にゃんゴローチェック

嘘はつけない性格。嘘をつくと自分が嫌になりますし、つじつまが合わなくなる。でもなぜかあ…

にゃんゴローチェック

嘘はつけない性格。嘘をつくと自分が嫌になりますし、つじつまが合わなくなる。でもなぜかあまりバレない。好きなことはあるし、なりたい自分も見えているけど、なかなか進めない、進まない。その理由を紐解きたいと思って始めたnote。自分でもどこに着地するかわからないが、兎も角始めてみる。

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冬至前の禊と書き殴り

なーんか 私1人でイベントごとを守ってる気がする ツリー出しても、わあ、とは言うけど オーナメントつけるとか、 クリスマス当日はどう過ごそうとか、 そう言う話にならない ってことはさ 別に興味ないって事だよね 家族とのクリスマス、の幻想?定義?に縛られてるのはもう辞めるかな 子供ももう13歳になるしね。 何が嫌だって。 一人相撲してるのが、イヤ ご飯は待ってれば出てくると思われてるのが、イヤ 長年連れ添ってるんだから、クリスマスとかもういいでしょ って言う雰囲気なのが、イヤ

    • これは、いいものだ #月光荘さんのクレヨン

      • 主婦のやる気について

        夕飯の時に事は起こった 旦那が食事中に、前日の豪華ディナーの写真を母に見せたのだ。 この日の夕食は、初めて娘が遅い時間の塾に振り替えたため、それまで慣習だった4人揃っての夕飯ではない、なんとなくみんなバラバラで摂る食卓だった。それに合わせ私は何日か前から、 いつ誰がどのくらいの量を好きに食べられるようなメニューを考えていた。 で、当日、娘と旦那は先に早めの夕飯をとった その後、母だけ夕飯。 その食事中に旦那は母に写真を見せた。 当然母は、写真に驚きそのディナーの話に夢中になる

        • 幸せの価値基準 娘との日々

          思春期早発症の娘の治療で、クリニックに行った。 性ホルモン抑制剤を注射。痛い筋肉注射。 (この治療をしている意味にも、今度深掘りして書いてみよう。自分の気づきのために。) 背が、伸びない。 低身長のままで、止まってしまう。 10歳の娘にはどう聞こえるのだろうか。 治療始めて半年。 迷いや欲も出てくる。 幸せの価値基準は、どこにあるのだろう。 背が将来的に140センチ半ばで止まるだろう、とわかっていて、 でも身長や容姿が整っていたからと言って、幸せになるとは限らないし、 逆に

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          「人はやっぱり人と繋がりたいと思う生き物」 と言う考えを前提に、これからの自分のやりたいことや使命を当てはめていく作業プラットフォーム。 感染対策が当たり前になってきた。 人と距離を保ち、人ごみを避け、なるべく触らないように。 見ず知らずの人との関わりを恐れ、見えない敵に常に怯えるイメージがインプットされた。 もう3ヶ月ほど自由に行動せず、友達にも好きな人とも自由に会っていない。 でもやっぱり、みんなと「今」を共有したくて。 文字にできない感情や言葉を伝え合いたくて。 今

          わたしがしあわせを感じる瞬間について

          今の私には、自分の「スキ」を存分に楽しむことが、大事な気がする。 わたしのスキについて、書き出してみよう。 1作った料理を食べてくれた人が「美味しい!」と言って喜んでくれること 2太陽の光に向かって歩くこと 3天気の良い日に高速をドライブすること 4車の中で熱唱する事 5小児科で看護師として患者さんや家族とつながること 6役割を理解してもらう事 7ぶらりと散歩をして食べ歩くこと 8公園で空を見上げて寝る事 9将来の夢を可視化する事 10星ともと温泉に浸かり、星の話をすること

          わたしがしあわせを感じる瞬間について

          stay gold 〜一気書きしました振り返りません〜

          コロナで随分守りに入った。 「今日と同じ明日を過ごす」 「なるべく、なるべく」 「人と距離を保って」 「stay home」 決してネガティブなことではなく、むしろ、 随分と外向きだった私にとっては、自分を内省する絶好のチャンスにもなっている。 自分を見つめ直すってことはつまり、自分にツッコミを入れるってことだから、辛いこともあるわけだけど。 実際に本当に必要な時にはいつも、神様がわかりやすくチャンスをくれる。今回も結構ヘビーな出来事がいくつも連なって、本当に自分を見失いそ

          stay gold 〜一気書きしました振り返りません〜

          優しいって、いいよね

          自粛生活の中で、メディアからは 「削減!」 「我慢!」 みたいな、強い圧迫の言葉が連日聞かれる。 耳を塞ぎたくなるような気持ちで、ラジオに耳を傾けることが多くなった。 わかるよ。 人が動けばウィルスも動き、感染が伝播していく。 だから、感染を封じるためには、人の動きも封じなきゃいけないっていうのは、とても原始的でわかりやすい考え。 でもさ、 優しい っていいよね。 優しく諭されたら、素直に従いたくなる。 褒めてくれたら、素直に嬉しくなる。 こういう感情って、社会の中には

