抹殺する予定だったのではないでしょうか?
 他の原爆の証拠を疑う事柄は、爆風を伴う強力な大爆発 、放射線で焼け焦げた遺体 、戦後の放射線障害、上空に湧き上がったキノコ雲、核爆発は原子核の存在を証明するには早計すぎる、ということも上げられています。
 また、なぜ、長崎の市街地に原爆が落とされたのか。その理由とは、「戦後、天皇の神格化が解かれれば、多くの日本国民がキリスト教徒に改宗するだろう。死の血盟団の天敵であるキリスト教の普及を阻止するには、日本のカトリック宗の聖地である長崎、浦上天主堂を破壊し、その信者を抹殺しなければならない」というものです。
 実際に残された証拠から、何が真実かを疑い検証することは、非常に重要であると思います。他でも様々な推測がされていることと思いますが、自分自身でもよく思考して真実は何かを考えることが大切であると思います。私達の先祖を戦争で苦しめ殺害してきた歴史から、世界の支配層の悪魔的な思想や大衆心理操作、彼らと繋がる日本政府の思惑や計画に、一人一人が気づくべきだと思います。

 

●北朝鮮拉致問題 横田めぐみさん

 北朝鮮拉致問題の横田めぐみさんが、誘拐されたという事件化に至った経緯は、なぜ横田めぐみさんを特別扱いするのか、それは拉致被害者17人のうち、彼女一人だけが特別な存在だったからです。なぜそんなことがわかるのか、それは、暗号をメッセージとして、「北朝鮮が教えてくれた」からです。
 そもそも北朝鮮と日本の関係自体が秘密とされています。しかし、北朝鮮の側としては、北朝鮮国内の状況や、金王朝が日本とどのような繋がりがあるのかについて、日本の人達に密かに真実を伝えたいと切望しています。そのため、北朝鮮は、開示されるわずかな情報の中に、影のメッセージを組み込み、暗号として日本に真実を伝える方法をとりました。
 これは2002年の小泉純一郎元首相の時から行われ、2014年から2017年の間に最も多くの情報が開示されました。この開示された情報に含まれた暗号を受け取り、解読に成功した人達は真相を把握していたということです。そこにはどのような暗号が解読されていたのでしょうか。

〈発表された消息〉
 横田めぐみさんは日本にいた頃、横田滋と早紀江夫妻の長女で新潟県新潟市に暮らしていました。当時13歳だった1977年に、部活が終わった後の帰宅中に、北朝鮮の工作員に拉致され、北朝鮮に連れていかれたとされています。
 2002年9月の小泉純一郎元首相の北朝鮮訪問の際、めぐみさんは北朝鮮で金英男という男性と結婚し、1993年3月に死亡したと告げられます。そしてこの金英男という人物と写した写真が2枚、小泉元首相に手渡されました。

〈金正日の渡した写真〉
 まずはこの時手渡された写真が、北朝鮮からの第1のメッセージです。左が金英男さん、右の女性が20代のころのめぐみさんのようです。よく見ると、この写真の2人の足元に影がありません。奥の建物に比較して、2人の身長が巨大で遠近感も明らかにおかしいです。明らかに合成写真でした。もう一枚の写真も、わかりやすい合成写真です。
 なぜ、北朝鮮は、誰が見てもわかりやすい合成写真を渡してきたのでしょうか。これは北朝鮮からのメッセージと思われます。
 つまり、嘘の写真2枚を渡すことで、めぐみさんが結婚後に死亡したことは嘘というメッセージを託したものと考えられます。

〈キム・ヘギョンさんとの面会〉
 2006年、横田めぐみさんの娘であると伝えられていた、キム・ヘギョン(13)さんが、来日し、横田邸で横田夫妻との面会を果たしました。
この面会の模様はテレビで大きく報道され、その後、ヘギョンさんのDNA 鑑定が行われ、めぐみさんとヘギョンさんが親子関係である確率が、99.997%となることが判明しました。

