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ANIME製作 進捗

 ローマは一日にして成らず、アニメも一年では完成しない。というわけで今日も今日とてアニメ打ち合わせや原稿作業です。
 といっても、脚本は一年かけて書き終えたわけで、今は微調整のようなタイミング。(自分の中で)100点として提出したものをいかに120点にできるか、といった段階なので比較的楽しい。特に全話書き終えてアニメ脚本用に適応した腕で再び1話目をガッツリ書き直しており、それが自身の成長を感じられて気持ちがいい。アニメの場合は音声や映像がフルに使えるわけで、セリフを減らして代わりに動きやオブジェクトで伝える選択肢があり、その取捨選択が新鮮。
 たとえば小説なら「そこに在るもの」は描写しなければ伝わらず、漫画ネームならコマの大きさに囚われ、ゲームならば操作のテンポを優先するところを、アニメなら尺も画面幅も固定なので、その決まりの中なら好きに組み替えられる。面倒くさくなったら突然歌を流して踊ってもいいし、デカデカとタイポグラフィを出して説明は一瞬で済ませてもよい。これに気づいてかなり演出の仕方が楽になった。踊るは比喩表現にしても、感情の出し方を音楽に頼れるのは表現の幅が広がりますね。
 で。脚本を元に絵コンテをお願いしていく。
 絵コンテをお願いする方々はベテランが多く、そのため一回り二回り上なこともあるけれど、それでも年齢なぞ関係なくこちらの話を真剣に聞いていただき、解釈してもらえることがたいへん嬉しい。僕はどこまでいっても絵が描けず、そのため自身の記した文字が立体になっていく瞬間が何よりのご褒美なのです。これよりテンション上がる瞬間もなかなか無い。テキストが立体になっていく、音楽になっていく。文字に生命を与えアニメーションする、人間が塔を高く積み上げ神に挑戦するが如き挑戦。
 年齢差でのイメージ共有の壁もコツを掴み始め、「ガンダムで言えばここで……」「ビューティフル・ドリーマーのあのシーンのカメラの動かし方が……」と、ガンダムか押井守で例えるとアニメ業界の方はすんなり伝わるし、向こうもその前提で話してくれる。好きなアニメのカメラの動かし方を解説してもらえるだけでも、長年解けなかったパズルがみるみる進んでいくようで、その場で飛び跳ねたくなる。
 業界が業界なので、タイミングによっては普段温厚なスタッフも別件のアニメのドタバタに巻き込まれてブチ切れていることもある。他人がパニックになっている姿は、心配も半分ありつつ元気が出る。人間、慌てふためきつつどんなに滑稽でも前に進もうとする姿は誰であろうとカッコいいのだ。
 アニメーターの方と話して嬉しかったのは、「作りたいもののビジョンが明確で助かる」と言ってもらえたことでしょうか。僕はもう表現したいものが頭に再現されており、「ここはどうすればいいか」と聞かれた際に滞ることはない。というか脚本は全話書き終わっているし。見切り発車で製作が進行していくことも珍しいなかで、脚本をまず書き上げた事実は、スタッフたちの信頼を得るに有力なピースであったようで、まずは脚本を書き終えさせる、という工程から進めたプロデューサーの判断に目から鱗。人はどうあっても「同じく手を動かしている相手」の話しか聞きたくないものです。
 特に僕なんかアニメ業界から見れば外様も良いもので、そんな人間が総監修として中心に居るには、自身が高速で動きまくり手を動かして信頼してもらう他ない。ゲームの時も同じで、もう「自分の作品は面白い」と確信し、ただただ打ち合わせ続け、資料を集め続けていく他ないし、集団製作において信頼以上の財産はない。要するに「一緒に死んでくれるか」と聞かれて「もちろん!」と答えられるかである。睡眠時間で言えばすでに瀕死ですが、先述した通り、自分の文字が立体になるより脳汁が出る体験は無いので、快楽に従うなら最も効率的なことをしており、休みたいけれども「やりたくない」では無い。
 来月、美術背景を集めつつ、脚本完成のご褒美として一人でオランダを回る。


 パスポート再取得。「中国へ行くためパスポートを取ったものの帰ってきた瞬間失くした」とあまりに間抜けな話を親身に聞いてくれて、見事1時間程度で再び処理してくれた受付の方々に感謝。「今日は雨で人少ないから今やっときなさい!」と叱ってまでくれたことが忘れられない。人情のある叱咤は心にくる。ネット世界で輩から小煩いあーだこーだを言われ続けて育った身としては、これだけで心動かされる。
 美、美術、美しさ。
 自分が最も美しいと感じているモンドリアンの抽象画、派生したリートフェルトの建築をこの目で味わう。そのタイミングはどうしても一人であるべきだと手配していただいた。間違いなく人生のターニングポイントとなる。
 アニメ製作を通し、僕の魂は、母親譲りの大きな瞳は、真の美術へと、神へと挑むのです。

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