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エッセイ:どんな大雨でも傘を差すことができない。人間らしいことがなにもできない。たすけて

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 ここ数日は梅雨により雨が激しく、日本中の皆さんが里村茜のことを考えながら過ごしたと思われます。「雨」、何千回聴いても色褪せることない名曲ですね。

 さて、タイトルの通り僕は昔から傘を差すのが死ぬほど苦手でして、これには複数の要因が絡み合っており、乱暴にまとめると発達がどうのこうのになるのですが、とにかく片手が埋まっているという状態がつらい。本当につらい。台風でもない限り傘なんて持ちたくない。台風でも持たない。細大漏らさず傘のすべてがつらい。

 そもそも傘を買うのが勿体無いという意識が幼少期から脳裏に焼き付いてまして、これは僕が小学生時代から傘を持って登校すると必ず失くして剣突を食らっていたことに起因しています。どうせ失くしてしまうものを、10分や20分雨を凌ぐために500円以上払う勿体なさに耐えきれない。

 じゃあ失くさないように気をつければいい訳ですが、多動児の僕がそんな細心の注意を払うことができるわけがなく、先述した片手が埋まる面倒くささから、トイレなりベンチなりにすぐ傘を置き忘れ、酷い時は自分が傘を持っていたことすら忘却して大雨の中を走って帰ります。

 濡れるのはリスクの方が大きいのではないかという話もごもっともで、現に今年の梅雨も例に漏れずズブ濡れで歩き回ったため、今も明らかに体調を崩しつつパソコンにへばりついています。どうせ体調が良くても本読むかインターネットなので大して変わりません。保険証すらもなく、もう6年近く病院に行っていないため自分が風邪かどうかすらわかっていません。傘を差して役所まで歩けばすべて解決するのに。しかし、それ以上に面倒臭さが全てに勝つ。一般的には須らく解決できる問題だらけなのに。

 体調はともかく、持ち物が濡れては大変なのは理解しており、そもそも傘に限らずになんでも失くす癖があるので、基本的にものはポケットに入る分以外は持ち歩きません。鞄とか常に置き忘れてしまう恐怖があって気が気でない。

 それでも用事の都合上、本などを雨の中持ち歩かなければならない事態も人生にはありまして、成人するくらいまでは雨の度に本がふやけて読めなくなっては後悔の繰り返し。パターン学習で雨が降る=自分の本がダメになる因果関係に高校を卒業してようやく気づき、僕がとった対策が

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このように、購入した本すべてに透明なブックカバーを掛けるという非常に非効率な作業でした。僕の部屋、ダンボールに締まっている分も合わせたら5000冊を少なく見積もって所有しているのですが、9割は透明なブックカバーを掛けています。勿論お金もかかるし時間もかかる。それでも傘を差すだけの幼稚園児でも分かる対策法を実践できない……。

 オタクの特性上、間違いなく本が生きがいの一つではあるので、敬意を込めて大切に保護しているのは、数寄を凝らしていて悪くないとも自負しておりますが。

 そもそも、「どんな雨でも傘を差せない」というのは、僕の人生で人間と同じことができない証左の一端に過ぎず、覚悟を持ってしないと人の多い電車に乗れなかったり(沖縄に電車なんて文明なかったし)、電話が苦手で未だにスマートフォンを契約していなかったり、睡眠薬が切れた瞬間に目が覚めたり、どんなに集中しようとも小学校低学年レベルの汚い字にしかならなかったり……。

 先日インターネットで「箸の持ち方」が話題になり、箸の持ち方が正しくない人と大衆にどう見られるかが議論されていた際も恐怖を感じ、僕自身が言い訳のしようもないくらい育ちが悪いため、箸はともかく別の多くの場面で他人からみっともなく頭が悪いと認識されていると想像すると身の毛がよだちます。そう然らしめるのは育ち以上に自分自身の責任ですが。

 大雨なのに傘を差さずに濡れてやってきた時点で、一般的には不審人物。更に沖縄人(うちなんちゅ)特有の遅刻癖がある上に、スマホを契約していないため遅れていても移動中は連絡がとれない! きっと箸に限らず日常が後ろ指ささせる挙措だらけ。怖い。

 僕が社会に適合するには高すぎるハードルが無数にある。傘もその中の一つです。成人して4年が経つ今でも治らないのですから、一生治ることはないのでしょう。

 里村茜さんたすけて……。

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このキャプ拾うために「里村茜 嫌です」でググったら僕のツイートがトップにでました。僕は社会に馴染むことができないかも知れないが、20年以上昔のヒロインをずっと想い続けることができる。

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