〈ウランバートル面会事件〉
 その後、2014年、3月10~14日の間に、横田夫妻はモンゴルの首都、ウランバートルに赴き、キム・ウンギョンさんと面会します。その直後に、北朝鮮側か、2枚の写真が公開されましたが、この写真が北朝鮮からの第2のメッセージです。
 これらの写真は、写真に込められた意味を隠蔽するために行われた工作の跡です。特に下の1枚は、この写真の意味が正確に伝わってしまうと、日本政府やマスコミ、被害者の会がついてきた嘘がすべてばれてしまう、致命的なものとなってしまいます。
 まず、この面会はモンゴルの首都、ウランバートルにあるモンゴル政府の迎賓館で行われ、事前に通知は一切なく、報道陣も入室を許されていませんでした。つまり、面会自体が秘密裏に行われ、政府は面会の事実を発表するつもりがなかったということです。
 しかし、面会直後にまず、1枚目の写真が流出してしまい、3日後の3月17日に外務省は慌てて面会の事実を公表しました。その時は、横田夫妻が抱いている幼児がキム・ウンギョンで、横田夫妻はひ孫に会えて嬉しかったと述べた、ということになっています。
 その後、2枚目の写真が流出します。そこで政府は、左に載っている女性はキム・ヘギョンであり、この幼児の母親であると言い出します。しかし、キム・ヘギョンは来日した2006年の時点で、13才であり、その8年後で21歳にしては若すぎる女性でした。これを受けて政府はさらに、めぐみさんは北朝鮮に渡った後、1986年にキム・ヘギョンさんを出産し、写真の女性は28歳になったキム・ヘギョンさんであり、その子供が幼児であるキム・ウンギョンさんだと言い出しました。
 では、2006年に来日した13歳のヘギョンさんは、一体誰なのでしょうか?辻褄が合いません。
 挙句の果てに、政府は、1986年に産まれたのはキム・ウンギョンさんで、この女性はヘギョンさんではなく、ウンギョンさんだ、と言い出します。じゃあ、この幼児は誰なのでしょうか?
 最後には、ヘギョンはウンギョンの間違いで、ヘギョンさんは存在せず、正式にはウンギョンという名前だったといい始めます。そして、このウランバートルでの面会が孫との初面会だった、として、2006年のヘギョンさんの来日をなかったことにしてしまいました。そんなことがあり得るのでしょうか?
 しかし、どう取り繕っても、矛盾は重なるばかりです。この矛盾したそれぞれの段階の説がネットに氾濫していますが、この重ねられた嘘の数々は、すべて、写真の2枚目の左の女性が誰なのか、を隠すために行われたものであると思われます。

〈ウランバートル事件の真実〉
 2006年に来日した13歳の少女が、確かにキム・ヘギョンさんです。モンゴル迎賓館で横田夫妻が抱いている少女が確かにキム・ウンギョンさんです。
 では、2枚目の写真で、早紀江さんの横にいて、親しそうに肩を抱いている女性がいましたが、顔のつくりから明らかに親族ですね。それも昔からよく知っている人物のようですが、その女性こそが、13歳の時に日本で拉致されたといわれる当時49歳となった、横田夫妻の長女、横田めぐみさんでした。

〈北朝鮮からのメッセージ〉
 この写真を流出させたことによる北朝鮮からのメッセージは、横田めぐみさんは生きている、ということです。もう一つは、日本政府が横田夫妻とめぐみさんが密かに面会していることを暴露することによって、拉致事件が嘘であるということを日本国民に伝えたかったのです。

〈めぐみさんの北朝鮮での立場〉
 横田めぐみさんは生きていて、両親とも会っていることが明らかになりましたが、めぐみさんは北朝鮮でどのような立場で、何をしているのかということも、北朝鮮が答えを示しています。
 北朝鮮は、2015年の朝鮮労働党結党70周年式典の際、指導者である金正恩が、身ごもった際の記念式典の写真を公開しました。真ん中にいるサングラスをかけて帽子をかぶった人物が、当時の最高指導者で、金正恩の父である、金正日です。
周りに親族の男性と、奥に後宮の女性が控えています。そして前列に並ぶ5人の女性が、金正日の妻たちです。金正日には5人の妻がいるとされてきましたが、その全員の顔が公開されたのはこれが初めてです。右から2人目の黄色い服を着た女性が、第3夫人の高容姫で、彼女こそ、横田めぐみさんです。
1984年の写真ですから、当時19歳でしょうか。
北朝鮮からのメッセージは、横田めぐみさんは金正日の妻の一人であるということです。

