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見えなくても修学旅行~北海道でカオスが極まる?!~


それぞれの修学旅行事情|千世(ちせ) @chise2021 #note

上記の千世さんの記事に触発されて、思い出して書いてみました。


大学を卒業して数年後、急に視力が落ちたので鍼灸の資格を取るために盲学校に入っ
た。

昨今は「見えない人は皆鍼灸マッサージ」という枠から外れて、大学進学を希望する
人も多いようだ。

当時は今より音声パソコンも普及していなかったし点字ができなければ公務員試験も
受けられない。
就職するにも大卒何て何のアドバンテージにもならなかった。

それより何より、私としては障碍者は実学。しかも健常者なら取るのに500万円くら
いかかる鍼灸師の資格を飲み代程度の金額で取れるなら、とりあえず向き不向きは度
外視しても取っておかなきゃコスパ的にも嘘でしょうと言う事になった。


盲学校で鍼灸の免許を取るコースは理療科といい、一応高等部に属する。ちなみに一
般の高校は高等部普通科という。
だから理療科は専門学校というよりは高専のイメージなのかな。


そしてテーマの修学旅行。

盲学校にも修学旅行がある。理療科も一応高等部なので修学旅行があった!!

まさか大学を卒業して修学旅行に行くとは露ほども思っていなかったので気恥ずかし
くも久しぶりにワクワク。
それ以前に、よもや20代後半にして中間テストや期末テストに悩まされる日々が戻っ
てくるとは思っていなかった(獏)


私が通っていた盲学校は国立で、生徒も日本全国から来ていた。

地方の盲学校では1学年2人とか3人とかが当たり前のところ、私のクラスは15人、盲
学校のクラスとしては破格の大所帯だった。

内訳は沖縄一人、九州5人関東5人、関西2人、東北2人。
ちなみに関東組は東京が私一人で後の4人は全員埼玉出身。


理療科生の修学旅行は予算内で企画から何から全部自分たちで決める。

まず場所についてはうちのクラスは北海道出身がいなかったので行先は北海道で満場
一致。
季節も春だか夏だかだったので観光にはおあつらえ向け。

詳細は弱視の男子が中心になって決めて行った。
交通機関も盲学校には鉄道マニアが必ずいるので交通系アプリなんかなくてもノープ
ロブレム!!ウォーキング時刻表が全部段取ってくれる。

当時はインターネットなんかなかったから、観光地はどうやって調べていたのだろう
か。多分まだ文字処理ができる弱視が旅行本で調べてくれていたに違いない。


所で、本来3年生は国家試験やら教員養成コースの受験があるから文化祭での出し物
はやらない。うちのクラスはそんなことはなんのその、3年生になっても模擬店とか
やっていたパリピが多かったので修学旅行計画も大いに盛り上がった。

ちなみに他にも北海道に行った学年はあった。しかし熊動物園に言ったはいいけれど
、ただ臭いだけだったという全盲からの苦情が出ていたそうな。

だからうちはとにかく飲み食い中心の盲人のライフスタイルに合ったルートを考えた


とにかく札幌、小樽、函館で飲み食いに明け暮れる。ビール工場、ジンギスカン、寿
司!!
一応皆成人なので高校生と違って先生方もあまり干渉してこないし酒も飲み放題。
もうカオスの予感しかしなかった。

そしてそれが現実になった。目が見えない分余計に質が悪い。

訳が分からなくなった全盲男子は池田か湖高に入っていってしまい、危うく遭難しそ
うになった。器物は壊すし、部屋や電車の中で吐くやつもいた。今ならもう全部アウ
トなやつだ。あの宿はもう盲人は出禁になったとかそうでないとか(獏)


ちなみにもともと飲めない私はいやな予感しかしなかったのでなるべく彼らに近づか
なかった。なのでリアルな惨状には直面していない。全部後でクラスメイト達から聞
いた。

行きは飛行機だったが帰りは北斗星という寝台車に載って帰ったのだが、彼らはどう
やら自動販売機のビールを飲みつくしたらしい。


もうかなり昔の話なので忘れてしまった事も多いけれど、市場での買い物や小樽で食
べたお寿司など、とにかくとても楽しかった印象だけが残っている。


専攻かはカオスだったが、いや、うちのクラスだけ異常なのかもしれないが、普通科
も修学旅行がある。
こちらはさすがに先生がお膳立てするようだ。生徒の出身地なども考慮に入れてはく
れているのだろうけれど、とりあえず忖度はなし。

当時社会科に反戦運動などに力を入れている先生がいて、広島の原爆ドームと関連の
施設に行ったそうだ。

こちらは理療科の酒池肉林とは違ってかなり「修学」要素の多い旅行だったようだ。


所で私がリアルJKのころの修学旅行は京都、奈良だった。

事前に全く興味がなかった寺社仏閣のスライドを見せられて、市中引き回しの刑よろ
しくあちこち引き回された。

「近い将来目が見えなくなるんだからもっとちゃんと見とけよ」と当時の自分に突っ
込みたい。

夜に仲良しの演劇部仲間とおしゃべりしたのが楽しかったのは覚えているけれど、そ
れ以外はホテルの食事が思いのほか甘くておいしくなかった印象しかない。


人生終わりだと思って入った盲学校が、修学旅行などの行事も含めて、私の学校生活
の中で一番濃い3年間になったのは、これも何かの縁だったのかもしれない。
人生わからないものだ。

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