日曜日の青空に 〜今日は「世界こどもの日」

日曜日に青空が美しいぶんだけ
きっと気持ちが沈むような内容です。

しかし自分は常に
「これを忘れないように」と。

いつか我が子が目にし
理解してもらえることを期待して。
今日のこの日までの想いとして。
 

 
これまで幾つもの戦争が
この星では起きてきた。

そもそも社会の弱者である
子どもや母親たちはさらに無力となった。

沖縄での舞台公演に臨むとき
現地の語り部の方にチビチリガマの惨状を
伺ったときにもそのような実感を。

米軍に見つからないよう
身を寄せ合ったガマの中では
人間性が損なわれていった。

「おかあちゃん」と泣き出した6歳の男の子は
祖父母によって口を塞がれ親の前で絶命した。
 

原爆が投下された翌日の広島では
目を潰された全裸の幼な子が両手に皮膚を垂れ下げ
「おかあちゃん、返事してーえ・・・」と
つぶやきながら彷徨っていたらしい。

日本に限った話ではなく
占領された国の女性は乳飲み子を抱えたまま
兵士団に裸同然で連れ回され性のはけ口にされた末に
鳴き声がうるさいと投げ捨てられた我が子を求め
絶叫しながら谷の底へと身を投げられた。
 

もう75年も前の出来事になってしまったが
世界ではその後も地獄が続いている。
 

例えば
戦後の日本にもまだ戦闘機が行き交っている。
住宅街でそれが墜落して母子に全身大やけどを負わせた。
それぞれ別の病院に運ばれたものの
子どもたちがそこから出ることは叶わなかった。

3歳の男の子は丸焦げになった何かを口から吐き出し
「パパ、ママ、バイバイ」とその夜中に逝ってしまった。
まだお喋りがつたなかった1歳の弟も
覚えたばかりの「はとぽっぽ」を口ずさみながら翌朝に。

我が子の顔を見ることだけが希望だったお母さんは
皮膚を失った全身を薬に浸す激痛に耐え続けながら
千羽鶴を折り、手紙を書き、プレゼントも用意した。
1年以上かけて皮膚移植と過酷なリハビリを全うしたものの
ふたりの死を知らされると精神的に崩壊した。

夫と離縁したあと残されたその身も
移植した皮膚が伸縮性を失っていき歩行すらできない。
切開した喉から通す管によってしか息ができず
呼吸困難で救急車の乗せられる日々。

いつしか心の問題だとみなされ
それすらも頼れなくなってしまったばかりか
精神病院へ閉じ込められ絶望しきったのち
ようやく夢を語りはじめたころ
この世を去っていったのだという。



例えば
現代のシリアでの内戦で
故郷を追われた多くの難民たちは
国外の劣悪な環境で寒さや飢えのみならず
同じ人間からの差別や暴力にも虐げられている。

COVID-19の影響で命綱だった仕事も奪われ
感染者も医療を受けられないまま死を待つのみ。

そんな極限状態のなかで
仲間や家族同士でも傷つけ合う。

ある男の子が突然姿を消した。
母親や妹が探しても見つからない。
しばらくしてFacebookに
その子の映った写真が投稿されていた。

ゴミ捨て場に捨てられた亡骸の
割かれた服の下には肌を縫われた跡が見えた。

多くの子どもたちが誘拐され
カネのために臓器や身体の一部を
奪われた末に棄てられている。

地獄のなかでまず豹変するのは働き盛りの男たち。
そして手をかけられるのは子どもや女性たち。

我が子と同じくらい子が何日も食べ物を与えられず
ひもじさや暴力や誘拐や爆撃やすべてに怯えて震えていた。

そんな妹たちが可愛そうだと兄を誘拐されて失った少女は
毎日ゴミ捨て場を漁り続け「ゴミ女」と罵られながらも
1日100円ほどを得ながらどうにかして生きようと。
 
 

豊かにみえる社会の中でも
生まれて間もない子どもたちが病と闘っていたりする。

難病であればあるほど
治療法や薬が限られてゆき
生きるための手段が限られるほど
多大な負担が必要になっていく。

世間からの孤立を余儀なくされながら
協力も共感も得られにくくなっていく。

製薬会社も需要が少ない分だけ
高値をつけて釣り合わせようとする。


誰よりも助けを必要とする命ほど
足元を見られ置いていかれる
そんな社会の一部として自分は生きている。

大人になれて
友人や仲間ができれば
亡くなったときにも誰かが哀悼を

子どものままで
家族もいなければ
亡くなったときにも誰も何も

自分もそうした
子どもだったかもしれない

この国にも
戦争孤児の方は沢山

いまこの世界にも
きっと何処かで誰かが
 


朝起きて
いつもの日常だと確かめられれば
恐怖に怯え夜を明かした方々を思い出す。

昼になり
食事を目の前にすれば
ひもじさに涙する子どもを思い出す。

夕方になり
我が子のはしゃぎ声に癒やされれば
その愛情を失った親御さんを思い出す。

夜になり
また1日の無事を噛みしめれば
明日を迎えられなかった命を想う。


他人や宗教や
自分以外の何かに唆された訳ではなく
ただただそうした現実から
どれだけ自分が恵まれているかを
痛感して止みません。

自分が初めて見た死に顔は
自分にとっての初めての親友の
小学校にあがる前の綺麗なお顔でした。


生きたいのに
生かせてあげたいのに
生きられなかった命がある。

今この瞬間も
救われないままの命がある。
今この瞬間も
死を迎えようとしている命がある。


それなのにこうして
自分や我が子は。


これ以上の
夢や希望などあろうか、と。

ただ願わくば
余すことなく誰しもが
そのように心満たされる世界を、と。

そして
自分ごと以上に
想いを寄せ合える社会を、と。



不幸とは?
それを理解するために
巨人やら鬼やら必要でしょうか?

幸福とは?
それを理解するために
感動や嗜好品はいくつ必要でしょうか?

命とは?
それを理解するために
地球の外にまで求める必要があるでしょうか?



そうしたものを実感できるものはすでに
身の回りの現実世界に存在しており
この五感で直接受け取ることができる
と、苞に想って止まないのです。


死の世界が広がる宇宙で
ほんのわずかばかりもたらされた
かけがえのない生の世界。

そして奇跡のようなめぐり合わせで
生まれることのできたそれぞれの命。


この星を継ぐ次世代や
我が子に伝え遺したいのは
ただそのことだけです。

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