〈金正恩の母親は?〉
 北朝鮮の公式発表で、金正恩の母親とされているのは、この第二夫人の高英姫、横田めぐみさんです。
 金正恩の回想として、母は日本生まれで、日本人と朝鮮人のハーフである、と語られています。この高英姫は、大阪の在日朝鮮人女性の娘で、北朝鮮にわたり、喜び組に入隊して、そこで見染められて、金正日の妻となりました。金正日からは、日本名で「あゆみ」と呼ばれていたそうです。これらの情報から、高英姫の父親は日本人と想像できます。
 そして2017年、北朝鮮の高官が突然、発表を行います。それは、「金正日夫人の高英姫の父親は、日本のプロレスラー大同山又道である」というものです。なぜ、この時期に単独で発表する、と不思議に思いますが、これが北朝鮮からの最後のメッセージです。大同山は、もともと柔術家で、その後プロレスに転向し、日本のプロレスの草創期を作った人物です。力道山の一世代前の方です。有名人なので、当然系図が残っています。両親ともに朝鮮人です。
 つまり、高英姫は、両親ともに朝鮮人であり、金正恩自身が言った「母は日本人と朝鮮人のハーフ」の条件に当てはまらないことになります。
 しかし、金正日の5人の妻のうち、この条件に当てはまる人物が、日本で生まれ、日本人の父滋さんと、朝鮮人の母早紀江さんの間に生まれた、横田めぐみさんです。北朝鮮からのこの謎の政府高官発表は、金正恩の母親は横田めぐみさんだというメッセージでした。
 これらの情報が真実だとすると、政府や拉致被害者の会、横田夫婦は嘘を日本国民につき続けたことになります。なぜ、嘘をつくのでしょうか?日本と北朝鮮の間には、日本国民には知られたくない秘密があるように思えて仕方がありません。


