見出し画像

マイペース大王

 信頼だけは、ひたすらに、非常に地味にコツコツと積み上げていくしかない。
 この数年での大きな変化として「他者からの信頼」がゲーム発売前と目に見えて違います。基本的に今自分に話しかけてくれる人たちは、僕が(たとえ過程で何度も死にそうになろうとも)意地でも作品を完成させる前提で動いてくれる。これはもう誰がなんと言おうとも2年かけてゲームを完成させた、揺るぎない事実による恩恵です。
 なので、今もアニメ製作中にあたり、自分の過去作またはその実績を見てスタッフたちと「完成させる気力がある」前提でスムーズに話を進めてもらえるのです。ありがたいことですね。もちろん、僕も信頼しているプロデューサー陣に紹介された方々を信じているし、彼らの過去の実績(関わった作品)へのリスペクトも持っている。ここで発生する「信頼感」だけは、お金で誤魔化せるものでもない。
 こう書くと複雑なことに思えますが、要するにイラストレーターなら絵、作曲家なら音楽、漫画家なら、小作家なら、と「代表作」があるかどうかで話の進め易さ、挑戦できる表現の規模へのアンロックに関わる。どうしたって人間の時間は有限。できれば細かいところまで知って欲しいと誰もが願いつつ、初対面の場ではまず代表作から話を広げるしかないのですね。
 で。別に今回はそんな仕事自慢の話がしたいわけでなく、むしろ所詮は「信頼」でしかないと感じたことを残しておきたい。
 信頼とは責任とセットであり、信頼を元に応援してくれる方々へは、その期待に応える責任とイコールとなる。応えきれなければせっかく積み上げた信頼感がそのぶん削られていく。だからといって安牌を切り続けても人生として無意味なわけで、そのギャンブル性を楽しめるかは鍵ではある。責任は枷でしかない。信頼されればされるだけ社会に繋がれた鎖は重くなる。
 話は逸れますが、ロックンロールに生きる中で最もかっこ悪いのは社会や人間関係の重圧に負けて安牌を切ることです。なので、僕は他者からの信頼に応えつつ危険牌で立直していく他ない。社会に負けた瞬間に僕の根本が書き換えられてしまうのだから仕方がない。とはいえ、実現可能性との折り合いはつけねばならず、そのあたりのバランス感覚が、実は信頼以上に他者から求められているものですが。
 そんなことはともかくとして、僕は少なくともインターネットに対しては「枷のない人間の文章」が好きなのです。テキストサイトを延々と読み漁り、個人ブログ時代を経て、Twitterをその延長ととして捉えています。フォロワー数に関わらず本人の個性が光るアカウントは、それだけでたいへん価値がある。思ったことを文字にするだけで本来はそれなりにハードルがあり、それを乗り越えている時点で面白い。しかし、SNSの場合はたいてい無自覚にネットの意見のコピーになるので、近年では世間とネット評に左右されないマイペースなアカウントは稀である。ネットを見てネットの話題へ言及するのだから、意識せずともネットの誰かの意見と自意識が混合するのは仕方がない。けれども、それはつまらない。
 鎖に繋がらず、かといって大衆的な意見にただ同調するわけでもなく、思ったままの事柄に多少のユーモアを加えて文章にする。これは非常に難易度が高い。特に今では投稿時の数字での反応が誰からでも丸わかりであり、意識し始めるとペースが乱れる。乱れたなかで奇跡が起きることもある。
 極々レアな「商業に寄らないからこそのちょっとした日常ユーモア」は、もはやセンスそのものであり磨かれるものではない。かといってテキストサイト時代からその独特な感性を追い続けてきたのですから、言語化して何か答えを出す必要がある。いや、全くないけれども!
 そこでのんびり日々考えてきた結果、あの緩さは「身内感」なのでしょうね。どんなにテレビで上質なコントを見たとて、翌日友達がふと繰り出したしょうもないギャグの方がツボにハマる経験は、みな近しい記憶があることでしょう。内輪ノリは無関係の人たちから見れば非常に滑稽で、しかし「内」にいるならこれより愉快なことはない。
 であるなら、Twitter上、または個人ブログ、大手でないYouTubeチャンネルなどでの、「なんか好きになってしまう」印象の正体は、その等身大の感性ゆえに「こいつ友達だったら楽しいだろうな」の延長線上ではないか。かといって結局は他人なわけで実際に関わることは絶対に無い安心感も含まれる。信頼と責任で包まれた人間を「内輪」と認識するのは難しい。だからこそ人は信頼が積まれるに連れ孤独になり、孤高であるからこその輝きが増す。
 そんな輝きとまっっったく離れた場所で、のんびりと「なんかいい」と感じてしまう花。一瞬で「お調子者の友達の若干滑りつつそれがまたツボにハマるギャグ」を感じてしまい、エラーのように親近感を刺激される不思議な心地。あれは商業では絶対に出せない!
 のんびり、のんびりと生きて欲しい。刺激的なニュースや流行に言及する必要はなく、それは言及が好きな人や商売人が勝手に触れる。そんなものを見ちゃうと慣れないうちは意見が脳内にコピーされて勝手にデスクトップに居座る。こんなもので貴方は汚れてはいけないし、何より僕が好きなマイペースさを持つものは、こんな場末の文章なんて読まないのです。だから良い!
 この極めて稀な人たちが存在するかぎりは、人口が増えすぎてギチギチになっていくネット社会にも希望があると考えております。
 
 

サポートされるとうれしい。