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楽しくて楽しくて絶望する


前回の投稿で書いた、掲示板を通じて出会い初対面にサスペンダーで遅刻してきた奇人は驚くべきことに、まだ私とコンビを組んでいた。
勢いで掲示板にある最新の書き込みをしていた人に連絡したことから始まった、と考えるとインターネットの偉大さを感じる。



少し前まで他人と他人だった私達は二人に奇文学というお揃いのコンビ名をつけた。
全く何の共通点も持たない私達に名前をつけるのは至難の業だった。お笑い芸人として売れたい思い以外には、余りにも何も無い二人だった。「奇文学というコンビに属している事」は私達に初めて出来た共通点かもしれないと思った。



またもバイトを辞めて金が無いという相方とのネタ作りのために自宅にお邪魔したり、喫茶店で集まったりして、日々の予定の合間を縫って『言ったら面白そうなこと』を考える日々を送り、特に人とのコミュニュケーションを得意とする2人でもない私達が本当に少しづつただの他人では無くなっていっている気がした。




「クリスマスデート」が奇文学の初めてのネタになるらしかった。
相方は独自の方法でネタを作り、私は何も無いところからひたすら台詞を羅列していく面白いかどうかは二の次の、闇雲なネタの作り方をしていた。現状二人ともネタを書いているが初めてのネタは相方の書いたものになった。


相方の発想を面白いと思っていた。全く面白くなくて私の書いたネタもどうにもならなくて、もうダメだと早々に思えれば平和な日常が送れたのかなとも思う。



自分達のネタがこの世に存在して、自分が言うべき台詞があるという事実がこの上なく嬉しかった。嬉しくて嬉しくて、もしもこの夢が叶わなかった時、こんなに嬉しくてどうやって諦めたらいいんだろうと思った。ずっと思っている。



このように悲観的な私と比べて相方はとても楽観的で絶対に売れると信じて疑っていなかった。ネタ合わせに入ったカラオケで浅草キッドを熱唱する凄い奴である。
この事をコンビバランスが良いなと思える程にはまだ、私もポジティブを持てていると信じたい。




これまでの人生どちらかといえば自分は楽観的だと思っていた。
両親が離婚しても、栄えた街の一軒家から家族三人田舎の六畳一間のアパートに引っ越すことになっても、親の交際相手と反りが合わなくても、志望校に落ちても、ほとんど何も持たずに東京で大学生になっても、実家が無くなっても、「何とかなる」と思えていた。実際何とかなっていた。楽観的だと羨まれることもあった。

でもそれはそれらの出来事が自分にとってどうでもいいことだったからだと知った。どうでもよくないことになると、絶対に叶えたいことになると、こんなにも楽観的でいられないことを初めて知った。



夢を抱いた時点で叶えるか挫折するかしか無くて、コンビ名を付けた時点で成功するか解散するかしか無い。
他人だったのにもう一度他人になるには失敗を受け入れなければいけない。










慣れたら敬語やめます、と言っていたのに未だ敬語で「もしも解散しても友達でいましょうね」等と言っているこの人が、楽観的で本当に良かった。


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