●日航ジャンボ機123便墜落事故

 1985年8月12日の夜、群馬県に日本航空のジャンボ機JAL123便が墜落しました。乗客乗員524名のうち520名が死亡する史上最悪の大惨事となり、実はその裏側には深い闇が隠れているといわれています。
 当初はただの事故として扱われました。その理由は、アメリカの航空機メーカーが修理後の機体だと証言したからです。
 しかし、後に出始めた数々の証言によって疑惑が拭えない事故として記録されました。
 一つ目は、その事故の原因とされている垂直尾翼の破壊ですが、その原因に疑惑があがっています。1987年6月に発表された事故調査委員会の調査報告書によると事故の原因は、事故が発生したJAL123便は、事故の7年前の1978年に着陸時に機体後部が滑走路と接触して破損する事故を起こしていて、その時のアメリカボーイング社の修理が不適切だったため、圧力隔壁に亀裂が発生し、そこから客室内の空気が流出して垂直尾翼が破壊されたというものです。しかしながら、この報告書については、当時から異論があったようで、内容的にも疑問符がつくものであり、結論が急がれた報告書だという非難も一部からありました。そしてなにより、事故の原因としている垂直尾翼が発見されておらず、そのことが色々な疑惑を深めています。
 二つ目は、事故発生時のボイスレコーダーの音声です。ボイスレコーダーの音声では、2度の爆発が発生した後に機体の異変が起こっていることが読み取れます。その音声に、事故直前の目撃者の証言や写真などの情報を組み合わせると、事故時に機体へ何かが衝突したことが推測できるといわれています。この衝突物の存在は、事故報告書の内容とは整合性がとれないものです。さらに、乗客乗員の救助開始まで16時間という、通常では考えられない時間がかかっていて、その救助開始前から自衛隊のヘリコプターが現地を飛行していたという目撃者からの情報や、プロペラ音を聞いたという生存者の証言があります。その他にも、事故発生から墜落までの間、JAL123便を自衛隊のファントム機が2機追従していることも目撃されています。これは、自衛隊がこの事故と何か関係があることが推測されるのですが、その後、自衛隊でこの件に関わった人の自殺が相次いだことが さらにその疑惑を深くしていきました。
 また、事故調査報告書には、事故を起こした機体は、アメリカの航空機メーカーであるボーイング社による修理後の機体であり、その不適切修理が原因と記載されたましたが、ボーイング社ですが、事故調査には非協力的でした。
 その責任追及については、アメリカとの司法の壁があり、結局不起訴処分という結果になりました。当時、前橋地検で事故を担当していた山口検事正は、異例と言われた原告遺族向けの説明会で「限界まで事故の原因を追究すれば、戦争は免れない。」と述べました。また、当時総理大臣に就任していた中曽根氏は、この件に関する秘密は墓場まで持っていくと言ったという説まであります。徹底した情報統制が引かれていた当時の状況も踏まえると、日本とアメリカの両政府がこの事故に関係しているのではないでしょうか。
 もし、日航航空機123便墜落事故が意図的に仕掛けられたとするなら、何故この航空機が選択されたのでしょうか?
 事故と同じ年の1985年、世界ではマイクロソフト社のWindowsとアップル社のMachintoshがOSとして勢力の拡大を始めていました。当時のアメリカでは、軍事技術から発生したインターネットをはじめ、コンピューターソフトウェア技術により、世界の情報社会化のリーダーになるべく 技術革新が進められていました。そんな中、日本国内では、日本製のOSであるTRON(トロン)を開発するプロジェクトが進められていました。そのOS名「TRONプロジェクト」は順調に成果を重ねており、完成すればWindowsの10年先を進む技術といわれていました。日本製のOSが世界をリードする輝かしい未来が目の前にある状況でした。
 しかし、アメリカにとっては経済的にも国防的にも重大な事態であったことは間違いありません。OSがコンピューター制御の重要な中核技術である以上、その開発で世界をリードすることが、あらゆる意味で その後の世界の覇権を掌握することにつながるのは明らかでした。実は、事故が発生したJAL123便には、TRONプロジェクトの中核を担っていた17人のエンジニアが搭乗していました。アメリカ軍がJAL123便を撃墜した証拠はありませんが、それが実際に起こってもおかしくないほど、当時のTRONは日本にとって重要で、アメリカにとっては危険なものでした。事故により、17人の中核メンバーが亡くなり、TRONプロジェクトは大きく減速し、その後の世界ではWindowsがシェアを独占していきました。
 日航ジャンボ機墜落事故の1ヵ月後の1985年9月22日、ニューヨークのプラザホテルにおいてプラザ合意が結ばれ、この合意により、アメリカの貿易赤字解消のため、1ドル約260円から150円程度まで円高ドル安に為替レートが変動し、日本経済は大きな混乱に陥りました。その対応に追われた日本は、バブル経済の発生とその崩壊を招きました。
 さらに、1989年にはアメリカが日本に対し貿易不均衡を主張し「スーパー301条」と呼ばれる強硬的手段に出たとき、TRONが標的となりました。日本政府がTRONを支援することは、市場介入にあたるといった理由でした。これは、アメリカがTRONを恐れていたからではないでしょうか。当時の日本政府は経済対策により疲弊しており、TRONは衰退していきました。
 日航ジャンボ機123便墜落事故には、これらの様々な疑念が隠され、いまだに残っています。事故の背景で現実に起こったことは一体何なのか、私達日本人は、深く考えさせられます。