          優しいって、いいよね

          私って

          「どんなことで幸せを感じるんだろう」 この自粛生活の中、行動が制限される中で多々考える。 随分足が止まってしまっている。 当然、それを選んでやっているし、必要なので行なっている。 普段動きながら考えを見出すタイプなので、この状況は修行。 小児科の看護師が、私の好きなこと というのが、自粛前にたどり着いた答え。 病院で働く以外にも、 活動の場所や意義を模索して、確立したいと野望を抱いていた。 今でもそう思っている。 ただ、他にもある気がしている。 私、どんなことにアドレ

          コロナがもたらしたこと

          「コロナ」という言葉が連日、耳に入るようになってから丸3ヶ月ほどが経過しました。 初めは、隣国の話/対岸の火事で、全く他人事だったのが、 今では、世界全域の人間たち共通の課題にまで発展しています。 自粛生活も2ヶ月が過ぎ、お正月の頃とは全く違う生活ペースになりました。 今はほぼ自宅の中で過ごしています。 子供も小学校が休校なので、毎日自宅で暮らしています。 夫もリモートワークで毎日自宅で仕事しています。 母も庭いじりをしたり自分の時間を過ごしています。 「死と隣り合わせ」と

          コロナがもたらしたこと

          それでも日々はすぎてゆく

          母ともめてから1週間が経った 相変わらず、目は見れない。怖いから。 でも、おきまりの挨拶やちょっとした言葉はかわせる様になってきた。 怖いけど。 親から否定されるって、こんなに恐怖なんだな。 私も親だから、本当に気をつけないとな。 と、反面教師にしました。 時間が経ち、ぐさりと刺さった言葉は少しずつ痛みを失ってきているのは確か。 だけど、やっぱり「見る」と蘇るあの感覚。 心理療法でグループワークする意図がわかります。 経験を共有することで、恐怖を薄めていく。 わかっても

          それでも日々はすぎてゆく

          実母との距離感

          我が家は、夫と娘と私の実母と同居している4人家族である。 母と私は昔からぶつかりやすいところがある。 派手に言い合いをするというよりは、 「むっ」っとし、数日間口をきかなくなるという形で、時折喧嘩をする。 とはいえ、いつも仲が悪いわけではなく、好きなものや好きな考え方は似ているので、合うときはとても良い関係なのだが。 最近は、コロナの流行による外出の自粛でここ2ヶ月くらいは自宅にこもることが多かったためか、今ひとつ関係は良くない。 お互いの行動が、気になってしまうのである

          答えは自分の中にあるという解

          色々理由はつけてみるんだけど。 いや、確かにさ、新しいところですんごい驚いたわけ。 あれ〜こんな感じなの?!って。 で適応するべく頑張るけどもよ、 どうにも、そこが好きになれなくて苦しいの。 。。。好きになれない、ではないかもな。 得意じゃない、に似ているのかも。 色々理由つけてみて、それが自分にははまれないものだって、思うことで楽になりたいと。 で、そんな自分を「ちょっとどうなのよ、逃げてるんじゃないの?」 みたいに、睨みつけてジャッジするわけ。 でもねぇ。 やっぱり「好

          答えは自分の中にあるという解

          自分探しなんて

          もう、やめましょうよ。 いい歳なんだし、お金も貯めたいでしょ。 私自身が満足か不満足かなんて、誰も気にしません。 我慢して、目をつぶって、今を精一杯生きましょう。 。。。 そうも思うんですよ。 でもねぇ。 リトルニャンゴローが苦しそうなの。 全く違う畑で仕事してみると、 やっぱり好きなんだ!っていうのが顕著に見えて、 やり直したくなる。 書くことで、自分を見つけます。 自分探しまくります。 探した!見つけた!と思った瞬間に、 姿はまた変わってしまうのかもしれないけど。

          生業となるもの、するもの

          好きなことをやりなさい。 夢中になれることを探しなさい。 そう、子供にも話している。 かくいう自分も、そう思っている。 でもねぇ、なかなか出会えないというか。 社会に出てもう20年以上たち、 仕事に対するアイデンティティーが確立されていて、 「ドンピシャ」 な仕事場を見つけるのは、難しいんだな。 外見がよく見えても、始める前は頑張れると思っていても、 いざ始めてみると、 「やっぱり自分の適性はここではないのかも」とか 「もっと自分にしかできないことがあるはず」とか 思って

          生業となるもの、するもの