●9.11アメリカ同時多発テロ

 2001年9月11日にアメリカで同時多発テロが起こされ、世界中の人々にとって、とても悲惨で残酷なテロでしたが、あれだけの大規模なテロをなぜ、先進国である米国は事前に察知できなかったのでしょうか? あのような大規模テロをCIAなどの情報機関が事前に何も察知しなかったというのは疑問が残ります。「飛行機の激突では物理的にあのようにきれいに崩壊することはありえない」「内部に爆発物が仕掛けられていたはず」と主張する科学者も多数います。当時現場にいた人達によると、「爆発音が至る所から聞こえた」「飛行機には気付きもしなかった」との証言もあります。アメリカの自作自演だったという疑惑や不自然な点が残っているのです。また、ビン・ラディン家とブッシュ家はビジネス上密接な関わりを持っており、ハイソサエティの社交界での旧知の仲だったといいます。 今はもう、9.11アメリカ同時多発テロ事件から20年が経過しました。2019年には、崩壊したワールドトレードセンター、第7ビルの崩壊原因に関しての政府公式調査報告書と異なる、つまり、公式発表の見解を否定する内容の学術論文が国際調査チームにより発表されました。 2016年にカナダのマクマスター大学の調査チームは、崩壊したワールドトレードセンターの第1、第2ビルが、ジェット機の衝突火災では、ビル倒壊が起きないことを科学的に証明しました。国立標準技術研究所(NIST)の公式見解は誤りで、第7ビルは明らかに爆発物で倒壊したことを調査結果としました。 第7ビルは、ジェット機の衝突もなく、2.5秒で完全に倒壊したとされています。倒壊後は、ただちにビルの残骸は撤去され、数週間後にはビルの残骸は完全に処分されました。そのため、ビル倒壊の原因を探るための残骸の調査、科学的な分析などの現場検証ができなくなり、崩壊原因を特定するための十分な証拠調べが行われませんでした。これは政府の証拠隠滅行為ではないかとの多くの批判があがり、その後も、多くの建築・土木専門家の間で倒壊原因に関わる議論が行われてきました。 今回の論文は、アラスカ大学のDr. Leroy Hulsey、 南京理工大学のDr. Feng Xiao,、サウスカロライナ大学のDr. Zhilli Quanで形成する国際調査チームが、4年かけて行った調査の結果を発表したものです。 2008年に国立標準技術研究所(NIST)が発表した報告書では、第7ビルの完全崩壊の主因は「制御不能状態に陥った火災が主因」とした上で、「火災の発生により床を支えていた梁と柱の構造部分が耐え切れなくなったことが、建造物全体が完全崩壊へとつながる原因となった」としています。 「ワールドトレードセンター第7ビルの崩壊の構造的再評価」と題した今回の論文では、「国立標準技術研究所(NIST)の公式見解とは異なり、第7ビルの完全崩壊は火災が原因ではない。第7ビルの崩壊は、ビルのすべての柱が同時に崩れ落ちたことによる。このような柱が同時に崩壊するのは強制解体の方法しかない」と結論を出しました。あらかじめ爆発物が仕掛けられ、強制解体によりビルが崩壊したとの見解であり、国立標準技術研究所(NIST)の公式見解を完全に否定するものとなりました。 同時テロから20年が過ぎ、次世代への悲劇の伝承が課題となっている中、事件を直接知らない世代が増え「政府は攻撃されるのを知っていた」といった説も広がっています。調査会社ユーガブが過去に実施した世論調査によると、「9.11同時多発テロ発生当時のブッシュ(子)政権が攻撃の情報を得ながら放置し、9.11同時多発テロが起きるのを意図的に助けた」とする話を本当だと考える人の割合は、「絶対に」と「多分」を合わせて34%に上ったようです。テロ後に本格的に普及したインターネット動画を中心に広まった根拠のない情報ですが、事件当時に生まれていない人を含む18~29歳では41%、30~44歳でも37%に達しています。果たして、真相はどこに隠されているのでしょうか。



●3.11東日本大震災は人工地震 

 2011年3月11日午後14時46分、震源地は三陸沖約130km付近、深さ24km、マグニチュード9.0、最大震度7(宮城県栗原市)、地震後の津波によってとても大きな被害が発生し死者19747名、行方不明者2556名、負傷者6242名、日本観測史上最大規模の地震が発生した。10年経った今も未だ鮮明に記憶に残っています。日本は地震大国と言われ、日本周辺にはプレート(岩盤)が存在し、地球の表面は、十数枚のプレートで覆われています。その圧力が限界に達し、2つのプレートの境界部分が壊れることで、地表を揺らす地震が発生し、合計で4つのプレートに囲まれている日本は、複雑な力が掛かっているため、世界でも有数の地震多発地帯となっているといわれていますが、果たして本当にそうでしょうか?南海トラフ、首都直下型地震はいつ起きてもおかしくないと言われています。メディアで専門家がもっともらしく解説すれば、私たち国民は日本は地震大国だと印象操作されてもおかしくありません。現に東日本大地震は人工地震だと言う証拠が出てきています。今まで起きた地震が天災ではなく人災だったと考えてもおかしくないのです。
 2013年に、プーチン露大統領がロシア放送で「9.11は米国による自作自演」と流しましたが、米国などからウクラナイへの介入をきっかけに「3.11は人工地震だった」とバラしました。プーチンのみならず、主要先進国の主脳クラスなら、9.11や3.11の真相は、皆知っているはずです。日本の主な政治家や高級官僚、マスコミ幹部も知っています。どこか他人事で、福島原発事故の責任を誰も取ろうとしないのは、そこに一因があるのかもしれません。
 結論から述べると、3.11の真相は、日本を壊滅させる計画だったようです。続いて1週間後に首都圏直下型地震を起すつもりが、首都圏の地盤特性に阻まれて上手くいかなかったようです。偽ユダヤ人は、3.11をまず起こしてユダヤの「失われた十部族(の一部)」の末裔が多く住む東北をまず狙い、世界の親国である黄金龍神列島である日本を壊滅させてから、イラン戦争を発端に第3次世界大戦へと持っていくつもりでした。しかし失敗したのです。世界の支配層は、目的のためには、地球環境を大規模破壊しようと、どれだけ大勢の人々が死のうと何とも思わないような冷酷邪悪な組織です。
 最近出たヒカルランドの「3.11『人工地震説の根拠』衝撃検証」という本では、原爆が落とされる直前に2回あった巨大地震も軍事工場をピンポイントに狙った地下からの大規模な爆発による人工地震であると、CIAの前身であった戦略事務局(第二次大戦中の米国政府機関)の証拠資料添付で説明しています。
 もし、それが本当なら、2回の地中における人工地震と広島・長崎の上空原爆(実際は原爆ではなく大規模な爆弾といわれる)と福島を入れると日本は最低でも5回も故意的に大災害を引き起こされたということになります。
 また、3.11の人工地震は、映画やCM、小説、漫画、スケートの番組、聖書の暗号など様々な分野で事前に起こることが犯行予告されていました。人工地震に使われた技術は、HAARPと純粋水爆なので、もし自衛隊関与が事実であれば、非核三原則を破る大事件です。というのも、どうやら自衛隊技術者15人は3.11テロ計画を知らないで爆弾製造に携わっていたようですが、真実を知った今、罪責意識で悩まされ、内一人はクリスチャンであるため、教会に来て罪の告白を牧師に話したようです。以下は本当のことのようです。
 「父親が自衛隊の技術者で本人も同じ働きをしていた中年の男性が訴えました。私と数名の仲間はペンタゴンの命令で国外で隠れて特別な爆弾を製造する使命をいただきました。その爆弾が今回の地震のために使われるとは、苦しくて辛いです。それだけではなく、爆弾を一緒に作った技術者の仲間たちは次々に死んでいます。今、私と行方不明になっている二人だけが残されています。他の人達は今、私は車で尾行されています。誰も信じてくれないと思いますが。」
 彼の友だちである牧師は、彼の姿から、彼の言ったことは嘘のようには思えないといいます。
 「自分の名前や教会や連絡先は伝えないでいただきたいとのことです。その技術者についてですが、ペンタゴンの仕事をもう何十年か続けているそうです。この日曜日にロサンゼルスに帰りました。彼が所属していた特殊なミサイルを作る3人1組が5組、計15名のうち、彼以外ほとんどの人は死に、彼と一緒に働いていた2人は行方不明とのことです。彼らが製作し、今回の大地震で使われた爆弾は特殊なもので、最初の爆破でものすごい津波を起こしたそうです。もし次の爆破をしていたら、日本がなくなってしまうほどの被害になっていたのではと話しています。彼は以前は横須賀基地の技術者として働いていました。特殊な小型カメラを作っていた人だそうです。現在製作中の水爆は、PN7000と言い、使用する予定がすでに立てられているのだそうです。しかし彼は、その開発チームからはずされました。彼の年収は4000万だそうです。シベリアにもミサはイルを埋め込んだそうです。また、希望という人工衛星は、軍事のための軍事衛星であると話しています。教会には、3回出席して、礼拝が終わるとすぐに帰っていきました。いつでも、黒い車2台につけられていると言っていました。その技術者はきちんとした方です。」
 




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